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【32日目】しんさい工房 ‐担任‐

砲丸の球があんなに軽々しく空を飛んでいくの、僕は初めて見た。

僕の担任は体育教師だった。
ただの体育教師ではない。
絵に描いたような、脳味噌まで筋肉なTHE体育教師だ。

柔道の時間。
この態勢になると人はそう簡単に動かせなくなると受け身の説明をしておきながら、床で丸まっている100kg級の柔道部員を、「ほら、動かないだろ?」と言って片手で軽々と持ち上げてしまうような男だ。
元々砲丸投げの国体選手だったらしく、宙に放たれた砲丸は優に10mを超えていた。

最初の挨拶の時もそうだ。
とても真剣な表情で、「モチベーション」のことを「マスターベーション」と言ってクラスをざわつかせていた。

クラスで最初に大学合格の通知をもらった生徒に対してもそうだ。
お前が合格できるとは思っていなかったと、みんなの前で真顔で言ってしまうような、とても素直な人だった。

僕は大学受験を推薦で合格していた。
推薦入試は、大学の教授との面接しかなかった。
ハリーポッターに出てくる妖精のような教授だったことが、とても印象に残っている。

僕は道内の大学に行くことが決まっていた。
そこで進学するにあたり、2つの選択肢を与えられていた。
1つは、自宅から通うというもの。
もう1つは、仕送りはないが一人暮らしをするというもの。

そもそもが自分で選んだ大学でもなく、言われるがままに行かざるを得なくなった学校なのに、とても理不尽な選択肢だった。
僕はそれでも迷わず後者を選択した。

大学には特待生という制度があった。
入試の成績で1位を取ると、無条件で年間25万円(4年間)が支給されるというものだった。
1人暮らしにおける年間25万円の価値はいまいちよくわからなかったが、ここを落とすわけにはいかない気だけはしていた。
僕は合格が決まっていたが、センター試験を受験し特待生を狙うことにした。

といっても、受験科目は限られていた。
「英語」+「国語か社会の点数の高かった方」の2科目の合計点で判定されることになっていた。
僕は英語に集中し、あとは勉強をしなくてもよさそうな国語で勝負することにした。
結果、僕は無事に特待生の資格を手にする。

余談だが、勉強はしていなかったものの、受験はマークシートなのでなんとかなるのではと社会も受験していたが、結果は30点台だった。
この点数は、小学校を転校したときに受けたあの再テスト以来のことだった。

高校を卒業する前に、何か思い出をつくりたい。
そう赤毛と話していて思い付いたのが、かまくらだった。
校門に、自分たちが普通に入れるような大きなかまくらをつくって写真を撮ろうという計画だった。
まさにインスタ映えスポットの先駆けだ。

僕たちはスコップを持って通学し、放課後にせっせとかまくらをつくった。
完成したのは中腰で2人が入れるぐらいの大きさだった。
僕たちはこの出来栄えに満足し、インスタントカメラで写真を撮った。
まさに青春だ。

そんな最中のことだった。

「なにやってんだ!」

学校から他のクラスの担任が怒りの表情で出てきた。
僕らはその場で説教され、すぐに取り壊すように命じられた。
小さな子供が入って事故にでもなったらどうするんだということだった。
たしかに仰る通りだった。

校門にかまくら。ダメ。絶対。
僕たちの数時間の努力は、ものの十分で水の泡となった。

かまくらを崩して学校に戻ると、担任が待っていた。

「俺はお前たちみたいな生徒がいてくれてよかった」

そう言ってくれた。
僕たちはその言葉に救われた。
その担任は、僕らが卒業してからクラスを受け持つことはなくなったらしい。

次の僕の課題は、どうやって一人暮らしの生計を立てるかだった。

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