「工夫・発見・挑戦に驚く」と「さしすせそ」の違い

「工夫・発見・挑戦に驚く」について書いたところ、キャバ嬢の「さしすせそ」(さすが、知らなかった、すごい、センスいい、そうなんだ)と同じではないか、という指摘が複数あった。しかし、私は似て非なるものだと考えている。
https://note.com/shinshinohara/n/nf6129b0f0324

実際、キャバレーに通うおじさんは、その場でいい気にさせてもらうが、別にそれで何か進歩が起きるわけでも、仕事への意欲を湧きたたせるわけでもないのでは。むしろ仕事では行き詰っていて、それを嘘でもいいから大風呂敷広げて、一時だけでもいい気にさせてもらおうという感じじゃないかな、と推測。

ではなぜそうなってしまうのか。キャバレーの「さしすせそ」は、お客さんの外面的なものに驚いている。「さすが」一つとっても、「あなたという存在はすごいですね」とおだてている。あたかも偉大な存在であるかのように持ち上げている。その瞬間はいい気になれるかもしれない。でも内心は。

不安で仕方ないのかもしれない。お店の人にはいい顔を見せているけれど、本当は上手くいくんだろうかとか、いろんな気持ちが湧いてくる。「知らなかった」と言われて得々と教えても、仕事に戻るとそれが何の役にも立たなかったり。「さしすせそ」は、お客さんに改善をもたらさないように思う。

私は、存在に驚くことは避けている。相手がどんな存在であるかはどうでもよい。社会的地位が高かろうが、相手が子どもであろうが、そこは構わない。存在ではなく、相手の内面で起きたであろうことに着目する。とはいえ、心の中で起きたことは見えない。そこで、内面と深くかかわることに驚く。

それが、工夫・発見・挑戦・努力・苦労。どうやったらこの問題を解決できるだろうか?と工夫を重ねるその気持ち、何か打開策はないかと探して見つけた発見、どうにか克服してやろうと勇気を奮う挑戦、工夫をいとわない努力、上手くいかなくて工夫を重ねる苦労。それらに驚き、面白がることにしている。

すると、工夫・発見・挑戦をやめなくなる。面白くなって。何度も何度も挑戦する。何とかしようと工夫する。何度も工夫するから発見がどこかで起きる。それが面白くてたまらないから努力する。少々の苦労があってもものともしなくなる。こうして、能動的な形に変貌していく。

工夫、発見、挑戦をやめない人間は、必ずどんな分野でも能力を伸ばすことになる。どこまで能力が伸びるかは神のみぞ知るだが、その人の最速のスピードで伸びる。しかも楽しみながら。ワクワクしながら。楽しんでいるからのめり込む。のめり込むから能力開発が最速になる。

「さしすせそ」はそうはいかない。すでに出ている結果に驚いたり、過去の業績に驚いたり、社会的地位に驚いたりしている。これら「過去のもの」で驚くと、驚かれた側は過去さえ持ち出せば持ち上げてもらえる。それで勘違いして、過去ばかり自慢する。結果、「過去の住人」になってしまいがち。

でも、工夫・発見・挑戦に驚く場合は、常に新しいものでないと相手を驚かすことができない、と考える。だから、常に新しい工夫を探す。新しい発見をしようとする。今までにない挑戦をしようとする。未来を開拓しようという意欲が湧いてくるようだ。

「さしすせそ」は、相手を「過去の住人」にしてしまう一方、「工夫・発見・挑戦に驚く」場合は、未来を開拓するちょっとした冒険者を育むように考えている。確かに「さしすせそ」は驚いているようだけど、外面的なことに驚くために、相手を過去の住人にしてしまう。

驚くなら、「工夫・発見・挑戦に驚く」がよいように思う。もし可能なら、キャバレーも、そうした驚き方にしてみたらどうだろう。未来の開拓者を生み出す空間に変わるかも。飲み屋も、そんなあり方も面白いかもしれない。

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