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【40日目】しんさい工房 ‐後悔‐

人は非日常的な出来事を前にすると、正常な判断ができなくなる。
そして自分にとって都合の悪い情報を避け、自分の判断が正しかったと思い込むための情報を集め、自分を正当化しようとする。


僕は店長に刺激を受け、働くことへのモチベーションを取り戻していた。
もっと仕事を覚えたい。
店長みたいにカッコよくなりたい。
僕はまたバイトにのめり込んでいく。

カラオケ屋の深夜は、お酒が入ることもありトラブルも多かった。
お客さん同士の廊下でのいざこざや、店員に対するクレームなんかも日常茶飯事だ。

もちろん楽しいこともある。
お客さんと一緒になって歌うこともあれば、イケメンスタッフやかわいい子なんかは、接客中に連絡先の交換を求められたりもしていた。

自慢じゃないが、僕にだってそんな浮いた思い出もある。
バイト期間中に、1人だけ電話番号を聞いてくれた人がいた。

50代と思しき女性…
僕はお寺にいた頃から、年上の御姉さま方に評判がいい。

「携帯を変えたばかりで、いま番号わからなくてすみません」

僕は得意のつくり笑顔とお断りの常套句で、その思い出がなにかの思い出となる前に封印した。


こういう明るい話題よりも、やはりトラブルの方が多かった。
事実、警察を呼ぶようなこともちょくちょくあった。

僕たちのお店では、そういう非常事態の対応についてもマニュアルが決められていた。
警察を呼んだ方がいいと判断した場合は、他のスタッフにこっそりと親指を立てて合図を送るという決まりだった。

ある日の深夜。
受付カウンターの方で揉めている声が聞こえてきた。
店長代理が、見るからにガラの悪いお客さんに絡まれていたのだ。

たまたまカウンターに行ってしまった僕。
僕は完全にお客さんの雰囲気に飲まれていた。
というより、怖かったのだ。

気持ちの収まらない3人組のお客さんが、店長代理を外に連れ出していった。
カウンター越しにその背中を見ていた僕。
僕は若干パニックになっていた。

そんな僕の気持ちを察してなのか、店長代理は外に出る前にこちらをちらっと見て、親指を立てて軽く頷いていた。

カッコイイ…
こんな状況でも余裕なのか。
やっぱり社員は違う。

僕はとんだ勘違いをしていた。

しばらくしても戻ってこない店長代理。
僕はどんどん不安になっていく。

大丈夫だって合図を送ってくれていた気がする
後は任せたって口で言っていた気もする
そんなに危なかったらわざわざ外に行く訳がない

僕は僕の判断が間違っていないと証明するための、辻褄合わせのためだけの情報を探すことに必死だった。

そう、僕はとても弱い人間だ。
のび太くんは大人になってものび太くんのままだった。
結局、他のアルバイトたちと相談して警察を呼んだ。

時すでに遅し。
店長代理は暴行を受けており、数日間入院することになった。

この事件は社内でもそれなりの問題となり、副社長が現場にやってきて僕はしこたま絞られた。
ちょっとでも動いたら唇が触れてしまうのではないかというような距離で怒鳴り続けられたのは、後にも先にもこの時だけだ。

悔しかった。
ただただ悔しかった。

大学生になり、それなりに自分で頑張って生活もしてきたつもりだった。
自分で生計を立てていることに、自立した気持でもいた。
でも本質の部分は何も変わっていなかった。
上辺だけ大人になったつもりで、人一人も守れず、それどころか自分を守ることに必死だった。

こんな悔しい思いはもうしたくない。
僕はもっと強くならなくてはいけない。

失敗がダメなのではない。
大事なのは同じ失敗を繰り返さないことだ。

変われるかどうかはわからない。
そんな勇気があるのかも自信がない。

でも僕は、とりあえず「強くなる」ことだけを決めた。

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