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自分一人の成功より大事なこと

今日は半年間通った漫画の教室の最終日だった。

この半年の間課題に追われ、何を学んだのか?と問われたら正直出てこないような整理されない学び方をしていたかもしれないと思う。

しかし、何かを学んだのだ。それはいったい何なのだろう。

その事を今後、言語化していきたいと思っている。


今日授業の終わりに、参加している漫画家であるであるコンテ君と小柳かおりさんが動画を作ってくれた。素晴らしい動画だった。

今までお世話になった先生一人一人の授業の様子と、参加した漫画家たちの描いた色紙が写されていく映像だった。

それを見て急に寂しくなったそして、めちゃくちゃ感動したのだけれどそれはなぜなのかを考えた。

そして思ったのは、この色紙に描く漫画にたどり着くのに一人一人に色々なストーリーや人生があったと思ったのだ。


参加者全員が全然違う絵を描いている。その絵を描くにはその絵を描くようになったストーリーや人生や背負っているものが絶対にある。


その時に、その一枚の絵の筆に込められた各自の思いがあるという事を感じた。しかも、それが一人一人みな違うし、その絵ができるまでにそれぞれが何人の人にも出会って来たのだ。


コルクラボマンガ専科の授業では、山田ズーニー先生の授業の中で各自の問題意識、人生の問題意識を掘るという授業があったので、参加している人たちがいろんな思いを抱えて漫画を描いているというということを僕たちは共有していた。


だからこそ、その色紙の一枚の絵になるまでの各個人の想いや人生というものがある種のビジョンとなってバッと見えてきた気がしたのだ。

そして、彼・彼女達の描く絵が、またそれを読む多くの人の人生に届いたりする。その事自体が尊いし、何よりも大事なことなのではないかと思った。それを考えた時に、なんか自分一人の成功に囚われていた自分が見えてきた。


と同時に、自分一人の成功なんてどうでもいいんじゃないか?とも思えた。


多分人生においてはそう思える瞬間の方が大事なんじゃないだろうか?


自分の想いを手放せるというか、「自分一人が上手くやろうなんて思わなくていいや」っていう瞬間を持てる事こそが大事なのではないか?大事なものが訪れているのはそうしたときなのではないか…。


そう言いながら、おそらくまた僕は明日から自分の日常に戻り、また自分一人の成功を求めるような生き方に埋没してしまうかもしれない。

でもそのたびに、今日感じた事を思い出したいと思う。そういう瞬間はあと何度訪れるか分からないんだな…ということがこの歳になってわかった気がするのだ。

コルクラボマンガ専科で学んだのは他者の存在のありがたさなのかもしれない。


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