驚き欠乏症

人に関係する欲望の多く(もしかしたらすべて)は、「人に受け容れられたい、認められたい」を起源にしているように思う。名誉欲も、金銭欲も、人より優れていると誇る優越感も、人を見下す傲慢さも、それらは、受容感、承認感を得ようとしてねじ曲がって現れたものではないか、という気がする。

名誉欲とは、人から「すごーい!」と言ってもらえることが、人に受け容れられたかも、認められたかも、と誤解することができる点から生まれた欲望のように思う。社会には一応約束事があって、社会的に成功した人には敬意を示すという礼儀作法がある。そのおかげで、成功者は、一定の名誉が与えられる。

実際、専門の分野では、「この業績を上げるとは大したもんだ」という驚嘆の声が上がる。だから、その点で人に受け容れられた、承認されたと感じることはできる。それは事実。ただ、勘違いも起きやすい。「俺は業界では名の知れた人間なのだ」という傲慢さが生まれ、他の業界でも大きい顔しようとする。

仕事では出世もし、業績を上げ、業界では多大な貢献をした人としてあがめられても、家族ではそうでもなかったりする。ご近所では別だったりする。しかし職場では認められ、尊敬を集めているものだから、他の世界でも俺を認めろとアピールしてしまうことがある。

しかし残念ながら、その人たちには関係ない。もし仕事で多大な貢献をしていても、家族に対して冷淡な態度をとっていたとしたら、家族から敬意を受けることは難しくなる。ご近所に対して貢献していなければ、やはり冷淡な態度を取られても仕方ない。業界のことは業界でしか通じない。

出世欲も、人から受け入れられたい、認められたい、という変形した欲望かも知れない。昔は、出世することだけが、人間関係のネットワークの重要な場所(結節点)に位置することができた。ピラミッドの頂点に立てば、会社全員の結節点となることができる。これが受容感、承認感を与えてくれた。

しかし今はSNSがあるおかげか、会社の外に人間関係のネットワークを作れるようになった。何も無理して会社の中で人間関係のネットワークを作る必要はない。そのためか、今の人たちは出世する意欲が薄く、人の上に立ちたいという欲望が薄いという。6割の人が出世したくない、という調査結果も。

金銭欲も、お金を持っていたら好きなことができるだろうなあ、うらやましいなあ、と人から思われるであろう、という期待が、受容感、承認感と少し似ていて、それでお金持ちになりたい、という欲望につながるような気がする。しかし、利害がない人にとってはお金持ちであっても「あら、そう」状態。

誰かよりも優秀であることを見せつけて、優越感を味わいたいというのも、人から受け入れられたい、認められたい、という欲求の変形のように思う。子どもの頃は成績が良いと大人からほめられた。その経験が大人になっても忘れられず、優越していることを示したくなるのかもしれない。

人を見下す傲慢さも、人を見下せば自分が優越しているかのような勘違いをすることができ、受容感、承認感を少し埋めることができるような気がするから、そうした振る舞いをしてしまうのかもしれない。

しかし、名誉欲も出世欲も金銭欲も優越感も傲慢さも、真の意味で「人から受け入れられたい、認められたい」という感覚からはずれている。ずれているために、それらをどんどん追究していっても、逆に人の心が離れていく。形ばかりの承認が得られて、焦って、さらに追及して、また形ばかりで終わって。

孟嘗君や劉邦、劉備は、こうした人間心理をよく知り尽くした人間なのではないか、と思われる。人間は、「人から受け入れられたい、認められたい」という気持ちさえ満たされれば、名誉欲も出世欲も金銭欲も優越感も傲慢さも、二の次になり、一番大切な気持ちを優先するようになることを。

劉邦のライバル、項羽は、「どうだ、俺ってスゴイだろう」と部下や周囲に誇るところがあった。実際、傑出した能力の持ち主だったのだが、部下のすごさを認めるのではなく、自分のすごさを認めさせることを優先する傾向があった。それに対して劉邦は。

欠点だらけの人間だった。粗暴だし、品がないし、武力はないし、知力もない。人間的な能力で項羽に太刀打ちできるものはなかったと言える。ただ一つ、劉邦には卓抜した能力があった。それは、他人の「人に受け容れられたい、認められたい」という気持ちを満たす力。

それを象徴するエピソードがある。中国全土を統一し、功績第一の人間を表彰することになった場面。劉邦は何度も命を失いそうになり、その都度、命がけの戦いで部下に助けられているので、「俺こそは功績第一の人間」と思う人間がウジャウジャいた。で、功績第一の人間として名前が挙がったのは。

戦場に出たこともない、いつも後方で食糧や武器の調達係をしていた蕭何だった。なぜ?命がけで戦ったこともないのに?
そんな疑問が渦巻く中、劉邦は功績第一とした理由を述べた。「俺たちの食料は誰が送ってくれた?」

戦争となると、ついつい目覚ましく戦う人間、目立つ人間を評価してしまう。しかし劉邦は、兵士たちが飢えないように常に食糧をどこかから調達し、不足する武器を後方から送る蕭何がいたからこそ、負けても負けても「劉邦軍なら食える」となり、人が集まる力となっていた。

後方支援という目立たない、地味な仕事を劉邦は高く評価していた。こうした渋い鑑識眼を劉邦は持っていたからこそ、「劉邦のために頑張ろう」という人間を多数生んだのだろう。だから劉邦軍がよく負けても、再び劉邦の元に集まったのだろう。

劉備は、自分が死ぬ間際になった時、孔明を呼び寄せた。そして「息子に皇帝としての器があったら支えてやってくれ。でもその器でなかったら、君が皇帝になって国を治めてくれ」と遺言した。孔明は、家臣でありながらそこまで絶大な信頼を寄せてくれたことに感激し、以後、強い忠誠を誓い、活躍した。

孟嘗君や劉邦、劉備は「驚き上手」だったように思う。自分自身に大した才能はない代わり、部下の才能や努力に驚き、認めることができた人だったのだろう。自分の頑張りを認めてもらえた部下は、「自分は生きていていいんだ、生まれてきてよかったんだ」と心から嬉しくなったのだろう。

もちろん、多くの子どもは、親から愛され、あなたが生まれてきてよかった、と口にし、態度にも出す。しかし人間はどうやら、第三者からもそのような形で受け入れられたいと望んでいる。望んでいるのだが、第三者からそうした受容をされることはまずない。ちょっと褒められるくらいで終わり。

孟嘗君や劉邦、劉備は、「お前のおかげで私がある、お前がいなければ私は今頃どうなっていたか」ということを、部下に平気で言える人であったらしい。そう言われた部下は、「ああ、自分は生きていていいんだ、生まれてきてよかったんだ」と心から信じることができたのだろう。

心から受容された、承認されたと思うことができた部下たちは、孟嘗君や劉邦、劉備から離れようとしなかった。特に劉邦と劉備は負け戦が多く、散り散りバラバラに何度もなっているが、豪傑たちや軍師たちが再び終結した。自分を心から受け入れ、承認してくれた人のために。

YouMeさんが赤ちゃん連れての公園デビューで、不思議とママさんたちにスッと受け入れられるのが不思議だった。どうしているのか観察すると、公園の子どもたちの様子を見て、赤ちゃんに語りかけるように「あのお兄ちゃん、足速いねえ!」と驚いて見せていた。すると子どもはますますハッスルして。

「ぼく、こんなこともできるよ!」とアピール。YouMeさんはすごいすごい、と驚いて。そのうち「その赤ちゃん、おばちゃんの子?」と聞いてきて、「そうなの、遊んであげてくれる?」と頼むと、気持ちよく「いいよ!」と返事、赤ちゃんにオモチャを持ってきてくれたり。

すると「うちの子がよその子の面倒見るなんて珍しい」不思議に思った母親が近づき、声をかけてきたとき、YouMeさんは「うちの子面倒見てくれて、優しいお子さんですね!」と驚いて見せると、その母親もうれしくなって、ご近所の有益な情報を提供してくれたり。

「驚く」って、相手の受容感、承認感を一気に満たすもののように思う。驚くということは、心を開いていないとできない。もし心を閉ざしていると、内心驚いていても「へん、そんなことは大したことない」と見下そうとしてしまう。驚くには、素直に相手のパフォーマンスを評価する気持ちが必要。

赤ちゃんは、初めて立つとき、言葉を話すとき、親が心の底から驚いてくれた、ということを、どこかで覚えているように思う。だから幼児は「ねえ、見て見て」と言い、昨日できなかったことが今日できたことを見せ、驚いてもらおうとするのだと思う。

「驚く」という反応は、相手のことを受け入れた、認めた、ということを端的に表すもの。だから、驚いてもらえた人は、心を開くようになるのだろう。心開いてくれたことにまた驚くから、互いに心開き合い、驚き合うという関係が紡ぎやすくなるように思う。

面白いことに、自分のことで驚いてくれる人には、敬意を抱きたくなるものらしい。社会では、親以外に自分の成長や頑張りで驚いてくれる人に出会うことはめったにない。そんな希少価値な人を大切にしたい、という思いが湧くらしい。だから、驚くと、人からの親愛の情を受けることになりやすい。

また、「驚く」は「ほめる」と違って、未来を動かす。「ほめる」は過去の業績をほめている。このため、過去の業績を盾にとって「俺はすごい」と言い張る口実を与えてしまい、以後、頑張らなくなる傾向がある。

しかし「驚く」は、同じことでは驚けないから、次に驚かそうとすると、変化や工夫が必要。このため、また驚かせたいという人は、新たな工夫を考えるようになる。工夫を考えるから成長する。成長するから、実際驚かされることになる。

「驚く」ことは、人から受け入れられたい、認められたいという欲求を満たす、重要なカギなのかもしれない。もしこれがもっと得られるような社会になれば、社会は停滞することなく、健全に変化し、成長していけるようになる気がする。名誉欲とか金銭欲とかで釣る必要もなくなるように思う。

他者の工夫、努力、苦労に驚き、面白がること。それがもっと社会全体で意識され、そうするようにふるまう人が増えれば、社会はもっと面白い形で生き生きと躍動するように思う。私の夢想なのかもしれないが。

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