チヤホヤされる主人公・・・ちいかっぱ的妄想

子どもが登校前に見てる「はなかっぱ」に、ちいかっぱという自称「リッチなお子様」が出てくる。自分がみんなからもてはやされ、愛され、尊敬されまくる主人公になる妄想をよくしてる。ちいかっぱを見てると、自己顕示欲のカタマリのおかしさがわかるとともに、若かったときの自分が恥ずかしくなる。

特に男性に多い傾向を感じるけど、新天地に飛び込んだとき、俺様がどれほどすごい人間かをアピールしてしまう人が少なくない。気持ちはわかる。新しい世界で受け入れられるか不安。うまくやっていけるか心もとない。そんな不安を打ち消すため、「オレはかつて」と名乗りをあげてしまう。

ナメられるまい、として虚勢を張る。しかしその結果、逆に「この人は傲慢そう、きちんと働いてくれるというより周囲を説教してふんぞり返りそう」という印象を与え、拒絶されることになりかねない。長く会社勤めをしてきた人は、引退後もその時の自慢を続けることが結構多い。

私はなんとなく、ちいかっぱと同じ妄想があるからこうした行動をとってしまうのかも、と感じる。ちいかっぱの言葉にひれ伏す人々。そのかっこよさに参ってしまう女性たち。そんなチヤホヤ世界を妄想してしまう自分が、どこかにあるのかもしれない。

田舎に移住した人が、自分は大企業に何十年も働いてきた、というキャリアを理由に、地域の人よりいっとう値打ちのある人間のように振る舞い、その結果、総スカンを食う話をよく聞く。当然自分のキャリアにひれ伏すと思っていたら案に相違して拒絶され、「田舎者は頑迷だ」と腹を立てたり。

卒業して何十年経っても出身大学の自慢をする人もいる。日本は比較的学歴への敬意は払われる方だから、その場は一瞬鼻白む空気になるかもしれない。が、誰も気分はよくないから、当然「イヤなヤツ」認定されるのがオチ。なのにやっちゃう人がいるのは、「ちいかっぱ的妄想」なのかも。

これさえ持ち出せば自分はその場のヒーロー、主人公になれるかもしれない。そんな妄想があるために、謙虚になるどころか傲慢に振る舞ってしまうのかも。水戸黄門の印籠のように、自分の強みを示して人をビビらせようとする。でも、そうすればそうするほど人は遠ざかる。

数年前、スタッフを募集したとき、定年退職した男性からの応募もあった。面接すると、「ついこないだまで自分があなたたちの立場で、人を品定めする側だった」と、かつての自分はえらかったアピール。
うん、この人雇ったら、説教ばかりされて働いてくれなさそうだな、と思ってご遠慮願った。

子どもは、幼稚園や保育園、あるいは小学校で子どもだらけの空間に放り込まれると、自分のことなんかお構いなしの存在だらけなことを学ぶ。親や祖父母は子どもである自分を中心に動いてくれるけど、先生は児童たちは自分を必ずしも相手してくれない。そうして「他人」という存在を学ぶ。

けれど、周囲の人たちが自分を中心に動いてくれた赤ん坊の頃の記憶が、どこかに残っているのかもしれない。いつか赤ん坊の時のように、自分が主人公になる世界を作れるかも。そうした「ちいかっぱ的妄想」は、なかなか手放せないものなのかもしれない。

自分は、百人いれば百人の中に埋もれてしまう、ありきたりの人間。その事実を受け入れることができず、自分は特別に違いない、特別に扱ってほしい、いや、特別に扱いやがれ、という「ちいかっぱ的欲望」が、私たちを突き動かすことがある。この妄想からいかに脱却したらよいのだろう?

赤ちゃんを連れて公園へ。YouMeさん、「公園デビュー」。最初にママさん集団に入り損ねるとずっと子どもと二人ぼっちになるという話を聞いていたので、心配していた。ところがYouMeさん、いつの間にかママさん達と仲良く歓談。あれ?

それが偶然でない証拠に、大阪の初めて行く公園でも、見知らぬママさんとおしゃべり始めた。いったいどんな魔法使ってるのだろう?と、YouMeさんを観察してると。
公園に着いたらまず、赤ちゃんに語りかけるように、公園にいる子どもたちの実況中継を始めた。

「わあ、あのお兄ちゃん、走るの速いねえ、ビューン!って」「あのお姉ちゃん、雲梯上手だねえ!ぴょん、ぴょん、って」
自分のことを見てると気づいた子どもたちは「ねえ、見て!こんなこともできるよ!」とYouMeさんにアピール。YouMeさんはすごいすごい、とますます驚く。

このおばさんは自分をよく見てくれ、よく驚いてくれることに嬉しくなった子どもは、YouMeさんに関心を持ち、「その子、おばあちゃんの子?」と聞いてくる。「そうなの、遊んでやってくれる?」と言うと、「いいよ!」と言って、自分のおもちゃを貸してくれたりする。

自分の子どもが、見ず知らずの子どもの世話を焼きだしたことに驚いたお母さんが近づいてくる。YouMeさんは「ありがとうございます、息子の面倒見てもらっちゃって。優しいお子さんですねえ!」と驚きの声をあげたら、そのお母さんも嬉しくなり、地元の有益な情報教えてくれたり。またYouMeさん驚き。

そうか、相手をよく見て(観察)、ちょっとしたこと(差分)を見つけたらそれをはじめとする言葉にし、驚いてみせると、もっと驚かせようとサービスしてくれるようになるのか。それは子どもも大人も同じなのか。自分に驚いてくれる人には、特別な親近感を覚えるのか。

横山光輝「三国志」を読んだとき、奇妙な気持ちになった。それまで読んできた漫画の主人公は圧倒的に強かった。ところが劉備玄徳は、部下の張飛や関羽と比べてムチャクチャ弱い。後に登場する孔明と比べても賢くない。なのに主人公張れる。いったいどういうこと?

YouMeさんを見ていて得心した。劉備は驚いていたから人の上に立てたんだ。
それを象徴するシーンが漫画「三国志」に登場する。百万の軍勢に囲まれながら、命がけで劉備の息子を救い出した超雲。ところが劉備は息子の無事を喜ぶ前に、超雲に詫びた。「危険な目にあわせて済まなかった」。

劉備は、自分のことをさておき、部下がパフォーマンスを見せたとき驚き、孔明が素晴らしい知略を見せたときに驚く「驚き屋」だった。すると不思議なことに、どんな豪傑も、孔明のような名軍師も、劉備のために懸命に働き、劉備をあがめ、援けた。なぜか。

自分の存在価値を心から認め、承認してくれる人なんて、親や祖父母以外の第三者であり得ないから。自分を認めてくれる人は貴重。
そして自分を認めてくれる人は偉い人であってほしい。偉い人であれば、その偉い人を驚かせる自分の価値も高まるから。

人のパフォーマンスに驚いてみせるのは、一見下手に出ているように見える。実際、劉備が孔明のもとに三回も訪問してやっと会えたエピソード(三顧の礼)では、張飛は激怒。そこまでわが主君が下手に出る必要はない!と。しかしだからこそ、孔明は劉備のために粉骨砕身働いた。

その人のパフォーマンスに驚き、その人の存在価値を認め、かけがえのないものだと捉えてくれる人は貴重。だからこそ、大切にしたくなる。失いたくなくなる。その人は素晴らしい人であると周囲にアピールしたくなる。それにより、自分の価値も引き上げられるから。

劉備や劉邦、光武帝の特徴は、部下にへりくだることで部下からあがめられ、尊重される、ということを知っていたこと。謙虚に頭を下げ、相手の存在価値を認め、パフォーマンスに驚くことで、部下は粉骨砕身の働きを見せることに、きっと気づいていたのだと思う。

自分が謙虚になり、相手に敬意を抱くから、相手は自分を特別な存在に思ってくれ、敬意を抱いてくれる。互いに尊敬しあう関係、ますますハッスルし、工夫に励む関係になるコツ、それは「驚く」ことにあるのではないか。

こうした方法、道があることを知っていると、「ちいかっぱ的妄想」に囚われる誘惑から逃れられるのではないか。人に敬意を抱き、自分にないものを見せてもらったときに驚く。特に工夫に驚く。すると、尊敬しあうというとても嬉しい関係を築けるように思う。

漫画「ワンピース」は、最近読んでないけど、主人公のルフィは「オレは料理を作れねえ」「オレは船を操れねえ」とか言って、自分に欠落したものを仲間に補ってもらっている。仲間となったメンバーは、自分がチームの中で不可欠な存在であることに喜びを感じ、居場所を見つけている。

リーダーというのは、へりくだる、謙虚になることにより、その返報として尊敬が帰ってくる、という構造になってる気がする。謙虚な気持ちだから相手がしてくれたことに驚き、感謝できるのかもしれない。

良寛さんが渡し船に乗った時。船頭は何をどう聞いたのか「こいつが有名な良寛という坊主か」と考え、困らせてやろうと舟から叩き落とした。袈裟を着ていて思うように泳げず、溺れた良寛さん。もう沈んでしまう、というギリギリのところで船頭は引き上げた。すると良寛さんは「あなたは命の恩人です」。

向こう岸に着いても、心から感謝してる様子で、両手を合わせる良寛さんの様子に、船頭はあっけにとられた。自分がわざと舟からたたき落としたのはわかっているはず。殺そうとしたと恨むならわかるが、どうやら本気で命の恩人だと思っている様子の良寛さんを見送った後。船頭は深く後悔した、という。

良寛さんはたぶん、このまま殺されても仕方ない、と覚悟を決めていたのだろう。人は気まぐれで、ほんのいたずら心で人を殺めてしまうこともある。何かの間違いで良寛さんを心から恨んでいる人間がいないとも限らない。そう良寛さんは、厳しい修行を重ねて諦念に至っていたのだろう。ところが。

船頭の心の中に、そろそろ助けてやろう、という仏心が芽生えた。それによって良寛さんは命を救われた。そのまま殺されても仕方ないところを、助けられた。だから良寛さんは「あなたは命の恩人です」という言葉を出せたのだろう。

良寛さんが亡くなったとき、弔問客の列がものすごく長く続いたと言われている。良寛さんは、庶民の心の中にポッと顔を出す仏心に驚き、それを喜べる人だった。それを見いだされた経験のある人は、自然と良寛さんを慕うようになったのではないか。

相手の工夫、努力、苦労に驚き、面白がることは、下手に出ているようで、実は互いに尊敬しあう関係を築くための最初の一歩のように思う。新しい人間関係を築かねばならなくなったら、相手の工夫、努力、苦労に驚き、面白がってみてはいかがだろう。やがて、相手はあなたを尊重してくれるように思う。

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