依存症の問題は「他との関係性」が切れてしまうから

依存症の問題は、他の関係性を絶ってしまうことにあるように思う。
アルコールにしろ、ギャンブルにしろ、ゲームや麻薬にしろ、依存症になると、「依存先」との関係性だけ深め、他の(依存先との)関係性がどんどん断ち切れてしまう。そのために孤立化し、誰とも関係を結べない人になってしまう。

溺れる者はわらをもつかむ、という。依存症に陥る人は、すでに多くの依存先(関係性)と縁が切れ、もはや依存症の対象しか関係性を結べない、と思い込んでしまっているのかもしれない。
「家栽の人」に、シンナー少年が登場する。専門家に相談すると「シンナーとお友達になってしまう」という説明。

シンナーだけがお友達。他の関係性はどれも居心地が悪い。だからシンナーとの関係性にだけズブズブとのめり込んでいく。依存症は、他との関係性(依存先)がどうも上手くいかない時に起きやすいもののように思う。そうなるのは、その依存先が「お友達」だからなのかもしれない。

登場人物の弁護士は、少年にシンナーの恐ろしさを教えようと、自らシンナーを吸ってアホ顔になる様子を見せたりする。しかし恐怖でシンナーから遠ざけようとしてもうまくいかない。それどころか、なんと母親が、荒れる息子をなだめるためにシンナーを買い求め、息子に与えていたと知って驚愕。

ではなぜ息子が荒れ狂ったかというと、アルコールに溺れた父親からの暴力。実は、少年のシンナー依存症は、父親との関係性の悪化に原因があった。
もはや打つ手なし、と、弁護士と若手判事は肩を落とす。そこで桑田判事が現れ、「弁護士や裁判官という立場からできることはないかもしれない。だけど我々は人間でしょう?」と声をかける。
弁護士と若手判事は、父親が飲んだくれてる店に現れ、一緒に酒を飲み始めた。「これからしばらく、あんたと友達になろうと思ってね」
父親は苦笑いして「いつまでオレにつきまとうつもりだ」と尋ねた。すると二人は

「あんたに友達ができるまで」と。
少年がシンナー依存症になっているのは、父親がアルコールに溺れて暴力を振るうから。父親がアルコールに溺れるのは、仕事がうまくいかず、友達もいない孤独に陥っているから。そこから手をつけないと問題は解決しない、という話。

ベトナム戦争は凄惨を極め、多くの兵士が現地で麻薬や覚醒剤に溺れたという。では麻薬の魅力に取り憑かれた兵士たちは、アメリカに帰ってからも依存症になってしまったかというと、必ずしもそうではないという。家族や友人に恵まれている人は、麻薬からきれいに足を洗っていたという。ただし。

アメリカに戻ってからも孤独な人は、麻薬をやめられず、そのまま依存症で苦しむ人が多かったという。
マウスの実験でも同様の結果が。ケージの中で一匹だけ飼ってるマウスに、普通の水と麻薬入りの水を与えると、麻薬入りの水ばかり飲むようになるという。しかし。

配偶者がいて、子どもらとも一緒にケージで暮らせているマウスは、麻薬入りの水を好まず、普通の水ばかり飲むようになったという。
こう考えると、依存症は依存するから良くない、というより、他の依存先との関係性が悪化して孤独に陥っているから依存症に陥るのでは?という気がしてくる。

となると、依存症の治療には、他の依存先との関係性を改善する、「お友達」を増やす、という事が大切なのではないか。少なくとも、依存先を増やすということを同時に進めないと、依存症から抜け出すのは困難なのかもしれない。依存症は、甘い言葉をささやく悪友のようなものなのかも。

すでに依存症になってしまった人は、脳の中に「回路」ができてしまっている気がする。他との関係性が薄まり、依存症の依存先との関係性ばかり強化する毎日を続けている間に、そればかり繰り返すことで快感を得ようとする「脳内サーキット」が出来上がっているように思う。同じところをグルグル。

同じことをひたすらグルクル繰り返すうち、脳内も同じことばかり繰り返し思考する「脳内サーキット」ができ、それが深い轍(わだち)のようになって、車輪がもうその溝から抜けられない状態。脳内サーキットから脱線することもなくなってしまうのでは。依存症になると脳が萎縮するというが、

同じことをグルグル繰り返すばかりで他のことをしなくなるから、神経ネットワークも使わない神経のつながりが切れ、脳内サーキットの回路だけが残り、その結果、脳の萎縮という結果になるのでは、という気がする。

轍にハマった車輪はなかなか抜けられない。それと同じように、依存症になると、脳内サーキットの轍にハマり、そこから思考が抜けられなくなっているのかもしれない。他の思考をしないからよけいに他との関係性が断ち切れてしまう。それがよけいに脳内サーキットだけをグルグルする悪循環に。

ならば、いかに「脱線」させるかが鍵になるように思う。脱線すれば他の思考が枝葉のように伸び、ただの輪っかだった脳内サーキットは、次第にネットワーク化していくのではないか。輪っか状の轍にばかりハマらずに済むのではないか。そのためにも脱線させた枝葉を増やすことが大切なように思う。

他にも楽しい依存先を作る。たくさん。それによって、一つにだけ依存するリスクを減らすことができるのではないか。
しかし一度依存症になると深い轍ができるから、そこから抜けるのは難しくなるらしい。すぐ轍に沿った脳内サーキットをグルグル繰り返すことに陥りやすいのでは。

思考をネットワーク状態に維持する必要がある。そのためには、多様なことに関心を持ち、楽しむことが大切なのかもしれない。様々な事柄と良好な関係性を保ち、たくさんの依存先を持つことが、一つの依存先にのめり込まずにすむ一つの予防策なのかもしれない。

今のところ、子育ても自分の生き方も、その仮説に基づいて考え中。楽しい依存先をたくさん作る。特に仕事にしか人間関係がない、という状態に陥りやすい男性は、定年退職後に大きな依存先を失うことになる。依存先を増やしておくに越したことはないだろう。

※依存症の正体をわかりやすく説明してくれている動画。
https://youtu.be/O30OER7J3wg?si=5ACQIkPsZ4g8e2Wn

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