日記:資本主義社会が求道に与える影響について

※メモ代わりの日記なので、すごく読みづらいと思います。

今、『21世紀の恋愛~いちばん赤い薔薇が咲く~』(リーヴ・ストロームクヴィスト著)というマンガを読んでいて、これがむちゃんこ面白い。

ツイッターで野中モモさんがつぶやいていて、面白そうで買ったのだけれど、何が書いてあるかと言うと「現代は恋に落ちるのが難しい時代である。ではどうして恋に落ちるのが難しくなったのか?」という事が書いてある。

まだ1/3位しか読んでないのだが、ここまでで言われていることは、基本的にこういう事である。資本主義社会の現代に生きる私たちはあらゆるものを商品と見ている。あらゆるものを、最も効率よく、最大の効果が得られるように選び・動いている。私たちは消費者でしかない。よって、恋愛においてさえも最も効率よくそれを達成しようとする。そうすると、恋愛相手を取り換え可能なモノのようにみてしまう。本来比較不可能な1人間を、他者と比較可能なモノと見てしまうそうなのだ。だから、直感に賭けることができない。で、リーヴは、それは恋愛対象にだけではなくて、実はあらゆる他者をそう見てしまっているのだという。資本主義社会では必然的にそうなってしまうと警告している。他者を見失っているというのだ。

最初の例が面白い。レオナルド・ディカプリオは、すぐに女性と付き合って別れるそうである。それは、レオナルドディカプリオにとって、相手は比較可能・取り換え可能な存在だからだというのだ。(この本の例では、レオナルド・ディカプリオが次々と7人の水着モデルと付き合ったことが描かれていた)

もう一つの例として出されていたのが、お見合いや・マッチングアプリにおける条件付けのことだ。お見合いやマッチングアプリで出会う時は、出会う相手に条件を付ける。条件をつけると、その条件に外れる要素を持つ人を許容できなくなるというのだ。しかし、実はその許容できないものを持つ相手こそが、自分を大いに変える可能性もある相手かもしれないのだ。

ところが、「チャンスは何回もやって来る。」「もっと良い人がいる。」と現代のわれわれは思いがちなので、自分を変えるチャンスがある事をスルーしていく。最も効率的に恋愛に結びつく相手のみを選ぶ行動をするというのだ。これも面白い。

そして、一番刺さったのは、私たちには選択肢が多すぎるのだということ。これもすごく分かる。選択肢が多いがゆえに、最も効率的に効果を上げられるものを「選ぶ」ことに私たちは汲々としてしまう。まさにこれが消費者の態度そのものなのだ。これが良いとか悪いとかではなくて、その事が気づかないレベルで私達の性質になっているという事を知り目から鱗だった。(最も効率よく恋愛をしようとするのは当たり前であると思う。私たちは十分に忙しく、恋愛にかける時間は限られているのだから)

そこで、この日記の題名の話をしたいのだが、「私たちは、最も効率を上げる事、効果的に成果を上げる方法を選ぶことに忙しくしている」と書いた。だから、たまたま出会った人を大事にするとか、訳の分からない人のことを知ろうとしてみるという機会を失っている。

で、これは実は、仏教などの求道においてもある事なのではないかと思ったのだ。資本主義の発達という事が、私達の宗教的求道の局面において非常に影響を与えていると思うのだ。私の場合そうだったと気づいた。

どういうことか…私は個人的には、宗教的求道というのは、人生をかける一大事だと思っている。その事のために、多くのことを投げ出すことがあってもいいと思っているような問題だ。しかし、そのような人生において決定的に大切な求道の局面においてもなお、私は、どの道が最も効率的かということを考えてしまい、なんとなく、直感でこれは大事な場面だぞ、ということを逃してしまう・先延ばしにしてしまっていることがあるのではないかと思うのだ。ちょうど、恋愛市場において、選択肢が多いがゆえに、ちょっといいなと思う人がいても、「またチャンスがある」とか「もっといい人がいる」と思って偶然の出会いに賭けることができないように。

というのは、僕は20代の頃に、「この先生は本物だ」「この先生についていってみたい」と直感が言っているのに、でもそういう選択は後のことを考えると勿体ないかなぁ。やっぱり大学に行って・大学院にいって基礎を学んだ方が良いんじゃないだろうか~みたいな形で、その先生の所に飛び込むことをためらったことがあった。

そのせいで、20代の最も勉強できる時期に、すばらしい師の元で学ぶチャンスを逃したという事がある。

もっとも、この考え自体がチャンスを逃したという効率主義的な考え方かもしれないが。でもなんというのだろうか…、人間の宗教的直感とでもいうか、この人にはついていくべきだという嗅覚よりも、効率や打算が上回ってしまい、形式主義的な求道しかできなくなっているという事があるのではないかという事を考えさせられる。選択肢が多いからこそ、宗教の学びにおいてすら二の足を踏んでしまう。そういう事があるのではないかと思ったのだ。

今回は問題提起で終わるが、資本主義が仏教の求道に与える影響という事を研究してみたら面白いかもしれないと思った。

あと、みんな結婚している人はどうやって選んでいるのだろうか?

直感なんだろうか?やはり打算なんだろうか?自分は結婚を考えたことがないので分からないのだ。

これも経験者にインタビューしてみたいものである。

(終)



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