身体(無意識)を信頼する

私は生来、創意工夫、臨機応変といったものが大の苦手だった。正解のあることなら丸暗記して実行あるのみだから、なんとかできた。受験勉強も愚直に、教科書や過去問を丸暗記して対応した。
女性との当意即妙なやりとり?んなもん無理に決まっていた。不器用極まりない人間だった。

変わるきっかけとなったのが、教育実習での「実験」。それについては前に書いたから繰り返さないけれど、この実験の前と後とで大きな違いがある。「失敗してはいけない」という「呪い」から、自分を解放できた、という点。
https://note.com/shinshinohara/n/n0a3b71319e65

それまでは「失敗したらどうしよう」だった。だから必死に前例を踏襲しよう、正解を丸暗記しよう、正しい方法を正確に実施しよう、としてきた。自分をガチガチに枠にはめて、その外にはみ出ないようにしよう、と。

しかし私は気づき始めていた。「もっと身体を信じた方がよいのでは?」ということに。
私は受験勉強も不器用そのもののやり方だったが、運動もその調子だから超苦手だった。キャッチボールで顔面強打は日常茶飯事。体力だけあったのでただ走るだけならそこそこ速かったが、臨機応変の球技はダメ。

そんなとき、老荘思想を読んだ。妙なことだが、その時から少しずつ運動が得意になってきた。特に、私にとってヒントになったのが「庖丁」のエピソード。
庖丁(ほうてい)は、包丁の語原にもなった、昔の料理人。ある時、王様の目の前で牛を丸ごと一頭解体した。まるで踊るかのように、音楽のように。

王様はあまりの見事さに大興奮。スパスパ牛が解体されていく様子を見て、「さぞかし切れる包丁なのだろうな」と尋ねた。ところがそれに対する庖丁の答えは意外なものだった。
「普通の料理人は切ろうとします。すると刃がスジや骨に当たってすぐに欠けてしまいます」

「私は牛を心の眼で観察します。やがて、スジとスジのスキマが見えてきます。私はそのスキマにそっと刃を差し入れるだけなので、ハラリと身が離れます。切ろうとしていないので刃がこぼれることはなく、むしろ切れば切るほど研ぎ澄まされ、もう何年も研いでいません。」

私はこの庖丁のエピソードを次のように解釈している。普通の料理人は、「牛とはこういうものだ、牛を解体するにはこうするものだ」という「正解」を胸に抱いてしまい、目の前の牛を見るのではなく、心の中の「正解」に従って切ろうとしてしまうので、刃がスジや骨に当たってしまう。

しかし庖丁は、目の前の牛を、穴があかんばかりによくよく観察し、心の中の無意識が、スジとスジのスキマを発見するまで、ともかく観察したのでは。だから自然と「ここがスキマだな」というところが見つかり、そこに刃を差し入れるだけでよかったのだ、と。つまり、徹底した観察。

そこで私は、テニスの壁打ちやボーリングで試してみることに。それまでテニスだと、ホームランになったりネットにかかったり。望ましいところになんか全然ボールが向かってくれなかった。ボーリングは、狙った方向とは全然違う方に転がっていった。まあ、大変な不器用ぶりだった。

私は、体の操縦を「身体(無意識)」に任せてみることにした。心(意識)がコントロールしようとするのを「めっ!身体に任せて!身体を信頼して!」と何度も言い聞かせた。テニスで壁打ちして、ホームランになったりゴロになったりしても、意識に支配権を渡さず、身体に委ねた。

身体(無意識)はよろしくやってくれる。意識はそれを邪魔しないように。身体が自然と、どんな加減で体を動かせばよいのかを学べるように。失敗も大切なデータ。責めることなく、経験値として生かしてもらうよう。ひたすら身体を信頼し、委ねる。
すると、狙ったところにボールが行くようになった。

テニスのボールも、ボーリングのボールも、意識し過ぎるとあさっての方向に飛んでいくけど、身体を信頼し、任せ、委ねると、身体はよろしく体を動かしてくれた。どの筋肉をどの程度強めたらよいか、どの部位をどの角度にしたらよいか、それらのタイミングを調整するという複雑な計算を身体は実施する。

ぎこちなかったスポーツが、意外にこなせるようになってきた。「正解」を知る意識に操縦を任せるより、言語も何もない無意識や身体に操縦を任せた方が、最初は試行錯誤が必要で失敗するかもしれないけれど、確実にうまくなっていくことが分かってきた。
あれ?意識って、かなり不器用?

教育実習の「実験」は、それらの体験を踏まえてやってみよう、と思い立った。それまでの塾での指導体験から、こういう時はこうした方がよいというパターンは見えてきてはいた。ところがそうした「正解」に気がつくのはいつも事後。子どもには個性があってバラバラ。だから前の正解は別の子には不正解。

「この子にはこうした接し方の方があってるかも」という「仮説」はおぼろげながら浮かんでいるのに、過去の「正解」にしがみついては失敗し、を繰り返していた。
もしかしたら無意識は、身体は、意識よりも賢いのかも。意識が訴える正解は聞き流して、身体に聞いた方がよいかもしれない。

教育実習では、その瞬間その瞬間に、身体(無意識)が教えてくれる「次はこうしてみたらよいかも」を思い切って採用し、やってみることにした。すると、驚くほど臨機応変ができた。当意即妙の対応ができた。「あ、今の失敗」と思っても、すぐリカバーする柔軟性を発揮できた。

その翌年、阪神大震災。誰も正解が分からない大災害。私は「意識」をかなぐり捨て、身体が、無意識が指し示す「仮説」をまずは信頼し、その通りにやってみることを徹底した。初めてそこで私を知る人は、私を臨機応変なことができる人間だと思った様子。わずか一年前ではそうではなかったのに。

その後、私のこうした変遷を見事に言語化している本に出会った。「新インナーゲーム」。テニスコーチのガルウェイ氏は、ある時、生徒をほめた。「バックハンドが上手になったね」次の瞬間から、その生徒はホームラン連発するように。「違うよ、さっきはこんなフォームだったよ」さらにぎこちなく。

教えれば教えるほど、誤りを指摘すれば指摘するほど、正解を伝えれば伝えるほどぎこちなくなり、うまく行っていたものもうまく行かなくなる現象にほとほと手を焼いていたガルウェイ氏は、ある時、こんな不思議な問いかけをしてみた。「ボールの縫い目を見つめてごらん。スローモーション見る気分で」

すると、フォームのことも何も言わないのに、ホームランだったボールがコートの中に落ちるようになった。身体が勝手に学び、微調整してくれたからだ。

ガルウェイ氏はセルフ1、セルフ2と読んでいるけど、これらは意識、無意識(身体)と言い換えて差し支えない。意識は支配したがり、口出したがり、そして罵り上手。無意識(身体)はもちろん無口、意識が出しゃばってくるとすぐ引っ込んでしまう臆病なところがある。けれど体と思考を動かすのが上手。

意識というのは、体や思考の操作がとてもヘタで不器用。しかも一度に一つのことしかできない。なのに出しゃばり。口出したがり。で、体や思考の操作を意識に委ねてしまうと、実に不器用なことになる。なのに操縦権を手放そうとせず、「下手くそ!こうだと言ってるだろう!」と、操縦桿を強く握る。

でもそのせいでガチガチになり、余計に失敗する。失敗すると、「もう失敗するわけにいかない」とますます操縦桿を強く握る。ますます失敗する。「失敗したらどうしよう」の恐怖にとらわれる。なにせ、意識は「下手くそ!こうだと言っとるだろうが!」と罵るのがことのほか上手だから。

「失敗してかまわんよ。それも大切な経験値。どんどん失敗して!体験して!」と、失敗に対する恐怖、呪いを解除し、無意識(身体)に体と思考の操縦を任せると、スルスル上達する。

私は部下育成本や子育て本を書かせて頂いたけれど、自分を再教育する本はまだ書けていないな、と思っていた。三冊目、四冊目の本は、まさにそれに該当する。特に四冊目の本は、不器用極まりないない自分から、どうやって身体を信頼するに至るか、を中心に据えて書いた。
https://t.co/ik1ixtrgNX

身体(無意識)を信頼し、委ねることで不器用さがほぐれたとしても、創意工夫の能力は、さらにその上のステージ。天才の領域とされる分野。けど、なんか悔しい。創意工夫はピリともできなかった私でも、なんとかする方法はないか?二十年調べ、三冊目の本としてまとめた。
https://t.co/9QloXqzDos

私はもっと、身体(無意識)を信頼し、委ねてよいと思う。意識は愚かで不器用な割に専制君主。身体は控えめで、すぐ引っ込んでしまうけど、頭の先からつま先まですべての筋肉、関節を同時に制御するという複雑なことをやってのける。心の隅の引っかかりにも目を配る行き届いた神経を持っている。

たぶん、今の私からは、20代前半までの私を想像することは難しい。私は相当の不器用者だった。それは、失敗を恐れたが故に意識に操縦権を委ねてしまったから。もっともっと、身体(無意識)を信頼した方がよい。だって、私たちは無意識にシャツだって着られるほど身体は賢いのだから。

カッターシャツの袖を通す、という動作は極めて複雑で、ロボットに実行させようとしても難しい。ところが人間は、三歳くらいになるとできるようになってしまう。関節の角度や力の込め具合、シャツを後ろに回すタイミングと手を差し入れるタイミング、これら複雑な動作を同時に計算し、動かす。

そんな複雑なことができる身体(無意識)に、体と思考の操縦権をもっと委ねた方がよい。意識はとてもとても不器用なのだから。意識に任せてよいのは、観察だけ。観察以外のことを任せるとろくなことにならない。

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