ケンカの呼吸と、ケンカしながらケンカせずに済ませるコツ

前にも紹介した話だけど。
道に迷っていたのを案内したのがきっかけで仲良くなった、韓国からの留学生。日本語も達者で、私より年上だとはいえ、日本語の本の読書量でも私よりずっと上で、全然太刀打ちできなかった。英語も達者で、苦手な私は教えてもらうことに。

大阪の居酒屋で一緒に飲むことに。すると言葉で韓国人だと感づいたのか、明らかにヤクザという風体の男が店内に響く大声で「わしゃ、朝鮮人が嫌いじゃあ!」と何度もわめいた。立ち上がろうとする留学生を私は必死に押さえた。日本に来たばかりでは分からないだろうが、あれは明らかに暴力団。マズい。

挑発に乗ったのに気づいたヤクザはさらにおちょくるように、「わしゃ、朝鮮人は嫌いじゃあ!」と繰り返した。
すると、留学生が私に笑顔で、しきりに目配せする。何か考えがあるのか?手を緩めると。

「アナタ、気に入らないね!」と言いながらヤクザに突進!すわ、殴り合いか?!しまった!
と思ったら、ヤクザの隣にドカンと座り、「ママさん、ビール」と言い、ヤクザに向かって言い放つ。「アナタ気に入らないね!」ママさんが慌てて差し出したビール瓶を、留学生はヤクザのコップに注ぎながら「アナタ、気に入らないね!」

殴り合いを始めるには間合いを詰められ過ぎ、自分も無傷ではいられない距離。「アナタ、気に入らないね!」とはっきり異を唱えながらも、ビールを注ぐ好意を示す留学生。これらが一瞬に行われたことでヤクザも混乱。なんとか体裁を保つためにヤクザは「朝鮮人は嫌いじゃが、お前は気に入った」。

すると留学生はガバッとヤクザに抱きつき、「これでトモダチね!」
すっかり気を呑まれたヤクザは、なんとか体面を保つため、おう、おうと言いながら、留学生の肩をポンポン叩いた。
留学生はニコニコ笑いながら、私のいる席に戻ってきた。

私は呆気にとられた。ケンカになってるのにケンカにならずに済む方法があったのか!相手から侮辱を受けてそれをガマンするのではなく、しっかり言い返してプライドを保った上で、ケンカをせずに済ませる方法があったのか!ケンカする余裕も与えずに間合いを詰めるという方法があったのか!

ヤクザという人種はケンカについては非常に賢い。留学生が下手に暴力沙汰を起こせば本国に帰らざるを得なくなるかもしれない。その弱みを知った上でなぶりものにできると踏んだのだろう。それに留学生は痩せて体格も大きくない。私は小男。自分に不利な条件はない、と読んで挑発したのだろう。

留学生はたぶん、ヤクザがその目算を持ってることに気がついていた。暴力沙汰はマズい。しかし侮辱をそのままにするわけにいかない。侮辱をはねかえし、暴力も使わない。その方法は?それを一瞬でメドをつけ、一気にカタをつけようとしたのだろう。

間合いを一気に詰めれば優位に立てる。しかし殴り合いになってはいけない。そのため隣に座ることで、何をするつもりなのか読めなくし、ヤクザを混乱させる。さらにビールを注文することで、ヤクザがまた「何をするつもりか?」と混乱させる。「気に入らないね!」と言いつつビールをついで混乱させる。

そういうことを瞬時に考え、即応する力に圧倒された。ケンカに関してはプロのヤクザをも翻弄。しかも私は、知識に関しても留学生に勝てない。私は自分を鍛え直す必要を痛感した。お勉強が少しできるだけで満足していてはダメだ。人間力を身につけなくては。

当時、日系ブラジル人が日本にたくさん出稼ぎに来ていて。私の祖母が気さくな人で、祖母をきっかけに仲良くなり、一緒に飲みに行った。外国人だらけ。
友人のブラジル人、イラン人と口ケンカと思った次の瞬間。右手にはベルトが巻かれていた。と思ったら、瞬時に複数人がケンカを止めた。

日本人のケンカは不思議なほど前口上があり、意外にいきなり殴り合うことが少なく、威嚇する時間帯がある。歌舞伎みたい。
日系ブラジル人のその人も、イラン人も、戦闘体制は瞬時だった。そしてイラン人の仲間、ブラジル人の仲間が割って入り、殴り合いをさせなかったのも瞬時だった。

ケンカ慣れしてるなあ。私は剣道をしてきたけど、もし私が彼らの相手だったら、ケンカになったと判断する前にのされてるな。
韓国からの留学生、日系ブラジル人、この二人の友人から、「ケンカの呼吸」という研究対象がずっとテーマになった。まあ、私は殴り合いしないけど。

ケンカは殴り合いだけではない。言葉の応酬もあるし、無言のケンカもある。ケンカを収めるには、相手の「思枠」を読み、そこからズレさせることで、相手の準備していたものが役に立たないようにし、戸惑ってるうちにこちらの用意した「思枠」に誘導する。

とある会議で、一人の人物がつるし上げにされようとしていた。会議ではその人の罪状が上げられ、会議に出席する人は沈黙。その人物と部下は抗弁するけど、弁護する人は誰もいない。このままではその人一人に罪を着せられ、罰せられる。私はとぼけた感じで手を挙げた。

「この人はいわば、カローラみたいに、安くて大量に作れる技術を開発したんですよね?」と質問すると、会議の参加者たちは頷いた。
「そして幹部の人が連れてきたお客さんは、カウンタックとかフェラーリみたいなスーパーカーがほしい人。お客が求めてるからスーパーカーを作れ、と。」

「だとしたら、ミスマッチなお客さん連れてきた営業が悪いんであって、カローラ作った人がスーパーカー作れないからと言って責めるのはおかしくないですか。むしろ見当違いなお客さん連れてきた幹部がこの人に謝らなきゃいけないんじゃないですかね」会議は大混乱。開発者はその機を捉えて部屋を出た。

幹部が開発者をつるし上げるどころか、幹部がつるし上げになる構図が新人の私から示され、しかも容易にひっくり返せない論理に戸惑い、幹部は別途会議を重ねたけど、開発者はお咎めなしとなった。私は「あんなこと言って、どこかに飛ばされても文句言えないよ」と脅されたけど。

「新人が会議で聞いた話から類推して感じたことを言ったまでですけど?」と首を傾げてすっとぼける私を責めるわけにもいかず、私もお咎めなし。

幹部が思い描いていたストーリー、「思枠」からズラされて、どう対応したものやらわからなくなったのだろう。
私には、必ずしも開発者が悪いと思えなかった。なのに一人だけ生け贄にするという公開処刑では、今後、開発をする人間は恐くなって前にでるようなことをしなくなってしまう恐れがある。

後の飲み会で、「要するに活動の一線からあの人が外れてくれればよかったんでしょ?だったらそれは本人も降りると言ってたんだし、所期の目的は達成されてるんだからいいですやん」と言って幹部の人のコップにビールをついだ。まだ許せんみたいな言葉は言ってたけど、私の言葉も一理を感じたらしい。

あれで罰が下されていたら、開発者も恨みに思うし、幹部も本音を押し殺していても、後味が悪いはず。幹部も少し恥をかくことで、恨みなしに交通整理できた方がよい。
「思枠」をずらせば、もうこれしかない、という硬直した思い込みを崩し、別の道を見つけることが可能になる。

しかしそれは、事情がよくわかっていない新人の私しかできなかった。渦中にいた人は様々な経緯を共に経験し、別の道を探ることができない硬直に陥っていた。新人という、第三者的な人間が、とぼけた意見を言ったから、かえって客観性のある見方として会議の参加者に衝撃を与えたのだと思う。

渦中にいない人間だからこそ仲裁に入ることができる。裸の王様を裸だと言った子どもの言葉が重みをもって大人たちに受けとめられたのは偶然ではない。利害のない人間が発する言葉は、第三者だからこそ重みを持つことがある。それが当事者たちの「思枠」をズラすものならなおさら。

「思枠」を見抜き、それをズラす訓練をすると、もう決裂必至に見える事態を変えることができることもある。常に仮説を立て、「自分がその立場に置かれたらどうしよう?」とシミュレーションすることが、訓練になると思う。

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