パワハラ上司への対処法

パワハラ上司に「驚き、面白がる」は有効か?という質問があった。私はむちゃくちゃ有効だと考えている。
ある時、初対面にも関わらず私にひどく悪印象を持っている人が訪問してきた。私の喋ることを全て悪意で受け取ってしまう。どうも誰かから私の悪口を聞いてきたらしい。

相手の解釈の間違いをいちいち反論しても、おそらくその人は言い訳の多いやつだと思うだけで終わるだろう。
そこで私は反論することを諦め、その人の話すこと一つ一つに「驚き、面白がる」ことにしてみた。

まず私はその人に質問してみた。「どんな仕事をしてきたんですか?」相手が話してくれたら「ほう、それはどういう内容のものなんですか?」と重ねて質問。また答えてくれたら「へー!それは面白そうですね!」と驚き、面白がり、さらに問いを重ねていく。その答えに驚き面白がる、を続けていった。

すると、自分のことに興味を持ってくれ、言葉一つ一つに驚き、面白がってくれる私に対して、印象が変わっていったらしい。だんだんと柔和な顔になり、楽しそうに話してくれるようになった。最後には私のことを気に入ってくれ、私の悪口を誰から聞いたのかまで白状してくれた。

パワハラを仕掛けるような目上の人は、実は気が弱く虚勢を張っていることが多いように思う。実は不安で仕方がないから自分から攻撃し、わざと嫌われにいっている面がある。自分はもしかしたら何をしても嫌われる人間かもしれないという不安を打ち消すために、先に自分から嫌われに行っている。

だから、自分の話すこと、やることに驚き、面白がる人に出会うと、自分が肯定されたようで嬉しくなるのだろう。ホッとするのだろう。そんな人には滅多に出会えるものではない。人生において何人出会えるかどうか。それがわかるから、次の機会からは、あなたのことを大切にするようになるだろう。

あなたのことを理解しようとし、無理を言わないようになるだろう。「驚き、面白がる」は、年上のパワハラ上司にもかなり有効、というのがこれまでの私の経験則。もしこの点で苦労されてるなら、お試しになるといい。

このスレに対し「奴隷しぐさだ」という指摘が。なるほど、そう誤解される向きもあるだろうから、ちょっと補足。
もし相手の言うこと全てに同調し、賛意を示し、「そうですよね!」なんて言っていたら、それは追従になってしまう。相手は自分の手下ができたと思って傲慢になり、むしろ増長することも。

私は、人をバカにしたり傷つけたりする発言が嫌い。だからそうした発言まで「驚き、面白がる」ことはできない。ではどうするかというと、「ところで聞きたいことがあるんですけど」と、質問がある体でいきなり話を変えてしまう。人の悪口を言ったり見下したりする発言に対しては、話題を変えてしまう。

自分の好きじゃない話題がきたら別の話題に質問の形で切り替えることを何度かすると、相手は「こうした話題はあまり好きじゃないんだな」と察してくれる。そして、こちらの好きな話題や話法だと気持ちよく驚き、面白がってくれることがわかると、そっちの話題になるべくしてくれるようになる。

テレビゲームで、これをゲットしたら得点になるけどあれとぶつかったらダメージになる。そんな「構造」を、「驚き、面白がる」と「質問で話題を変えてしまう」を組み合わせることで作り上げると、ゲームをするのと同じように、得点になる行動が自然に増えてくる。

関係性が良好な方向に進まずにはいない「構造」を作る。それには「驚き、面白がる」と、「質問で話題を変える」という2つの反応をするようにしたら、相手はその様子を探りながら得点ゲットし、減点を減らす言動が増えてくるように思う。

質問で話題を変えようとしても、嫌な話題の話を続けようとする場合は、悲しい顔をするとよいように思う。「すみません、私はその手の話題が苦手で」。そう言うと、相手も無理強いすることは大概なくなる。あなたの面白い話題は聞きたい、でも悲しい話は聞きたくない。それは伝えてよい。

あなたが相手の面白いところを発見しようとする姿勢がある限り、相手はあなたのことをそうそう否定することはない。こういう話題は嫌なんだな、で済ましてくれる。あなたが相手のことを「驚き、面白がる」限り。人間って恐らく、いくつになっても人を驚かすのが好きだから。

ところで、飲み屋のスキル「さしすせそ」と混同する方も。「さすが!」「すごい」と驚き、客をいい気にさせるテクニック。確かにこっちも驚いてるから、似ているように見える。しかし私は驚くポイントとして、「人物」ではなく「工夫・努力・苦労」がよいと考えている。

「人物」に驚いてしまうと、相手がどう振る舞おうと「すごい」という特権を与えてしまう形となる。こうした驚き方をすると相手を増長させてしまう。努力せずに、工夫もせずに「オレはすごい」になってしまう。こんな状態の人とは付き合いづらい。飲み屋の客ならお金を落とすカモかもしれないけど。

私は相手がどうであるかではなく、相手が何をしたかを問うことにしている。そしてその時どんな努力をしたのか、どんな苦労があったのか、それをどんな工夫で克服したのかを訊ねる。そしてその工夫・努力・苦労に驚くと、ふしぎなもので増長は起きない、というのが私の経験則。

それは恐らく、工夫も努力も苦労も一過性のものであり、また工夫や努力、苦労に驚いてもらおうと思ったら、次なる工夫、努力、苦労が必要であることが無言のうちに伝わるからかもしれない。
これが「人物に驚く」だと話が違ってくる。

今後、なんの工夫をしなくても、努力や苦労を重ねなくても、過去の栄光ですでに自分はすごいということが決定づけられていると勘違いさせてしまう。しかも、その「人物」にこちらがひれ伏すという関係性が出来上がったと勘違いさせてしまう。「人物に驚く」ことの弊害。

しかし「工夫・努力・苦労に驚く」場合、過去と同じことをしても驚かせられないことを無言のうちに悟ってもらうことが可能。同じ工夫では二番煎じだから驚いてもらえないことがわかるから。
だから私は「工夫・努力・苦労に驚く」ようにしている。

こうして、「工夫・努力・苦労に驚き、面白がる」と、嫌な話題には「質問して話題を変えてしまう」、いざとなったら「悲しい顔をする」と、パワハラな人とも良好な関係性に持っていきやすいと私は考えている。もちろん、会う人みんなにそれをやる程人生はヒマではない。

必要に応じて、今、この人と対することが宿命であるならば、「どうせなら」の精神で、良好な人間関係になるような「構造」を作ってはいかがだろう。その構造を作れるかどうかは、案外、受け手であるこちらに主導権がある。どうせなら楽しめる関係性を作ってはいかがか、と考える。

なお、これと同じ手法はカーネギー「人を動かす」にも。モンスタークレイマーの顧客に「なるほど、お客様のお怒りはごもっともです」と一緒になって怒り、それで相手が拍子抜けしてる間に相手のことを訊き、相槌打ってる間に機嫌が良くなり、いつの間にかお店の一番の応援団に変わった、という話。

ただ、「人を動かす」では事例紹介はされてるのだけど、いま一つ理論化というか、言語化されていない。相手を増長させる追従とどこが違うのか明確にされていない。少々言語化不足の感は否めない。

今回は皆さんのご意見を踏まえながら、誤解されやすい追従とどう違うのか、言語化を試みた。うまく行ってるかどうかはわからないが、みなさんも検証作業に参加してみてほしい。

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