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私は、過去に向けてシャッターを切る #青春ノスタルジア

こんにちは、写真家のRYOHTAです。

この度、アシスタントを務めさせて頂いている写真家の青山裕企さんのスタジオ「ユカイハンズギャラリー」にて、展示をやらせて頂くことになりました。

12月16-20日の5日間、早稲田にて開催しておりますので、ぜひ来ていだけると嬉しいです。

#青春ノスタルジア

今回の写真展で私は「青春ノスタルジア」というテーマで展示を行わせていただきます。
これは、もし私が高校生の時にカメラを持っていたら、きっとこんな瞬間を撮るだろうと言うものをテーマにカメラを向けたものです。

過去、現在、未来

人は過去に戻る事はできない。「時間は未来、現在、過去と言うけれど、厳密に言うと未来と過去の2種類しかないのではないか」というようなことを言ったのは、ミヒャエル・エンデの「モモ」だっただろうか。今という時を認識した瞬間にそれはもう過去のものであり、私たちは今を生きているようで、認識した瞬間それは全て過去になっていると言えてしまう。


写真を撮る時もそうだ。
今この瞬間を撮ろうと思っても、それは一瞬先ではもうすでに過去になっていて、厳密に”今この瞬間”というものを残すことなんて誰にもできない。
そういう意味で私は、写真というものは過去に向けてシャッターを切っているものなのではないかと思った。

過去に戻ることはできないけれど、私が今まで過ごしてきた時間、感じてきた空気、それらを思い返した時に擬似的に過去に戻れるのではないか。
そう考えこのテーマで写真を撮ってみようと思った。

過去への郷愁

ノスタルジアという言葉は郷愁、故郷への思いと言う意味がある。故郷への思いを懐かしさ、愛しさだとするのならば、私にとって学校という場所はある意味、戻りたいけど戻れない、心の中にあるけれどいつでも帰れるようでどこか遠い、そんな郷愁に似た感情を抱く場所であった。
紛れもなく青春と呼べる時間があの場所にはあって、それに対しての懐かしさ、愛しさを感じるなら、それは郷愁と言えるのではないだろうか。
過去に向かってシャッターを切る私たちと、遠い場所に思いを馳せる郷愁。
その意味に気づいたときに、過去の自分がカメラを持っていたらどうしていたただろうという気持ちが湧き上がってきた。

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青春ノスタルジア
私が見ていたかもしれない景色。
あなたが過ごしたかもしれない時間。
叶うなら、やり直してみたいという願い。

おぼろげな記憶と曖昧な輪郭、
近いのか遠いのかわからない触れられないあの人、
戻れない過去への、ノスタルジア。

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