忘却への、ささやかな抵抗。
3月11日。
毎年この日には、何かしらの文章を残すことを自分の中で決めている。
13年前ともなると、当時の日々の生活で覚えていることは本当に数えるほどの思い出しかないけれど、この日のことは今でも鮮明に記憶に焼き付いている。
毎年、こうして文章に書き残すことで、忘れずにいられるのかもしれない。
高校、大学、社会人。
歳を重ねて、いろんなことを経験して、感じることは毎年変わっていく。
大学で始めた合唱を通じて、被災した人たちの思いを繋ぐ歌と出会った。
社会人になって報道の世界に入り、この記憶を語り継いでいく人たちを知った。
あの日から沢山の出会いがあって、当時千葉の高校生だった私にとって現実味のなかった震度7の地震という出来事が、自分の中でどんどん身近なものになっていった気がする。
ただ、身近になっていったとしても、時の流れは否応なしに人の記憶を風化させていく。
そして、この日のことを、忘れられない人、忘れたくない人ばかりではないのも現実。
それを否定するつもりは全くなくて、仕方のないことだというのもわかってはいる。
ただ、その現実を受け入れてしまうことだけは、どうしてもしたくない。
当事者を真に理解することは出来ないかもしれないけれど、この日のことを忘れずに、備え、語り残していくことはできる。
人1人の小さな行動、何にもならない自己満足なのかもしれないが、
忘れずにいること。一年に一度でも、過去を振り返り、東北へ想いを向けること。
ドキュメンタリーを生業にして生きようとしている1人の人間として、
忘れたくない、忘れてほしくないという、私なりの、抵抗なのだ。
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