耕作放棄地で牛を養えるか?ざっくり試算

うーん、一つ、肝心な点に触れていないのが残念。「日本は狭い」ということ。鬼頭宏「人口から読む日本の歴史」に詳しいけれど、江戸時代が終了して以降、日本が耕地面積を大幅に増やすことができたのは「秣場」を耕地に変えたことが大きい。
https://cigs.canon/article/20230217_7279.html?fbclid=IwAR3290EUgYenzmEW5AVdm-8HOMbT0tLqMWA7w4UxTd6sW6NgXeo7W4xOQk8

江戸時代、日本は(限られた国としか交易しない)鎖国状態だったため、食料も肥料も海外から輸入することはなかった。このため、田畑に投入する肥料は国内でなんとかまかなわなければならなかった。その時重要だったのが、肥料源を供給してくれる秣場だった。

秣場で草を刈ってそれを肥料(刈敷)として田畑に鋤き込んだり、農耕馬や牛を秣場の草で育てたり。肥料を得るための場所が秣場で、田畑とは別に広大な面積を確保しておく必要があった。このため、江戸時代の耕地面積は300万haで頭打ちになった。

これが約100年後の1960年代に600万haへと耕地面積を倍に増やせたのは、肥料を確保するための秣場を耕地に変えたことが大きかった(もちろん開拓も進めたことも大きい)。では、なぜ江戸時代になくすわけにいかなかった秣場を耕地に変えてしまうということができたのか。

それは明治維新が起きて開国し、貿易するようになったから。貿易すると、海外から肥料を輸入できるようになった。すると、肥料源としての秣場を確保する理由が薄れた。それでも第二次大戦が終わるまで、牛馬は田畑を耕す重要な動力だったから、そのためにも秣場は必要だった。ところが。

第二次大戦が終了すると、「燃料革命」が起きた。牛馬で耕すのではなく、石油で動くトラクターが耕すようになった。すると、牛馬を飼っておく必要がなくなる。となると、秣場を確保しておく必要もなくなる。こうして秣場は耕地になり、1960年代には過去最大の耕地面積を誇るようになった。

今、日本は耕地面積が434万9,000haにまで減っている。最大だったときと比べて160万ha以上が耕作放棄地になった計算になる。では、この160万haを、改めて秣場として牛のエサを供給する場所として、放牧場所として利用したとしたら、どうなるか。

牛を育てるため、今の日本は、トウモロコシや大豆粕をエサとして海外から輸入している。トウモロコシの輸入量は2,600 万トン。日本の牛、豚、鶏を育てるには、これだけのトウモロコシが必要。これを、耕作放棄地の160万haで育てられるか?を考えてみよう。

2600万トン÷160万ha=16.25トン/haとなる。1haあたり16.25トンのトウモロコシを作れたら良い計算。
日本のトウモロコシ生産は、スイートコーンだと、全国平均は10トン/ha。ちょっと足りない。青刈りトウモロコシだと50トン/ha。でもこれは葉っぱとかも含んだ量。

もし耕作放棄地でしっかりトウモロコシを作れるなら、ギリギリ輸入量に相当するトウモロコシを作れるだろうか。ただし、もう一つ重要な試料である大豆ミールは作る余裕がなさそう。豚や鶏を育てるのがこれでは難しくなる。

もし耕作放棄地でトウモロコシを育てるのではなく、牧草地にして牛を放牧したら?牧草はトウモロコシほど高カロリーではないため、牛を育てられる数はかなり減るかもしれない。これもちょっと計算してみよう。牛を放牧で育てるには、1頭当たり0.3~0.35 haほどの牧草地が必要であるらしい。

日本で飼われている牛の頭数は135万6,000頭(令和3)らしい。135.6万頭×0.35ha=47.46haとなる。あれ?高カロリーなトウモロコシを育てて牛のエサにするより、牧草地の方が必要面積が減る?これなら、耕作放棄地で牛を育てられる計算にはなる。

ただ、もちろん課題はある。日本の畜産は狭い場所にたくさんの牛を集めて、海外から輸入したトウモロコシを食べさせるという、場所をとらない形で牛を育ててきた。これは高カロリーなトウモロコシがあるからできた方法。でももし放牧するとなったら。

全国各地に分散する耕作放棄地に、電柵を設けてそこに牛を放ち、育てる、ということになるだろう。これまでの畜産農家の経営手法とはまるで違ってしまう。耕作放棄地はところどころ分散しているから、一か所で飼える頭数は限られるだろう。

また、牛は野生生物ではないから、たとえ1頭であっても、雨露しのげる牛舎が必要。そういうのを、あちこちに分散した耕作放棄地に建設することができるのか。そもそも、そうした牛舎をどれだけの人数で管理できるのか。

どうやら、数字上だけで計算すれば、耕作放棄地でそこそこの頭数の牛を放牧できる様子ではある。課題は、牧草の管理を仕切れるのかとか、各地に分散した牛をどうやって管理するのかとか、管理技術の可能性を検討する必要がある。

となると、今の酪農家がそんな劇的に形の違う経営に移れるかというと、やはり厳しい。計算上はどうやらできなくもないけど、実際問題、耕作放棄地で牛を放牧するシステムに移行するまでに、相当な時間とコストが必要になる。既存の酪農家はまず移行が難しいだろう。

それに、酪農は、一か所に集まっているからたくさんの牛から搾乳できて効率的だけれど、放牧となると、大面積が必要な割に飼える頭数が限られる。となると、搾乳の手間が非常にかかるかもしれない。耕作放棄地はズタズタバラバラに存在するから、その点も難しい。

現実問題、どうやって海外の飼料に依存せずに酪農などの畜産を維持できるのか。簡単ではない。数字上は可能でも、移行期間が相当長くないと難しい。相手は生き物だし、経営も生き物だから。
うーん、難しいなあ。

あ、でもあれか。牛はトウモロコシのみにて生きるにあらず。牧草も必要。トウモロコシだけ食べるとおなかが張って大変なことになるらしい。あれ?だとすると、やはり耕作放棄地全部を牛の飼料に回しても足りないか。うーん、やはり、放牧で今の牛の数を維持するのは難しそう。

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