そばにある幸せより遠い幸せを望みながら素敵なサヨナラを言おうとしてる女の子の晴れ舞台に想い馳せてたら感情の波が思った以上に大きくて、ようやく気づいた。やっぱり淋しいんだと。しかしながらその感情を抱いたまま前は向けないので、方向転換して吐き出してみるとする。

気づいたら久々にノートとペンを持っていた。
思えば、昨年末に書いた文集も同じ衝動から気の向くままに書いていた。

あれから5ヶ月弱。
気づいたら、たった一度の帰巣のために飛鳥ちゃんが乃木坂46に帰ってきている。
ただ帰ってきてるだけでなく、連日怒涛の飛鳥ちゃん情報に卒業コンサートという寂しさが付き纏いつつも、どこか楽しげなお祭り感が漂っている。
実際、本人も寂しいよりも楽しいコンサートにしたいと明言しているし、
こちらも新しい門出、巣立ちの時をただ寂しい気持ちで見送るのも本人に失礼なのでね、楽しい気持ちで見送ってあげたいと思ってた。

そう、そう”思ってた”。
昨日の今頃までは寂しさなんて微塵もなかった。
けど、今は違う。
はっきり言う。

「寂しいわ、やっぱり。」

 去年の11月に腹括りして、しっかり負の感情を捨てたはずなんですけどね。
 急に沸き立ってきちゃった、この感情。
 思えば、2021年のラストのお話中に悟らざるを得ない表情と一言を胸に、夏を無双した時も同じ感情からでしたね、寂しさからくる後悔をしない為に全てできることはやり切ると。
 結果、まぁ個人的には及第点のいく収まり方ができたと思ってる。それもあってか、この感情とは素敵なサヨナラと一緒にお別れできたと思ったんですけどね。
 ただまぁ戻ってきた感情と向き合わないのも癪なので、向き合う為にこう文字を書き殴ってる訳だけで。

では、この寂しさの正体はなんなんだろうか。

・サイドバイサイドで女優の選択肢を魅せてくれてる
・ハマスカでまだまだ飛鳥節を効かせたトークでバラエティも頑張っている
・メンズノンノは卒業したけど、Sweetは卒業しないし、その中でまだ活動は続けると明言されてる

 と寂しいと思う要素はない。まだまだ陽の明るいところで飛鳥ちゃんを見届けられる。なのに、明日を考えると寂しさがくる。
 寂しさは当たり前のようにあったものがふと無くなる、その喪失感来ることが多岐にある。表現者としての飛鳥ちゃんの一面であるアイドル性が明日明後日で失われる。つまりはその喪失感に対して感情のスイッチを切っていたのだろうか。明日に向けて切っていたスイッチをつけたら、

「はい、やっぱり無理です、向き合えません、淋しいです。」

 我ながら情けない。
 言葉にして初めて自分の豆腐メンタルを恥じたい。
 んなもんは、アイドル推す上では覚悟しとくのが当たり前のもの。
それが最後の最後になってできてない形で表面化するとは…まぁ情けない。
でも、そう思わせてくれるぐらい惜しい存在ではあるんだけどもね、
我らが齋藤飛鳥さんはね。

 ただ、やっぱり本人が卒業という選択肢を覚悟を持って決めて、明日明後日を迎えると思うと、これではいかんわけですよ。
こちらも覚悟を決めなければならない訳で。

少なくとも迷いはなくし
今までの時間に思いを馳せ
後悔せずにやりきるために

明日明後日は現地でやりたい事を貫き通す。

皆様、最初で最後の飛鳥ちゃんの卒業コンサート、悔いなく見届けてあげましょうね。

PS1: Route246の梅松シンメ復活。頼むから復活させてください。
PS2:この記事は夕方1830頃に衝動的にきた感情を元に書き殴った文章です。読み辛かったらすみません。


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