「驚く」は関係性を良好にする潤滑油

関係性から考えるものの見方(社会構成主義)、たぶん第20弾。
大学合格祝いに、父の友人が先斗町(京都)の小料理屋に連れて行ってくれた。しばらくすると、外でガハハ笑い。「京都のことなら俺に聞いてくれ!お、ここ良さそうだな!」と大声で入ってきたのは、高そうなスーツに身を固めた二人。

ところが店の主人、「すみません、予約でいっぱいで」と、申し訳なさそうに。やむなく、そのお客は出て行った。
そうかあ、空席があるけど、予約客かあ。でも、いつ来るのかなあ?と思いながら、料理を食べていたが、一向に来る気配がない。

すると、女性客二人が扉を開け、「あのう、京都の料理を勉強したいのですが、大丈夫でしょうか?」と。そしたら店の主人、「どうぞ」と、予約客が来るはずの席に誘導!私は目を丸くして驚いた。え?さっきの客は断っていたやん?え?予約客は?いいの?父と父の友人は、ニタニタ笑っていた。

店を出た後、解説してくれた。「お金を持っているかもしれないが、あんな大声で京都のことを何でも知っているかのような傲慢な客が店にいたら、雰囲気が悪くなる。でも、それを理由にしたら角が立つから、予約客がいることにしてやんわり断ったんだよ」

「一方、女性客は勉強させてほしい、と言っていただろう。実際、料理が一つ出るたびに驚きの声を上げ、店の主人もどこの産地で、どんな調理法か気持ちよく説明できる。私たちも一緒にいて勉強できたし、楽しかっただろう?店の雰囲気を守るのも、大切な仕事なんだよ」

私に子どもが生まれる頃、「公園デビュー」という言葉が話題になっていた。乳幼児を抱えた母親が初めて公園に子供連れで行ったとき、ママさんの輪の中に入れないと、ずっと二人ぼっちで孤独に時間を潰すハメになる恐怖を表した言葉だった。私はYouMeさんがそうならないかと心配していた。

「公園デビュー」当日、私はYouMeさん赤ちゃんと一緒に同行した。ところが私の心配をよそに、間もなくYouMeさんは他のお母さん方と会話が弾み、赤ちゃんもよその子が一緒に遊んでもらえたり。あれえ?

私は不思議に思い、YouMeさんを観察することにした。大阪に行ったとき、当然ながら初めて行く公園。ところがYouMeさんはここでもお母さん方とすぐに親しくなる。ええ?なんで?でも、観察した結果、その秘訣が見えた気がした。YouMeさんは「驚く」人だった。

公園に入ると、赤ちゃんに聞かせるように「うわあ、あのお兄ちゃん、足が速いねえ!びゅーん!」「わあ、あのお姉ちゃん、雲梯が上手だよ!ぴょん、ぴょん!」そんな風に公園にいる子の様子に驚いていると、自分のパフォーマンスに驚いている大人がいることに気がつき、「僕、こんなことできるよ!」

「わたしはねえ!」と、子どもたちが次々にアピール。YouMeさんはそのパフォーマンスを見て「すごいねえ!」と、赤ちゃんに語りかける形で驚く。そのうち、「ねえ、その子、おばちゃんの子?」と声をかけてくれる子が。「うん、そうなの。一緒に遊んであげてくれる?」と頼むと、「いいよ!」

うちの子がよその子の面倒を見るなんて珍しい、と近寄ってきたお母さんに、YouMeさんは「うちの子、遊んでもらっちゃって。本当にしっかりされたお子さんですねえ!」とまた驚いて。するとすっかり気を許したお母さん、地元のお得情報を提供してくれたり。すっかり打ち解けて。

へえ!「驚く」って、こんなにも関係性を円滑にする力があるのか!YouMeさんから教えてもらった。思えば、子どもが生まれる前、YouMeさんと北海道に行ったときのこと。場外市場で出ていた試食を食べて、「おいしい!あなたも食べてみて!」と驚きながら私に勧めてくれた。

私も「うわ!これむちゃくちゃおいしい!」と驚いていると、「え?そんなにおいしいの?」と、他のお客さんが集まり出し。その様子に気がついた店の主人、YouMeさんに試食させれば客が集まるとみて、「これも試してごらん」「これもおいしいよ!」と、次々に別の商品の試食を出してくれた。

YouMeさんと私のいるところは人だかりができて、試食でおなか一杯になったころには、かなりの売り上げ貢献になった様子。YouMeさんは驚き上手で、その驚きは、人を動かす力がこんなにも大きいのか!と、そのとき感じたことを思い出した。

私たち家族は今、農村部に住んでいる。不動産屋には「田舎だから、都市部で暮らしてきた人は、なじむのに苦労するかも」とアドバイスされていたけれど、YouMeさんのおかげですんなりなじむことができた。「うわあ、大きなダイコン!本当に頂いていいんですか!」「わ!この沢庵、ムッチャおいしい!」

YouMeさんが驚きの声を惜しみなく上げるのもあるからか、ご近所の皆さん、本当によくしてくれて。私が仕事でいないとき、急に雨が降ってきた。幼稚園の息子に傘を持って行かないと。でも赤ちゃんどうしよう?と困っているとき、お向かいの方が「赤ちゃん預かるよ」と言いに来てくれた。

YouMeさんは「本当にありがとうございます!助かります!」と驚きの声を上げながら感謝。実際、驚くばかりのご親切だと思う。こちらが頼まなくても、気を利かせて言いに来てくれたのだから。こちらを普段から気遣って下さるから、できたこと。本当にありがたい。今の時代、奇跡のような話。

人間の悩みの大半は、人間関係のように思う。そしてどうやら、人間関係を良好にする非常に有効な手段は、「驚く」ことのように思う。特に、相手の好意の発生に驚くと、好意はますます提供されるという好循環になることが多い。

好意を示してくれる、というのは奇跡のようなこと。こちらからはいかんともしがたい。好意を示すかどうかは、まったくの相手次第なのだから。こちらとしては諦めるしかない。まな板の鯉になるしかない。ただ。

そうしたあきらめの境地に立ったうえで、相手がたまたま見せてくれた好意、それが発生した奇跡にこちらが「驚く」と、それに喜ぶと、かなりの再現性で好意が寄せられるようになる。どうやら、人間は、驚かすのが大好きな生き物らしい。驚いて喜んでくれるのがとても好きな生き物らしい。

だから、相手の好意を当然視せず、それは自分にはいかんともしがたい「奇跡」なのだと考えていると、好意が来た時に「驚く」ことになる。その奇跡に喜ばずにはいられなくなる。すると、相手は「こんな程度で驚いてもらっちゃ困るな、これはどうだ!」と、もっと驚かそうとしてくれる。

相手の好意に驚き、喜んでくれる人には、もっとやってあげたくなる。人間には、そうした心理があるらしい。そう考えると、「驚き、喜ぶ」という行為は、何かしてもらったときに起きる感情なのだけれど、驚かすことに成功した側からすれば、驚きはプレゼントのように感じるのかもしれない。

ならば、私たちはもっと「驚く」ことを惜しまないようにした方が、良好な関係を築けるように思う。ところが少し古い世代の男性は、この「驚く」ことができない「呪い」にかけられていることが少なくない。「その程度で驚くと思うなよ」と、意地になって驚こうとしない人が少なくない。

年配の男性は、経験豊富なフリ、賢いフリ、何でも知っている知識人のフリ、をしたがる傾向がある。そのフリを守るためには、「そんなことくらい、以前から知っていたさ」という反応をしなければならない、と考える「呪い」にかけられている。そのために、驚くことができない。当然視しようとする。

でも、相手から好意を寄せてくれるって、奇跡的なことではないだろうか。どんなに経験豊富でも、賢くても、知識があっても、好意を寄せてもらえるかどうかとは話が別。ならば、好意を寄せてもらえた奇跡に驚くことは、なんら問題がないように思う。

また、いくら経験豊富でも、賢くても、知識があっても、知らないことはたくさんある。気づかなかったことはたくさんある。それを知ることができた奇跡に、驚けばよいと思う。また、たとえ知っていたことだとしても、相手が教えようという好意を示してくれた「奇跡」には驚かずにはいられないはず。

興味深いことに、こうした「驚こうとしない」年配男性でも、驚かすことは大好き。俺の知識、賢さ、経験に驚くがいい!と、驚いてくれる人にはどんどんしゃべる。ただ、こうした人は、同時に相手を見下し、自分の優位を示そうとする悪いクセがあり、人間関係に遠心力が働く。

「驚かすのが大好き」という自分のことを考えたら、「驚く側に回ればよい」ことに気がつくはずなのに、どうしたわけか、賢いと思われたい年配男性は、驚く側に回ることを「負け」だと感じてしまうらしい。いつまでも驚き、感謝せねばならない屈辱の立場に陥ってしまう、と恐れているらしい。

これは恐らく、社会体験が刷り込まれているのかも。驚こうとしない年配男性も、かつて会社で働いていたころは、お客様、あるいは取引先には驚いて見せていたはず。「素晴らしいお召し物ですね!」と、腰を低くして驚きの声を上げていた記憶があるのかも。

その体験を思い出して、「驚くことは屈辱であり、自分の無力を認めることであり、負けを認めることであり、自分の立場を低くする行為である」と、条件反射的に考えてしまうのだろう。
でも、私の見るところ、「驚く」そのものにそんなものは必ずしも付随しない。むしろ尊敬を集めることさえある。

変に卑屈にならず(私なんてまだまだ、とか、余計なことは言わない)、ただただ相手の好意や工夫に驚いていると、相手は「こんなに素直に驚き、感謝してくれる人は、大切にしたい」と思うようになるらしい。態度がむしろ、謙虚になることが多い。

ある時、初対面にもかかわらず、私の発言を全部悪く解釈する人がいた。どうやら私の悪口を聞いて、先入観を持っているらしい。しかしそれを誤解だと主張しても、むしろ先入観をより強化するだけに終わるだろう。そこで私は相手の話を聞くことにした。「どんなお仕事をされてきたんですか?」

「へえ、それはどんな風に進めるもんなんですか?」「え?でもこれ、解決するの難しかったでしょ?どうやったんですか?」「なーるほど、そういう手がありましたか!ははあ!」と、問いかけてはその答えに驚いてると、だんだん相手の顔の険しさが消え、機嫌のよい顔に変わってきた。

やがて「私はあなたを誤解していた。実は会う前にあなたの悪口を聞いていて」と白状してくれ、悪口を言っていた人も教えてくれた。以後、その人は私をよく飲みに誘ってくれるほど仲良くなった。

「驚く」というのは、人間関係を円滑にするすばらしい潤滑油だと思う。しかも、しばらく「驚く」をしていると、相手も「こんなに驚いてくれる人、いったいどういう人なんだろう?」と興味が湧くらしく、今度は聞き手に回り、私の話に驚いてくれるようになる。こうして、驚き合いの関係に変わる。

驚き合う関係性は、互いに新鮮な知識を得ることができ、互いに工夫を重ねる意欲が湧き、互いに自然に好意を示したくなり、互いに感謝し合う関係を作るのに、とても有効なように思う。このことをもっと意識的に取り入れると、人生、結構面白いように思う。

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