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【29日目】しんさい工房 ‐圏外‐

この人、誰だっけ…。

入院中の暇つぶしにと、クラスメイトが三国志を貸してくれた。
僕はそこから三国志にハマり、退院と同時に古本屋で全巻まとめ買いをした。
12,000円だったのを、全巻まとめて買うから10,000円にしてくれないかと交渉してゲットした。
ちなみに好きな武将は趙雲だ。

横山光輝先生の三国志は名作だと思っている。
だけどひとつだけ難点があった。
それは、みんな顔が似ていることだ。
後半になるに連れ、似たような名前の登場人物も増えてきて、正直誰が誰だかわからなくなってくる。

誤解がないように言っておくが、横山光輝先生の三国志は名作だと思っている。

僕は身だしなみと外面の良さが影響したためか、高校では風紀委員長をやっていた。
染める髪もなければ、耳に掛かる髪もない。
上履きだって踵を踏んだことがない。
風紀を乱す要因がひとつもなかった。

そんな僕がひとつだけ破っていた校則があった。
それは、携帯電話を所持していたことだ。
自慢ではないが、僕の携帯デビューは早かった。
それは、学校に行っている間に仕事が入る可能性があったからだ。
場合によっては、急遽部活を休んだりしなくてはいけなかった。
その連絡手段として持たされていた。

僕の高校時代と言えばPHSが全盛期だった。
メル友なんていう言葉が流行り、みんなPメールに夢中になっていた。
そんななか、僕は携帯だった。
iモードだって初代から使っていた。

理由は単純だ。
うちが山奥過ぎて、PHSは圏外だった。
ただそれだけだ。
流行りのドラマも知らなければ、Pメールも使えない。
当時のショートメールは全角25文字で、1通送るのに数十円掛かっていた。
そもそもショートメールをする人なんていなかった。
そこでも僕は時代に乗れていなかった。

唯一嬉しかったのは、折り畳み携帯が出現したときだった。
機種変した時の興奮はいまでも覚えている。
シルバーの本体で、背面にiモードの「i」の字がデザインされていた。
そのときだけは、僕の方が時代に乗れていた気がした。

ある日のことだった。
父親が足音を立てて階段を上ってくる。
僕の部屋に向かっているのは間違いなかった。

もう何が原因だったのかも思い出せない。
それぐらい、僕は父親に怒られることが日常茶飯事だった。
もともとはあんなにやさしかった人が、こんなに変わるのかと思うぐらい怖かった。
怖かったというより、厳しかった。

僕と父親は親子という関係ではなく、師弟関係のようなものだった。
そう考えると、そういうものだったのかもしれない。
有難いことに、僕は社会に出てからいまだに父親以上に厳しい人に出会ったことがない。
当時はとても苦痛であったが、家での経験は、社会に出てからとても僕の救いになっていた。

父親はおもむろに部屋に入ってきて僕の携帯を掴み、取り扱い説明書を読んだことがなかったのか、折り畳み携帯の可動域を超える角度まで開いて真っ二つに折り、何も言わずに下に降りて行った。
思った以上に携帯電話のつくりはシンプルで、半分に折れて2つになった携帯は、導線数本だけで繋がっているだけだった。

これ以上何を失えば 心は許されるの
どれ程の痛みならば もう一度君に会える

中学校で破壊僧と呼ばれていた僕だったが、正真正銘の破壊僧は父親の方だった。

父親の説教はとても長い。
少しでも何か言い訳めいたことを言うと、さらに説教は長くなる。
そして話を聞くときは常に正座だった。
最長記録は2時間ちょっとだ。

その場を早く終わらせるためには、とにかく逆らわないこと。
それにプラスして、必ず改善提案をすることだった。
処世術だ。

僕は、社会人として大切なことはみんなお寺で教わった。

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