「世界のOSを書き換える」人物を3人も輩出したバケモノ・・・モンテーニュ

昨日、デカルトが世界のOSを書き換えた(「宗教の支配」から「合理主義の支配」へ)ことをまとめた。
https://note.com/shinshinohara/n/n1ff6ec1c5c76?sub_rt=share_h
デカルトはとんでもないことをやらかしたわけだけれど、もしある人物が登場していなければ、デカルトはこれほど革命的なことを成し遂げられなかったかもしれない。

ルソーも、世界のOSを書き換えてしまった人物。それまでは王様や貴族が支配する国家だったのに、国民みんなで国家を運営する民主主義というOSを提案。ルソーは他にも、教育学という、それまで存在しなかった分野を切り開いた。OSをいくつも生み出した天才だと言えるだろう。しかし。

とある人物が登場しなければ、ルソーも民主主義や教育学という提案を成し遂げられなかったかもしれない。
ニーチェも世界のOSを書き換えた人物。ニーチェ以前は、合理主義が広がりつつあったとはいえ、基本的に敬虔なキリスト教徒が多かった。しかしニーチェが「神は死んだ」と宣言して以来。

宗教を一切無視した国家を生み出した。マルクス主義とナチズム。共産主義を生み出したマルクスは、「宗教はアヘンである」とまで言い、宗教を否定した。ナチズムもキリスト教をはじめとする宗教を否定した国家システムを構築した。そしてどちらも、スターリンやヒットラーといったカリスマを生んだ。

これは、ニーチェが「宗教に一切配慮しない思想」という、これまでにないOSを提案したことで生まれたと言える。ニーチェもまた、世界のOSを書き換えた人物だと言えるだろう。しかしニーチェも、とある人物が登場していなければ、その哲学に到達できただろうか、疑問。

デカルト、ルソー、ニーチェに多大な影響を与え、彼らに世界のOSを書き換えさせた人物。それは誰なのか?私が考えるに、それがモンテーニュだと考えている。しかし、モンテーニュを知っている人はあまり多くないように思う。
「モンテーニュ?「法の精神」の人?」
それはモンテスキューや!

モンテーニュは「エセー(随想録)」を書いた人物。デカルト、ルソー、ニーチェと言った名だたる思想家・哲学者に影響を与えたのだとしたら、さぞかし小難しいことを書いているのだろう、と思われるかもしれない。しかし、読んでみると非常に洒脱(しゃだつ)で、軽やかな文章。面白い。

とある王様の胸に一本の矢が刺さった。「おれはこんな小さな穴で死ぬんかー!」と叫んだ、とか。手鼻をかむ王様がいて「汚いなあ」と西洋人がいい、王様は「じゃあどうやってお前たちは鼻をかむんだ?」と聞かれて「絹のハンカチで上品に」と返したら「鼻水ごときを高級品でぬぐうとは」と。

死んだ人の肉を食べる民族に出会って「なんて野蛮な」と西洋人が嘆くと、その民族の一人が「ではお前たちは死んだ人をどうやって弔うのだ」と聞いてきた。「棺桶に納めて丁重に土に埋める」と答えたら、「大切な人の遺体をウジ虫たちに食べさせるお前たちの方がよほど野蛮だ」と答えた、とか。

「エセー」を読んでいると、当然こちらの倫理、正義の方が正しいと思い込んでいたら、たった一言でそれが覆される、という事例が目白押し。それまで自分が信じ込んでいたものは本当に正しいのだろうか?どんな世界でも、どんな場所でも正しいと言い切れるだろうか?と、疑問が湧いてくる。

とある価値観が絶対正しいと思っていたら、そうでもない、という事実を突きつけられる。「エセー」を読むと、自分の信じていたOS(価値観、世界観)が必ずしも絶対正しいわけではなく、たくさんある中の一つでしかない(one of them)ことに気づかされる。

恐らく、デカルト、ルソー、ニーチェも、こうしたモンテーニュの自由過ぎる思想に強い影響を受け、「私たちが信じ込んでいる常識(OS)は、絶対正しいと言えるだろうか?新しいOSも可能なのではないか?」という発想を得ることができたのだろう。その意味で、モンテーニュの影響力は甚大。

では、モンテーニュはなぜそんなにも自由な思考を持つことができたのだろう?それには、彼の生きた時代背景をみることが大切。
モンテーニュはデカルトが生まれる前の人物だが、そのころにはすでにキリスト教が二つに分裂していた。旧教(カソリック)と新教(プロテスタント)。

そしてモンテーニュが39歳の時、大事件が起きる。新教の人たちを大量虐殺した、聖バーソロミューの虐殺。まさに血で血を洗う争い。同じキリスト教のはずなのに、二つに分裂し、互いに「自分は正しい、相手は間違っている」と否定し合っていた。モンテーニュはそうした状況に辟易していたのかも。

キリスト教の枠組みで物事を考えていたら「旧教を選ぶのか?新教を選ぶのか?」と二者択一になってしまう。そこでモンテーニュがとった策は、「キリスト教を知らない世界」を観察することだった。
当時の西洋人は大航海時代を迎え、アフリカやアメリカなど、キリスト教を知らない人々と出会っていた。

そしてモンテーニュは、キリスト教を知らない人々でも善良な人間がたくさんいて、しかも賢く、素晴らしい生き方をしていることを発見した。当時の西洋人は「キリスト教を知らない野蛮人たち」とみなしていたのに、モンテーニュはそんな見方をしなかった。

キリスト教を知らなくても人は生きていける。しかも善良に、そして幸せに。当時の西洋人は、キリスト教を知らないというだけで地獄行きが決まるし、西洋文明を知らないことは野蛮であると信じ、彼らに自分たちの文化を教えるのは正義だと考えていたのに、モンテーニュはそう考えなかった。

こうした、モンテーニュの自由な発想が、デカルトには「キリスト教とは全く関係のない、数学的で科学的な(つまり合理的な)OS(価値観)を作りだしてもよいのではないか」という発想を抱かせたのではないか、と私は推測している。

また、ルソーに対してもモンテーニュは強い影響を与えているように思う。ルソーは、「文明を知れば知るほど人間は堕落する」という、それまでのキリスト教の世界観とは逆の発想を提案したが、この素地はすでにモンテーニュの「エセー」に見られる。「エセー」は、未開人ほど素朴で素晴らしいと考える。

宗教や文明に汚染され、素朴さを失う前に、生まれついての素朴さを大切にしながら大人へと教育するにはどうしたらよいか、という発想から、ルソーは「エミール」という教育学の本を生み出す。しかしこの着想も、モンテーニュの「エセー」からすでにみてとれる。

ニーチェの、宗教を完全排除した発想も、モンテーニュが見せた「キリスト教を知らない世界の人たち」というところから着想を得た可能性がある。モンテーニュの「エセー」は、デカルトやルソー、ニーチェといった「世界のOSを更新した人々」に、アイディアを提供したと言ってよいように思う。

ではなぜ、モンテーニュは他の人たちがなし得なかった自由な発想が可能だったのだろう?それには、彼の生い立ちも関係しているように思う。彼の祖先はもともとは貴族ではなく、商売で大成功して貴族の身分を購入したという家柄だった。だから、貴族の風習に染まり切ってはいなかった。

また、父親は「庶民の生活をよく知っている必要がある」と考え、農民の家にモンテーニュを預け、そこの子どもとして幼少期を過ごしている。こうした体験から、身分の上下で人を見るという貴族にありがちな特権意識から抜け出すことができていたのかもしれない。

また、母親はユダヤ系の人物であったと言われる。モンテーニュが生きた時代よりも前に、スペインでは国土回復運動(レコンキスタ)といって、イスラム教徒に支配されていた土地をキリスト教徒が奪い返すという運動が進み、のちにスペインやポルトガルといった国が生まれた。

そしてスペインやポルトガルといった国々は、キリスト教以外を許さなかった。このため、その土地に住んでいたユダヤ人はキリスト教に改宗することを余儀なくされた。モンテーニュの母親は、そうした家系の人物だった。宗教が持つ偏狭さへの反発が、こうしたところからもあったのかもしれない。

モンテーニュは、自身が生まれ育った生い立ちもあり、そして大航海時代に蓄積したアフリカやアメリカの見聞で、「キリスト教を知らない人たち」の世界を知り、その人たちを愛し、尊敬さえした。それを「エセー」という著作にしたことで、後世の人々に大きな影響を与えた。

モンテーニュ自身は「世界のOS」を書き換えたわけではない。しかし、その著作である「エセー」には、デカルトの生んだ合理主義、ルソーの生んだ民主主義や教育学、ニーチェの生んだ宗教の否定、という「新たなOS」の胚珠が存在した。その意味で、モンテーニュはとんでもない人物だと言える。

2月に出る新刊では、このように「世界のOSを書き換えた人物」を紹介している。これらの人たちの事績を見ることで、世界のOSの書き換え方のコツがわかるようにしたいと考えている。この作業に多くの方が参加すれば、世界はもっと楽しいものに変えられるように思う。

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