レイチェル・カーソンが歴史を変えた

関係性から考えるものの見方(社会構成主義)第7弾。レイチェル・カーソンについて。
彼女が「沈黙の春」を書くまで、化学の力を疑う空気はほぼなかった様子。それまでの農業は害虫との戦いで、イナゴに作物を食い尽くされることもあった。そうした被害がピタリと止まり、凶作が起きにくくなった。

第一次大戦で開発された化学肥料は、戦後社会でようやく大きく普及し、収量を劇的に増やした。戦前は南京虫やシラミに苦しめられていたのに、DDTの粉を頭からぶっかけられるとピタリといなくなった。こうした効果を目の当たりにした人々は、化学の力を信じずにはいられなかった。

一方で気になる現象が観察され始めていた。害虫でもなんでもない小鳥が死んでいく。いろんな地域で公害が発生する。そうした弊害が目につき始めたものの、化学のもたらす便益は害をはるかに超えると考えられていた。そんな中、「沈黙の春」が出版された。

生物濃縮のメカニズムが紹介された。脂に溶けやすい物質や重金属は、食物連鎖によってどんどん濃縮され、肉食動物は濃縮された化学物質や重金属で体調を壊す、という仕組み。これを一般向けにわかりやすく解説したもの。しかもその仕組みを放置すると。

春が来ても小鳥のさえずりさえ聞こえなくなるかもしれない。そんな情景を描いて見せた。この「沈黙の春」は化学の業界から猛反発を受けたものの、結局は生物濃縮しないような物質の開発、環境に悪影響を与えない化学の研究に大きくシフトさせることになった。

たった一人の物静かな女性が、なぜ当時幅をきかせていた大企業たちを向こうに回して、しかも業界の方向性を劇的に変える力となり得たのだろうか?
実はカーソンは、化学の力を否定していない。ただ、当時の化学薬品は人体への直接影響はチェックしても、環境への配慮は薄かった。

環境への配慮を欠けば、結局は人類の生きていけない星になるかもしれない。そうしたカーソンからの警告がプラスアルファされたことで、人類と環境との「関係性」が激変した。それまでは、自然は人類が貪るために存在するものでしかなかった。自然は人間に利用されるためにあった。

カーソンは、人間を環境によって生かされている存在だと描いて見せた。この考え方は、今の私達に通じるものの見方。カーソンが、環境と人類との関係性を激変させた、と言ってよいように思う。

今の私達は、地球温暖化など、環境問題が大きなテーマになっている。人類と環境の関係性を大きく激変させ、人類に環境のことを考えさせずにいないことにするのに、カーソンは大きな役割を果たしたと言える。内容に多少の瑕疵はあるけれど、関係性を変え、歴史を変えたというのは事実のように思う。

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