なぜ「ナメられる」のか

この文章書いたら、ナメられるという意見が複数寄せられた。劉備みたいにリーダーが部下に頭を下げたりへりくだったりしたらナメられるということらしい。私はそうは思わないのだが、この「ナメられる」という現象は興味深いのでちょっと考えてみたい。 https://t.co/2Hkqk8vc3O

「強いリーダー」のイメージが昨今の日本では強い。部下の意見をいちいち聞かず、命令に盲目的に従わせるのが強いリーダーだと考える人は多い。けれど、部下からの忠告に耳も傾けず、愚かな命令ばかり発するリーダーの方が内心ナメられるという実態がある。強いフリすりゃいいというものでもない。

他方、部下にこびへつらうようではナメられる、というのは事実。では、劉備や劉邦はどうだったのだろう?劉備は知力も武力も、部下に勝てなかった。劉邦も同じで、かつ下品で粗野でもあり、部下からからかわれるくらいくらい。たぶんナメられてた部分もあった。でも部下は離れなかった。

後漢の創始者、光武帝も、お忍びで城の外に出たら閉め出され、部下から軽口叩かれてる。見ようによってはナメられてる。ところが劉備も劉邦も光武帝も、親しまれ、軽口も叩かれるくらいだったが、決して部下が離れなかった。能力的に上な部下たちに囲まれて。なぜか?

ナメられる上司は、「結果」をほめてる、というのが私の仮説。結果をほめると、部下は不安になる。同じ結果を今後出すことができるか不安だから。そこで上司のほめた言葉を言質にとって、「俺はやればスゴい、今はやらないだけ」という論理に逃げ込む。そうすれば過去の栄光に守られて生きていける。

そして、上司をナメる。なぜか。将来、上司から落胆されても心にダメージ受けずに済むように、「こんなヤツからバカにされても痛くもかゆくもない」と自分に言い聞かせるために。
つまり、結果をほめることで部下の不安と防御反応を招き、上司を軽んずることで心を守ろうとするのだろう。

部下に敬意を払い、部下の意見を尊重するのにナメられない上司、リーダーはどうしてるのか。工夫、努力、苦労に驚いてる、というのが私の仮説。
劉邦が天下統一に成功し、軍功第一は誰か、を表彰することに。劉邦はしょっちゅう死にかけ、部下に命を救われていた。だからオレかも、という部下多数。

そして氏名が発表されると、どよめいた。なんと、戦場に出たことがない、戦ったこともない、後方で物資を担当していた蕭何が!劉邦の命を助けたわけでもない蕭何が!
何で命をかけて戦った俺たちを差し置いて?劉邦はその疑問に次のように答えた。「誰が俺たちに食糧を送ってくれた?」

劉邦軍の不思議なところは、ライバルの項羽軍と違ってよく負けたのに、負けても負けても復活する点だった。それは、蕭何が食糧や武器を必死にかき集め、前線で途切れないようにしてたから。「劉邦軍ならメシが食える」、これが劉邦軍の強さの秘密だった。

蕭何が、縁の下の力持ち的な、だけど全然目立たない部署で獅子奮迅の働きを見せたのは、劉邦がそれを高く評価していたからだろう。誰のおかげで劉邦軍が成り立っていたのか、正確に見極めていた。その渋い観察眼が、蕭何のような目立たない部署の人間も奮い立たせていたのだろう。

劉邦や劉備、光武帝が、部下から軽口叩かれるような関係でありながら、部下たちが離れなかったのは、華々しい結果に目を奪われることなく、人知れず重ねる工夫、たゆまぬ努力、克服した苦労の数々をよく観察し、それを評価していたからだろう。

工夫、努力、苦労はどちらかというと心の内面で起きることなので、見えにくい。結果と違って評価しづらい。しかし、心の中で起きたことに気づいてくれると、いちばん嬉しい。ちゃんと見てくれていた、というのがいちばんよくわかるから。

自分の内面の工夫、努力、苦労に気づき、驚き、きちんと評価してくれる人は貴重。だから、そんな人は手放したくなくなる。また、自分を高く評価してくれる人は偉い人であってほしい。偉い人から評価されてる方が自分の価値も高まるから。だから、親しまれるが、ナメられない。敬意をもたれる。

変に強がり、強権で言うこと聞かせようという方がナメられやすい。結果ばかりほめて部下をおだてようとするのもナメられる。けれど、部下の内面の工夫、努力、苦労に気づき、驚き、面白がる上司は、親しまれてもナメられず、むしろ敬服される。私はそんな風に思う。

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