経験を積むには「失敗を楽しむ」

先日、体験が欠乏すると学習に大きな問題が出かねないこと、体験さえ重ねればその問題を解決できる可能性があることを紹介したら、ずいぶんとバズった。その折、「できるだけ子どもに体験させてやろう」というご意見をたくさんいただいた。その際、注意いただきたいことを。

自然のある場所に連れて行ったり、一緒に料理をすれば体験が増える、という風に思われがち。でも、もしそれらが子どもにとって「押しつけ」になってしまうと、それは体験、経験にならない。「押し付けられた嫌な思い出」になりかねない。体験、経験をするためには「楽しい」が大切。

何度も紹介しているけれど、ナイチンゲールに次のような言葉が。
『経験をもたらすのは観察だけなのである。観察をしない女性が、50年あるいは60年病人のそばで過ごしたとしても、決して賢い人間にはならないであろう。』

「観察」がないと、体験していても「経験」にならない。どういうことか?

これも前に紹介した子どもの例だけど、海に連れて行くと「ゲームセンターは?コンビニは?なんもないやん!」と言った子どもが。海があるやん、海で遊べや、というと、これ見よがしに落胆。持参していた携帯ゲームで遊び始めた。私は意外に思った。ボーイスカウトを長くやっていたと聞いていたから。

するとその父親が、自動車からイスと机を出し、備え付けの冷蔵庫からビールを取り出して、テレビを見ながら飲みだした。そして父親は「小さなころから自然のあるところに連れて回った」と話し始めた。その当の子どもの様子がアレなので、興味が湧いてどう連れて回ったのか聞いてみた。

早く目的地に着いて一杯飲みたいものだから、子どもが花や虫を道中で発見し立ち止まろうとしても「自然の場所にそうしたものがあるのは当然だ、さあ先を急ごう」と急かしたのだという。そして目的地に到着したら子どもにはマンガを、自分はお酒を飲んだ、という。

確かにその父親は、子どもを自然でいっぱいのところに連れて行ったかもしれない。しかし観察することを楽しまなかった。子どもが観察して楽しもうとしてもそれを許さなかった。自分自身も、自然に何の興味もなく、汗をかいた後の一杯を楽しみにしていただけだった。

ここでナイチンゲールの言葉に戻ると、観察しなければ、あらゆる体験は「路傍の石」になる。私たちは道端の石ころが目に入っても、それに注意が向くことはない。無視してしまう。見えていても見えない。それでは、いくら体験していても観察していないから「経験」にはならない。

では、「観察」するにはどうしたらいいのだろうか?「楽しむ」ことだと思う。赤ちゃんを見ていると、「観察」を非常に楽しんでいることがわかる。丸い穴には丸いものを、四角い穴には四角だけが通る知育オモチャがある。赤ちゃんは丸い穴に三角のを通そうとしたり、いろいろ試行錯誤を繰り返す。

大人はついつい、この時、早く正解にたどり着かせようとして口を出してしまう。しかし赤ちゃんはこの時、重要なデータを集めている最中。丸の穴には他の形のものが通らない、という重要なデータを集めつつ、その現象を身をもって観察している。この失敗は、「形が違うものは違う」というデータになる。

赤ちゃんや幼児は、失敗も含めていろいろ観察し、楽しんでいる。かじってみたり、投げてみたり、叩いてみたり。いろんなことをしてそれの素材や、壊れやすいかどうか、どんな音を立てるのかとか、五感を通じた様々な情報を入手しようとする。まさに「観察」を行い、楽しんでいる。

ところがしばしば、大人はすぐに正解にたどり着かせようとし、その結果、観察を楽しめなくしてしまう。ゴールに早くたどり着かせようとした、ボーイスカウトの少年の父親のように。早くゴールにたどり着くよう急かされた子どもは、いつしか観察して楽しむという楽しみを見失う。

観察して楽しむコツは、失敗を楽しむこと。キュウリを斜めに切って楕円にするのも、あまり成功させようと急かさず、「さて、細長いマル(楕円)にするにはどうしたらいいかなあ?」と、一緒にどうしたらいいのか、考えてみる風がよいように思う。

ジャガイモの皮むきも、最初は身が多く削れて、もったいないと思うかもしれない。しかしそれもご愛敬。どうしたら薄く皮むきができるかなあ?と、失敗を楽しみながら、工夫すればよいのだと思う。やがて、子どもは「こうしたほうがいいんじゃない?」と、工夫を思いつく。親は「やってみなよ!」

子どもが観察し、工夫を重ねるのを、親が驚き、面白がれば、子どもはどんどん工夫を重ねる。新たな工夫をしようと思ったら、現象を観察せずにはいられない。だから、新たな工夫をするように促せればよいことになる。そして新たな工夫を促すには、言葉で促しちゃダメ。それではかえってやる気を失う。

工夫を促すのに一番よいのは、驚くことのように思う。たとえその工夫ではうまくいかないことがわかっていても、能動的にそうした工夫を考えたことに驚き、「まずはやってみようか!」とやってみる。上手くいかなければ、なんでだろう?と一緒に悩み、現象をもう一度よく観察する。

すると、子どもは新たな工夫を思いつくだろう。親はそれに驚き、「やってみよう!」と喜べばよい。それを繰り返すうち、子どもは現象をよく観察し、工夫を考えることそのものを楽しむようになる。そうした習慣が身に着けば、自然と日常から観察を楽しむようになる。経験が蓄積する。

そうした状態になることを促すのが、子どもの工夫・発見・挑戦に「驚く」ことだと思う。子どもが能動的に工夫しようとした、発見した、挑戦しようとした、というその「奇跡」に驚き、「ぜひその工夫、やってみてよ!」とワクワクしてみせる。それが、子どもの能動性を促進するように思う。

だから、親は、無理に体験させよう、やらせようとしなくてよいように思う。子どもがやってみたい、挑戦してみたいと言い出したらそれに驚き、危険がない限り「やってごらんよ」と言ってみる。そしてうまくいかなくても一緒に観察を楽しみ、新たな工夫を考えることを楽しむ。

新たな工夫を子どもが口にしたら、それに驚く。それを繰り返せば、子どもは非常に広い分野の現象に興味を持ち、観察し、工夫し、「経験」を蓄積するように思う。親が、子どもの工夫・発見・挑戦に驚くことが、子どもの経験を増やす触媒になるのではないか、と考えている。

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