見出し画像

【37日目】しんさい工房 ‐分岐‐

離婚しようと思う。

僕はみんなに謝らなければいけないことがある。
説明すると少し長くなることもあり、僕の親が離婚したのは大学4年生だと言っていることが多いが、実のところそれは真実とは少し違っている。
この場で背景を説明するので、そう聞いていた人たちは許して欲しい。
僕の親が再度離婚したのは、大学1年生のときだった。

僕が中学生の時に建ったお寺。
そこから僕たち家族は、必死になってお寺のことだけに力を注いできた。
僕たちは家族というより、半ば企業の創業メンバーのような関係性で日夜奔走していた。

約5年間という期間を、何もわからないなか走り続けてきた僕たち家族は、もう家族としては限界がきていた。

お師匠様と父親の徒弟関係。
そこから派生した僕の出家。
お寺の建立。
僕の法戦式。

全てが、考えられない環境と凄まじいスピードで過ぎていった。

周囲の目、周囲からの期待、周囲からの妬み。
僕たちは、家で食べるものからお金の使い方、周囲の見られ方に、常に意識を向けながら生活していた。
いくらお寺の人とはいえ、僕たちも人間だ。
僕たちはもう疲れ切っていた。

母親からの離婚の話がきた時、正直僕は何も思わなかった。
僕は一人暮らしという平和な場所にいち早く身を置いていたため、本当にどっちでも良かった。
幸いなことに、周りには僕のこれまでの過去を知っている人もいない。
あえて周りに話すこともないからだ。

気掛かりだったのは妹のことだった。
妹はまだ親元から高校に通っていた。
小学校の頃の記憶が蘇る。
親の離婚で一番影響を受けるのは、多分妹だろうと思った。

母親からの会話の中で、ひとつだけ感じていたことがあった。
それは、この気の迷いは一時的なものなんじゃないかということだ。
そんな親の都合に振り回されるのは御免だった。
親の離婚に反対しない代わりに、ひとつだけ条件をつけた。


もし離婚をするなら、僕はもう何があってもお寺の世界には戻らない。
それでも構わないなら好きにしてくれていい。


僕は自分だけ一人暮らしをしているという点において、妹に申し訳なさがあった。
僕がいまの環境でできることは、これぐらいしか思い付かなかった。

それでも、結局母親は離婚した。

いざお寺という環境から解放されると、どうしたらいいのかがよくわからなかった。
なんのためにこの大学に来たのかというような疑問や怒りも湧かず、解放されたことによる喜びや希望もない。
いままで敷かれていたレールが急に外され、道がわからなくなってしまった。
僕はただただ虚無感に襲われた。

こうして、僕のお坊さん人生は急に幕を下ろした。


数ヶ月後、一度一緒に家を出た母親と妹はお寺に戻っていた。
この状態を父親一人でなんとかできるわけもなく、またそれは、あのお寺にとっての母親の存在の大きさを物語っていた。

多分これでよかったんだと思う。
形式上、離婚はしていたものの、その事実を知っている人はほとんどいない。
何事もなかったかのように、お寺はもとの状態に戻っていった。

この一連の出来事のなか、変わったのは僕だけだった。
離婚の条件であった、お寺の世界には戻らないという約束だ。
僕は親から何度も説得にあったが、それを頑なに拒んだ。
妹だけが親のゴタゴタに振り回された形になるのが、納得いかなかったからだ。

最終的には親も諦めてくれたが、そこには条件があった。


もうお寺(実家)には顔を出さないでくれ


お寺には、僕のこれからに期待をしてくれている檀家さんが一定数存在していた。
その人たちに、余計な期待を抱かせないための配慮だった。

それから今日まで、僕がお寺に足を踏み入れたのは2回だけだ。
僕は18歳にして、帰る場所を失ってしまう。

この記事が参加している募集

自己紹介

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?