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【41日目】しんさい工房 ‐事故‐

市場の食堂は早朝から賑わいを見せている。

僕が学生生活を送っていた町には、24時間営業のお店はそれほど多くなかった。
カラオケ屋のアルバイトが終わってからご飯が食べられる場所は、牛丼チェーン店か市場にある食堂ぐらいだった。
僕たちはアルバイトが終わった後、みんなで朝食を食べに行くことがたまにあった。

市場の食堂のご飯はうまい。
獲れたての海の幸を新鮮なまま調理してくれて、しかもコスパもいい。
食べ盛りの学生にとっては、とてもありがたい存在だった。
僕はサバの味噌煮が好きでよく食べていた。

そこそこの常連だったこともあり、お店の人も僕たちが来店するとよくしてくれた。
その日もなぜか、帰りがけに缶飲料の甘酒をみんなにプレゼントしてくれた。

深夜明けの朝食後にやってくるのは、だいたい相場が決まっている。
眠気だ。
食堂から僕の家までは車で20分ぐらい。
僕は眠気と格闘しながら家路につく。

ドゴン。

気が付いたら、僕は人の家の車庫に車ごと突っ込んでいた。
何が起きたのかわからないなか、目の前の光景に「ヤバイ」と思っても手遅れな状態なのに、身体は反射的にギアをバックに入れ、その場を離れようとしていた。
が、車はすでに動かなかった。

悪いことをしたら素直に謝るべきだ。
そんなことはわかっている。
でも、言うは易く行うは難し。
こういうときに、その人の弱さが見え隠れする。

たぶん仮に車が動いたとしても、僕は逃げることはなかったと思う。
だけど、その時に逃げたくなる気持ちは痛いほどわかる。
ここをその人の心の弱さで片付けてはいけない。
そんな気がしている。


早朝に響く衝突音。
家の中から住人が出てくる。
なかなか不思議な光景に、住人も唖然とした表情をしていた。

それは僕も同じ気持ちだった。
気が付いたら目の前に車庫があった。
何があったのかは、僕も教えて欲しいぐらいだった。

たぶん居眠り運転をしてしまったのだろう。
そこまで大きな事故でもなく、車庫のシャッターの破損だけで済んだのは幸いだった。
未開封の甘酒は車に積まれたまま、牽引車に載せられていった。

車を失うということ。
それはアルバイトを失うことを意味していた。
自転車や公共交通機関で通える場所でも時間帯でもない勤務だったため、僕はアルバイトを辞めざるを得なかった。

僕にとってアルバイトを失うということは恐怖だった。
もちろん収入がなくなることでの生活面の不安が一番だが、それと同じぐらいに居場所がなくなることへの恐怖が強くあった。

アルバイトは生計を立てるための手段というより、自分の存在価値を確認できるツールという意味合いが大きかった。
たくさん働かせてもらえることを自分の信用だと感じ、職場で仲間たちに必要とされることで自分の居場所をつくっていた。

僕は相変わらず大学には友達がいない。
1年生の時にやっていた大学祭実行委員も、僕に影響を与えてくれた先輩の卒業と同時に辞めてしまっていた。

夏休みや正月に、みんなが帰省していく。
僕はそれが怖かった。
弱さを見せられない表向き優等生の僕は、アルバイトがあるということを帰省できない理由にすることで自分を保っていた。

本当は孤独。
寂しい、友達が欲しい、誰かといたい。

誰にも助けてと素直に言えない僕。
本当の強さというのは、相手に弱みを見せないことではない。
弱さをも素直に見せられる人が、きっと強い人だ。
僕は心でわかっていながらも、変われない自分に葛藤していた。

寂しさという心の穴を埋めるように、僕は次のバイトを探した。
次に見つけた深夜バイトは、隣町の山奥にある黒猫の工場での荷仕分けだった。
送迎バス付きだ。

僕はここでの出会いで、また一歩前へ進めるようになる。

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