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今までの友人と会いたくないと感じるとき何が起こっているのか?

あなたの友人を一人思い浮かべてみてください。
そして、その人の肉体や、声や、感情や、考えなどは、
「すべて情報である」と想像してみましょう(実はそれが事実)

すると
「その人というのは、実は情報のパッケージである」
ということができます。

あなた自身を含めて、
あなたの世界に存在するすべては、情報のパッケージなのです。
現代なら、情報コンテンツといったほうがわかりやすいかもしれません。

お菓子などがよくパッケージになって売られているし、どこにも「○○セット」などというパッケージ商品がありますね。
パッケージ商品を購入するか迷うとき
「これは欲しいんだけど、こんなのはいらないんだけどな」
みたいなことって、あるあるではないでしょうか?

あなたが誰かと会うとき、
いつもとっても楽しい気分になったり、
会った後も気分や体調がよいなら、
きっとその人の情報パッケージの中身は
あなたにとって有意義な情報だったのです。

でももし逆に、
会うのが憂鬱、とか退屈、なのであれば、
その情報はあなたにとって、
もう古くて目新しいものが何もないというような訳です。

相手にとっては、
あなたから新しい刺激的な情報を得られるので会いたがりますが
あなたにとっては無意味な時間なので、
なんとなく気が進まない場合もあることでしょう。

その相手が、自分にとって有益な何の情報も持っていないことで
退屈と感じるとは限りません。
たとえば後輩などに自分の情報を伝え、
その後輩がその情報を得て、どんどん成長すれば、
あなたは満足感を感じるはずです。

この違いがどこからきているかといえば、
やはり情報からきているのです。

あなたから教えを得た後輩が成長することで、
ミラーニューロンによりあなたは(自分が成長した時と同じような)喜びや満足感を得ることができます。

後輩があなたに感謝や敬愛の気持ちを抱くと、
その情報は「報酬」としてあなたに届きます。
だからこのような相手と会うことはWin-Winの結果をもたらし、
あなたの気分はよくなるのです。

一方で、あなたが会う相手が、
握りしめた古い情報でいっぱいで、
あなたの情報をほとんど受け取れず、活かせないとします。
相手はあなたに感謝も敬愛も感じないでしょう。
向上する気持ちがないので、あなたの情報を活かせないのです。

するとあなたには情報ベースで何の報酬もなく、
しかも得るものもないので「自分を無駄にした」と感じることでしょう。

そのような相手と会いたいと思わなくなるのは当然のことではないでしょうか。

年齢や環境の変化とともに、
今までの友人と合わなくなったりするのは、
人が情報パッケージであると考えると実に納得がいきます。

お菓子や○○セットと違うのは、
私たちの情報は常にアップデートされている、ということです。

環境、付き合う人、触れるもの、それらのすべては情報なのだから、
その干渉により、
私たち自身である情報パッケージの中身は常に変化しているわけです。

もう書いてある内容が古くなってしまった本を、
あなたの本棚に並べておく必要も、
もっと言えば読み返す必要もないわけで、
(それがどんなに苦痛か想像してみて。でも人間関係になるとそういうことがわからなくなるのです!)長い付き合いの友人を切るなんて、、、と罪悪感を感じる必要も一切ないのです。

あなたが感じる「気が進まない」という感覚を、
大切に見つめてほしいと思うのです。

あなたの感覚や感情は
すべてあなたに何かを伝えるサインなのですから。




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