専門家は「自分の言葉で話す」ができるのか?

今の農薬は人体に蓄積しないように設計されてる。だからこの人の言うとおり。なんだけど、生化学勉強するといい、は、ちと一般の人にハードル高過ぎ。経済ど素人の研究者にマクロ経済勉強するといい、と言い放つのに似てる。早い話、無茶。なので試しに、解説を試みる。
https://twitter.com/asahi_yama1/status/1475802336253845505?t=q_YjF__yZebbG-wxfzT6lg&s=19

レイチェル・カーソン「沈黙の春」が警告を発した頃の化学農薬には、二つの問題があった。水に溶けにくく、油に馴染みやすい性質(脂溶性)であったこと。そして、非常に分解しづらい化学構造だったこと。この二つの性質があると、体内に蓄積しやすい。生物濃縮が起きやすくなる。

なぜこの二つの性質があると生物濃縮したり体内に蓄積しやすいかというと、水溶性の物質でないと分解しづらいから。
人間の細胞は、油の膜(脂質二重膜)で包まれている。昔の油に馴染みやすい(脂溶性)農薬は、この油でできた細胞膜に溶け込む。すると、非常に分解されにくい。

水というのは、実は非常に反応性の高い物質で、水に溶ける物質(水溶性有機物)なら、少し時間が経てばたいがい分解してしまう。しかも人間の細胞の中や外には酵素という、いろんな物質を分解する仕組みもあって、水溶性のものなら、蓄積したくても分解してしまう。しかし。

油に溶ける農薬は、油の膜である細胞膜に溶け込み、水や酵素による分解作用から守られ、分解されにくい。油に守られてる感じ。しかも昔の化学農薬は分解されづらい化学構造にしてあったため、細胞膜に溶け込む一方で、全然分解しなかった。

レイチェル・カーソンや、多くの研究者からの警告もあって、化学農薬はその後、油に溶け込む性質ではなく水溶性の性質にしたり、分解しやすい部分(エステル結合)などをわざと仕込むことで、分解しやすく、体内に蓄積しにくい性質のものにデザインするようになった。

だから、今の農薬は、かけて数日くらいは効果を示すけど、二週間もすると効果を失う。分解されてしまうから。分解されやすいように設計してあるから。
ただ、レイチェル・カーソンらが指摘した時代の農薬のイメージが強すぎて、いまだに体内に蓄積する、という理解のままの人は多い。

ただ、こうした話をわかりやすく説明する人が少なすぎるように思う。自分に専門知識があるからと言って、「勉強せい」ではやや不親切だと思う。何かの専門家であっても、別の専門については無知だったりするのだから、お互い様ということで、わかりやすい説明は大切だと思う。

専門家って、一般の人に説明するのがヘタな人が多い。知識がありすぎて、アレを言うならコレのことも言っとかなきゃ、となり、情報過多で専門家でないと理解できない説明になってしまったり。あるいは専門用語を使わずに説明できなかったり。

専門家はしばしば、相手に合わせて説明するということをほとんどしたことがない。相手に合わせるのではなく、自分に合わせろと相手に要求するしかない人も。けれどこれでは、象牙の塔にこもって出てこず、専門家でございとふんぞり返っていると思われても仕方ない。

若い頃、「朝まで生テレビ」を見ていたら、会場から若い人が発言。しかし、どこかの評論家の言葉をコピペしただけの内容。パネリストから「自分の言葉で話しなさい」とたしなめられると、「自分の意見を述べてます」と怒った。でも私から見ても、他人の意見のコピペだと思った。

その後も朝生では学生がコピペ意見を言うばかり。パネリストからは自分の言葉で話せ、と指摘が繰り返された。その通りだな、と思いつつ、「自分の言葉で話す」って、どういう状態なんだろう?と考えると、わからなかった。そのことを知人に相談すると、次の回答が。

「相手に合わせて言葉を選べることじゃないですかね?」
私は思わず膝を叩いた。その通り!
真に理解できている場合、相手が首を傾げていたり、わからないでいるな、と感じたら、別の言い回しをして、それも相手が理解できそうな言葉の中から選んで話すことができる。

「自分の言葉で話す」とは、「相手の反応を見て、相手の理解できそうな言葉を選んで言葉を紡ぐ」ことだとは!「自分」なんてフレーズあるから勘違いしかけていたけど、実は相手の語彙力に合わせることが「自分の言葉」だったなんて!

そう考えると、専門用語でしか説明できない専門家は、実は「自分の言葉で話す」ができない人なのかも。相手の語彙力の中から言葉を選んで言い換えることができないということは、実は、深くは理解できてないのかも?

Google翻訳などの人工知能による翻訳は、「言い換え」ができるようになっている。昔は「食べる=eat」みたいな、硬直的な翻訳しかできなかったのが、場面に応じて自然な翻訳ができるようになっている。これは人工知能の中に、英語でも日本語でもないメタ言語があるからではないか、とされてるらしい。

メタ言語が育っているから、ここはこう言い換えた方がわかりやすいな、という表現に置き換えることができる。人工知能による翻訳はいわば、「自分の言葉で話す」ができるようになり始めているともいえる。だとすると、専門用語しか使えない専門家は?

専門の内容を、専門家ではない一般の人にも伝える工夫は、訓練すれば可能。それを専門家はしなさすぎたきらいがある。一般の人に何が伝わればよいのか、それを伝えるにはどうしたらよいのか。専門家も、ちょっとは努力した方がよいのでは、と思う。

アインシュタインも、おばあちゃんにも理解できるようにたとえ話を、と言ってたらしいし。ならば、専門家も専門用語で閉じた世界に閉じこもらず、日常用語で説明するテクを磨いた方がよいように思う。

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