バイエル再考

前回ピアノの習い方についてつぶやいたところ、大変大きな反響があった。バイエルの練習がつらくてピアノを諦めた、という声が多く寄せられた。
他方、ピアノ指導をされている方から「バイエルが悪いわけではない」というご指摘を頂き、詳しくお話を伺うことができた。

バイエルは練習曲を世に出す際、次のような言葉を残しているのだという。とても素晴らしいと思ったので、紹介したい。

「この本は、はじめてピアノを弾く人が最も優しい方法で、良いピアノ奏法を会得するように手ほどきをすると言う目的を持っています。これは子供の為に、特に幼い者の為にあまり広い範囲(音域)に渡らないで、段階を追って進んで行くように考慮されています。

 ピアノのあらゆる困難な奏法を完成し、装飾音を漏れなく取り上げて検討するなどと言う事が、ここでは目的とされていないことは前にも述べた通りです。

 ただ初歩の学習書があっても良いと思うので、生徒が1年か2年間けいこするために必要な教材を示しただけであります。
このような本は今までになかったと言えましょう。
そして、この本はこどもが幼い時から先生の教授を受けるようになるまでの間、音楽の素養がある両親にとっても入門指導書として役立つ者と思います。 フェルディナンド・バイエル」

バイエルが、子どものことを思って作成したその気持ちがよく伝わってくる文章。そんな思いで作られたものが、子どもに悪いはずはない。うまく活用すれば、バイエルの練習曲は子どものピアノの習得にとても役に立つだろうと思われる。今に至るまで残ってきたのも、それが理由だろう。

ではなぜバイエルの練習曲が、多くの子どもたちをピアノ嫌いに追い込むきっかけになってしまったのか。「勉強」だったからではないか、という気がする。

ある人が面白いことを言った。「子どもは勉強嫌いだというけれど、学ぶことは本来楽しい。強制されるから嫌いになるのでは。テレビゲームでも、もし「ラスボス倒すまでは晩御飯抜き」と強制され、ゲームのやり方もいちいち口を出されたら、そのゲームは嫌いになるのではないか」。

勉強という言葉を中国人の人に聞くと「無理やり強制される」という意味に感じるという。確かに「勉(つと)めて強(し)いる」のだから、強制そのもの。多くの子どもが学校での学習を嫌いになるのは、「勉強」させられるから、つまり強制されるからかもしれない。

前回の反響の中には、バイエルの練習曲に楽しく取り組めた、という人もそこそこいた。技術的に難なくできたという人だけでなく、途中までしか達成できなかったけれど、先生の指導がうまかったからか、楽しく取り組めたという人も結構いた。

他方、バイエルの練習曲がなかなか進まないので嫌になってピアノ教室をやめた、という多くの声を聞くと、「先生に強制された、それ以外の道を許されなかった」というのが非常に多かった。つまり強制だったから、バイエルの練習曲が嫌いになった、ということのようだ。

宿題で計算カードというのがあるのだけど、息子はつまらない様子だった。3歳くらいから計算が得意だった息子は、足し算や引き算の計算をこなすだけの作業がつまらなかったらしい。その様子を見て、私は黙ってスマホのストップウォッチ機能で時間をはかり、終わった時点で「○○秒だった」と伝えた。

すると、翌日から「お父さん、ストップウォッチ!」と言って、タイムを計るようになった。毎日最短記録を出そうと必死。タイムが悪かったらもう一回、またもう一回。タイムを計るという要素を加えただけで、計算カードはゲームになった。

大切なことは、こうしたゲーム性を加えるなど、「面白き事もなき基礎面白く」という工夫が大切なのだろう。バイエルを楽しく取り組めた人が結構いたという事実は、指導者がうまく工夫して楽しめるようにしていた人が昔からいたということを表しているのだろう。

また、性格にもよる。私は実は、内職が好き。紙を折って封筒に入れる、という単純作業が大好き。1時間でも2時間でも楽しく取り組める。こうした性格の人間は、他の人が単調でつらいと文句を言う作業でも、むしろ楽しんで取り組めたりする。

バイエルの練習曲がどういう性格の人に合っているかは、ピアノを習ったことのない私には想像もつかないが、性に合っている子どももきっといるように思う。性に合う子どもからバイエルを取り上げるのは、むしろ理不尽なことになってしまうだろう。

そういう意味では、前回のまとめで「脱バイエル」のようなことを書いたのは、明らかに偏向していたように思う。反省し、改めたいと思う。前回のスレッドの最後に、今回の考察を付記しておこうと思う。

大切なことは、特定の何かが悪いわけではなく、道具は使いよう、ということだろう。また、子どもによっては性に合う場合もある。指導者が子ども相性を見極め、その個性を見極めて材料を選び、取り組み方も工夫する。それぞれの子どもが楽しんで取り組めるように。それが大切なのだろう。

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