格差の放置は、虐げる者が虐げられる者になる逆転現象を引き寄せる

私は非常に屈折していて、株主資本主義など、お金持ちに有利過ぎる社会システムを批判するのは、「お金持ちの人たちにも死んでほしくないから」だ。

私はいわゆる社会的成功者の人達から「弱者、低能力者は淘汰されてもしかたない、それが環境問題、エネルギー問題の解決にもなる」という発言を、違う場面で聞かされることが相次いだ。コロナの間はそれが下火になったが、コロナが下火になるとまたぞろこうした発言を耳にするようになった。

しかし、誰かのことを死んでもかまわない、殺されても仕方ないと考える思考法は、いずれ自らに跳ね返ってくる。それを歴史は教えてくれる。
戦前、資本家は労働者をバカにし、弱肉強食が世の習いと説いて、その人たちが淘汰されても仕方ない、という考え方をしていた。すると。

共産主義という、価値を転倒させた思考が支配的となり、むしろ資本家こそが有害無益な存在とされ、全財産を没収されたり、あるいは殺された。資本家たちが労働者を見下したことで、労働者が資本家を見下す社会を招き寄せてしまった。

ポル・ポトは、知識人という知識人を殺した。文化大革命も知識人はかなりの虐待をされ、場合によっては殺された。私が思うに、これには前段となる背景があったのではないか、と思われて仕方ない。知識人が高い社会的地位と豊かさを独占し、一般の人々を見下す風潮がこの前に存在したのではないか、と。

現在、ITの知識のある人は数千万円の賃金をもらえるという。どこの企業もIT化を進めようと、人材争奪戦。需要と供給で考えれば、需要が大きいのに人材不足のIT人材の給料が高騰するのは当然、その知識のない人は低賃金でも仕方ない、という空気が再び世を覆いかけている。

IT人材の需要があるのは当然だろう。IT化を進めようという企業が多いのも当然ではあるだろう。しかしそれらが当然であるからといって、非IT人材の人たちのことを忘れ、軽視することを当然視し始めたとしたら、そこから狂いが生じる。価値観というのは、容易に逆転させることが可能だからだ。

なるほど、ポル・ポトによる知識人虐殺は、国の発展を大幅に遅らせることになった。文化大革命での知識人の虐待は、中国の発展を大幅に遅らせることになった。結局は自らの不利益を招くことになってはいるのだが、たとえそうなることが分かっていても「許せない」、と、人間はなることがある。

ポル・ポトの前に知識人が一般大衆を見下す空気は蔓延していなかったのか。文化大革命の前に、知識人が一般市民を愚かだとバカにする空気は蔓延していなかったのか。もしその空気が支配的だったとしたら、「お前らだけ恵まれる社会を許すくらいなら、地獄へ道連れにしてやる」という思考も生まれ得る。

民主主義を破壊する力、資本主義を破壊する力は、知識やお金の力を利用して、それらを持たない人たちを虐げ、バカにしたとき、育まれる。そして、知識の力もお金の力も否定する価値観によって覆され、強みは弱みとなり、虐げていたものが虐げられる側に転ずる。歴史はそれを繰り返している。

「格差」は、現在の社会のルールを覆してでもそれを是正しようとするエネルギーを生む。フランス革命が起きたのは、貴族が豊かな暮らしを謳歌する中、庶民が飢えて死ぬような苦しみを放置したことがすさまじいエネルギーとなったからだ。王侯貴族が支配するという価値観をひっくり返してしまった。

現在の社会システムでは、知識のあるもの、お金のあるものが恵まれるシステムになっている。そのために、それらを不幸にして持ち合わせていない人たちが虐げられる構造になっている。それを当然視する人が増えた時、是正しようという力が弱まった時、ある力が急激に増幅される。

社会の価値観を逆転させる力だ。虐げていたものが虐げられ、見下していたものが見下される社会への逆転。その逆転が起きてから、それは資本主義に反するだとか、社会の発展につながらないとか言っても無駄。たまりにたまった憎悪を報復の力にすることが最優先になっているのだから。

私は、今、社会で有利とされる立場にいる人たちにも、死んでほしくない。悪い人間ばかりではないことを私は知っているから。しかし、その人たちがもし、「あいつら力も知識もない人間は死ぬしかない」と言い出したら、「価値観の逆転」を止めようがなくなる。次に虐げられるのはその人たちだ。

竹中平蔵氏は新著で、「勉強、努力」と言い出しているようだ。これは裏返せば、現在社会的に苦しい立場の人たちを勉強不足で努力不足だからそんなことになるのだ、と見下す考え方が背景にある。そしてこれに同調する人が再び増えているようだ。

しかし、「あいつらは死んでも仕方ない」と考えている人間が増えれば増えるほど、「価値観の逆転」を自ら招くことになり、「そう考えてきたお前こそが死んでも仕方ないよね」という思考を生み出しかねない。歴史はそれを繰り返している。それを決して忘れてはいけない。

私は誰であろうと、残虐に殺されるようなことは起きてほしくない。起きてほしくないからこそ、強者が弱者を愚か者呼ばわりし、虐げても平気な発言をし、事態を放置することを批判する。もしそれを改めなければ、次に虐げられるのはその人たちだからだ。そんな愚かなことは繰り返してはならない。

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