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市民との約束~「核兵器禁止条約への請願」9月議会回顧①

9月議会で632名もの市民の署名が集まった「日本政府に核兵器禁止条約への参加・署名・批准を求める意見書の提出」を求める請願が賛成7・反対8で不採択になった。
あれほど選挙の時は、「市民の声を届ける」「市民目線の政治」と連呼し、一方的に約束するのに…今回、国へ632名に代表される市民の声を届ける必要はないと判断されたのだ。

では、はたして何人の市民の声が必要だったのか?
きっと何人かなんて本当は、関係なかったのだろう。ただ、今後もう「市民の声」とか言って物事を進めることに説得力がなくなったのは事実だ。

住民との直接対話が可能な市議会議員なら、市民と「どうやったら実現出来るのか」といった前向きな姿勢で取り組むことが大切ではないか。ましてや今回は国へ「私たち市民の思いを届けてほしい」という趣旨だったのに。
それすら叶わないなんて…
請願が提出された6月議会から振り返ってみたい。

請願者は3名で、特定の政党や団体に所属しない市民の方々である。「核兵器禁止条約」のことを知り、「自分たちにも出来ることがある」「子どもたちに平和な未来を届けたい」との思いから多くのことを学び、調べ、市議会の請願にたどり着いた。その署名活動や「韮崎市民の平和を願う声を国へ届けてほしい」という思いに私は共感し、本件の審査委員会に属さないこともあって請願の紹介議員となった。そして、より良いカタチづくりに向けて請願者と多くの日々を過ごしながら6月議会に期待を抱いていた。しかし、その期待は、あっけなく裏切られることとなる。

6月議会の委員会審査における「核兵器禁止条約について、よく分からないので継続審査をお願いします」とのいきなりの発言から始まり、「もっと議論しよう」と訴えた委員(議員)もいたが、すぐ「動議優先」の声がとぶ。次回へ継続となった。
傍聴していた市民は唖然。「これが議会なのですか、がっかりした」「意見を交わしたり、自分の考えすら言えないのか」と怒りの言葉を下り階段にぶつけながら帰宅していった。
後日の議会改革班の会議の中で「あの委員会審査のやり方は良くなかった」と議員からの発言があったことは、せめてもの救いである。


3ヶ月が経ち9月議会が始まった。請願者から「もう一度、委員会審査の場で追加の説明をしたい」との要望を出していただくことになった。しかし、委員長が委員に諮ったところ「そんな必要はないと」の意見が多数を占め、実現しなかった。前回「条約についてよく分からない」と言っていたのに。また、韮崎市議会基本条例第4-4に「請願者の意見を聞く機会を設けること」と規程があるのに。
なぜ?

期待の持てない中、委員会審査が始まる。反対意見は、①アメリカの核の傘に守られているから。②批准すると直ちに核兵器を捨てなくてはならず、安全保障上危険との意見であった。傍聴者からは、言葉をなぞっているだけで自分の考えや、どうしてなのかという説明がないとの感想をお聞きした。
一方、賛成意見をまとめると「平和を願う多くの市民の声がある。その声を国へ届けるのが市議会議員としての一つの役目であり、国は、国で国民のそういった声があることを踏まえ今後の平和について考えてもらうことに意義がある。」といった内容であった。傍聴者は、一生懸命に私たちのことを思い、発言してもらえたと喜んでいた。

が、やはり、意見には、もっと中身と説明がなくてはならなかったと思う。
①アメリカの核の傘に守られているから、どうなのか?北朝鮮がミサイルを飛ばしてくる現実は核の傘に守られているといえるのかどうか?語られることは今後もないだろう。
私はこう思う。核の傘=抑止力=脅しだ。脅し合いがエスカレートしたら過ちが起こるリスクが高まる。国防策が早急に必要なのは間違いないと思う。が、このまま脅し合っていたのでは、いつになっても安心できる安全な状況にはならない。だからこそ、恒久的平和を目指し、平和的解決に向けた取り組みも不可欠だ。その可能性のひとつが「核兵器禁止条約」や「北東アジア非核地帯構想」であると。
②批准すると直ちに核兵器を捨てなくてはならず、安全保障上危険というが、「核兵器禁止条約」では直ちに核兵器を放棄する必要は現時点では決まっていない。核の放棄に向けたプロセスなどの運用は批准した国々が集まる締約国会議でこれから決められていく。だからこそ、日本は「国々の橋渡し」を掲げ、核兵器の廃絶を目指すのなら、条約に批准して議決権を持つ中で、国々の立場を尊重した建設的な意見を述べて実現性のある提案をしていくべきである。

「核兵器禁止条約」について補足すると、アメリカ大陸の「ラテンアメリカ及びカリブ核兵器禁止条約」に代表されるが、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジアといった、世界中のあらゆる地域で核兵器を禁止する同様の条約は既に効力を持ち運用されている。さらに5大核保有国が批准しているものもある。

~過去も今も人類は、過ちから学び、国々の立場を尊重することを積み重ねながら、平和を目指し続けているのだ~

今回の「核兵器禁止条約」はまさにそれらの世界版であり、こういったことを世界の国々はすでに経験し知っているのに。

~どう考えても、日本のための条例ではないのか?~
また、条約の前文では、被爆者(ヒバクシャ)の苦しみと被害に触れ、人道の諸原則の推進のために、核兵器廃絶に向けて被爆者などが行ってきた努力にも言及している。どう考えても、日本のための条例ではないのか?


「私たちにも出来ることを」とはじめられた市民の皆さんの、その活動を支えることも議会の仕事であると考える。「自分たちの手で街を良くしよう」と願う市民活動こそが本来の市政のあり方であり、活動が活発になればなるほど、あらゆるコトに良い効果が表れるから。

請願者である市民にその声を届けると約束したあの日から、今も仲間たちと実現を目指している。必ず平和を願う声を国へ届ける。約束は続く。
~世界中の子どもたちが夢を語り合える平和な世界の実現をめざして~

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