Y4553 #14 涙について

 人は悲しいから泣くのだろうか。いや、泣いてから悲しいことに気づくのだと思う。少なくともボクはそうだと思っている。

 母親に怒られた時、物語を読んだ時、初めての恋人に別れを告げられた時…初めての恋人との別れ、と書くと美しいように思えるかもしれないが、彼女はそのすぐ後、いきなりボクの部屋に来てボクにまたがり服を脱ぎ、もう一度私のことを見てくれるならなんでもすると言ってくるような人なので、美しいだけの思い出ではないと補足しておく。(中学三年生の頃の話だ。)

 そして後輩が、先輩が、同級生が死んだ時…その全てにおいて悲しい、と思ってから次に涙が流れてきたという記憶はない。寧ろ自動的に体から、正確にいうと眼球の奥から涙が運ばれてきた。その時に初めていまボクは悲しいのだと気づく。

 涙に理由はあるのだろうか。
 この世に存在する全ての物は、自然の中で偶々生き残れる特性を持っていたから生き残ってきただけだ。
 つまり自然というものが最上位にある、とボクは考えている。(そんなボクが宗教を拓くなら自然、もしくは宇宙信仰的なものになるのかもしれない。)
 だとすれば自動的に涙が運ばれてくるというボクらの特性は、その特性を持つ個体が偶々環境に適応しやすかった、自然の中で生き残りやすかっただけでしかない。
 そこに哲学的な理由などは恐らくなく、やはり偶々なのだ。考えても仕方がない。
 でもじゃあ理由がないからと言って、何の慰めにもならない。現に今ボクは同級生の身体が入れられた棺を前にして、彼の開くことのない瞼を眺めて、彼に比べると開きすぎていると言ってもいい自分の眼からは涙が溢れて、どうしようもなく悲しいことに気づいているのだから。

 彼は白血病だった。闘病していたのは知っていたが、ボクがそのことを知ってから亡くなるまではすぐだった。
 白血病は若い方が寛解する可能性が高い、そんな情報のせいで楽観的になってしまっていたのかもしれない。知ったあとも、そのうちお見舞いに行けたりするのかな?と呑気なことを考えていた。
 亡くなってから一日か二日後?には葬式が開かれることになり、スケジュールを確認すると何の偶然なのか、何の予定も入っていない。ちょうど良い、という言葉が適切ではないことはわかるが、それ以外にわかりやすい表現も思い当たらない。
 喪服の代わりになるようなスーツを持っていなかったので、朝イチで買いに行った。人生で一番くらいの最悪の朝だ。
 知識がなかったボクは入店するなりスタッフに声をかけた。

「何でもいいんで、冠婚葬祭に使えるものが欲しいのですが。」

「いつお使いになりますか?」

「今日です。このあと」

 察しのいい店員ならきっと、ああ誰かが死んだのだな、とすぐに分かるように思う。結婚式なら一日や二日後に開かれるわけがないのだから。
 5万円くらいのスーツを即決した。すぐに使うと伝えたが、スーツを使えるようにするのには時間がかかる。
 ボクは待ち時間にベルトを買いに行った。東京の大きめの駅の中では、ガラッとしたスペースでベルトを売っている人が大体いる。
 千何百円かのベルトを手に取り長さを尋ねてみると、この場で切って調整できると言ってくれた。これはもう偏見だが、ベルト売りの中年男性は見た目より親切に思えた。
 ベルトを手に入れスーツを受け取りに行く。すぐに使うので試着室で着替えさせてもらった。きっと似合っていないであろう(その日に関しては似合いたくもないのだが。)フォーマルスーツを着て、同級生の元へ向かった。

 葬儀場に着くと高校の同級生がたくさんいた。
 バンドマン(ボーカル)に偏見をお持ちの方には申し訳ないが、ボクは友達が少ないタイプではない。成人式にも行ったし同窓会にも誘われれば当然参加した。
 ボクらの学年は100人規模の同窓会が開かれたこともあるくらい、雰囲気の明るい学年だった。めちゃくちゃ端的に言えばリア充がかなり多かったように思う。
 東京の学校だからなのか、ヤンキーも一人もいない。それっぽい奴はいたが、そいつでさえボクと同じ大学に進学するような、いわゆる進学校でもあった。
 そんな明るい学年だったがその日はもちろん明るい雰囲気ではない。久々の再会だけに焦点を絞れば何かプラスの気持ちを感じなくもないが、やはりそれを嬉しいと言ってしまうのは適切ではない。

 葬儀場のホールには彼の思い出の品々が飾られている。その思い出の品々の中にボクが存在しているかと言われれば、そうでもない。会ったのも10年以上ぶりだし、疎遠というやつだ。
 喪主はパートナーが務めている。両親も健在、とは言い難いが生きていて、彼の弟と一緒にボクらを出迎えてくれている。
 少し驚いたのは、彼の両親の仲が良くなっているように見えたことだった。高校生の頃に彼の家には何度も行ったことがあったが、ボクに見える範囲の話だけで判断するなら、当時は夫婦仲があまり良くないようだった。
 彼の闘病によってなのか…父親も病を抱えている様子だったので、その看病をしていたからなのかはわからないが、とにかく仲が回復しているように見えた。
 思い出の品々の中にボクはいないと書いてしまったが唯一、高校の頃にクラスのみんなで作った音源だけはBGMとしてホールに流れていた。その音源にはボクが歌っている部分もある。
 彼との少ない繋がりを感じながら葬儀は執り行われていった。
 果たして少ない、のだろうか。
 高校の一年目に同じクラスで…ボクも彼も音楽、ギターをやっていて…そういう面でお互いを意識していたことはあったんじゃないだろうか。
 昼休みは一緒にご飯を食べていたし、彼のお弁当は彼の料理上手な母が作った豪華なもので、ドリアだの焼肉弁当だの天丼だのと。いつもあまりにも美味しそうなのでいつもそれを一口貰っていた。
 ボクはと言えば150円のメンチカツサンドを毎日一つだけ買って食べていたのだから、貧しくて嫌になる。

 彼は当時は珍しいMTRという音楽を録音できる機械を持っていて、休みの日になると彼の家に自転車で行き…とにかく何曲もオリジナルの楽曲を録音して遊んでいた。
 彼含む友達数人でそれぞれが録音した曲を録音したり共有したりする。それがボクらの当時の遊び方だった。みんなが作る曲はみんながみんな、それぞれダサかった。才能がない高校生なんてそんなもんだと思う。東京の高校生の癖に全く洗練されていない。それがボクらだった。
 高校を卒業してからすぐ疎遠になったというわけでもなく、何故か大学を卒業したあとも数ヶ月だけはAsukaという5人組のバンドを一緒にやっていた。その活動はすぐに終わってしまったが。

 ここに書いただけでも分かるような気がする。多分、彼とボクは仲が良かったのだ。
 牛丼屋なのに終電まで話し込んだり、親に許可も得ずにボクの家に泊まったせいで翌日彼の母親に二人で怒られたり、彼の髪を全てスプレーで逆立ててデーモンだ!とバカにしながら部活(彼もボクも軽音楽部だった。)のライブに参加したり、東横インでインした、という下らない童貞喪失エピソードを聞いて笑ったり、女性ボーカルのバンドを組むために一緒にバンドメンバーを探したり…
 疎遠だったとしても、生きてさえすればまたあの頃と同じような日々が来る可能性はある。限りなくゼロに近くても。でも死んでしまえばそれはあっけなくゼロになる。ゼロとイチの差、大きさを痛感する。

 彼との記憶をいくつも思い出したからなのかはわからないが、葬儀の途中から自動的に涙は流れていた。もう戻ることはない時間や命の不可逆性を感じた。不可逆なのは先に書いた自然そのものがもう全てそうなのだけど。
 それが個体のことになると悲しいなんて、やっぱり人間は不思議だ。いくら自然の中で生き残っているだけだといっても、感情がこうなっていて悲しみを感じられる心があるのだから、仕方ない。
 葬儀が終わると彼の身体は火葬場へ運ばれていった。ボクら同級生は流れていくように解散した。また今までと同じような、それぞれの人生に戻っていくのだろうか。

 死んだら負けという言葉がボクは嫌いだ。
 死んだ後輩、同級生、彼らのことを、関係のない第三者が何故"負け"だなんて言えてしまうのだろうか。
 文脈的に生きている人に向けて言っていることもわかる。わかるけど、生者が死者を勝手に敗者に設定するような言葉を愛せるわけがない。
 自然の中では生き残ることが正しいというのは真っ当な意見だ。別にその正しさを真っ向から否定はしない。
 でもあれだけの人が悲しんでくれるような…彼の生き方を、その人生を"負け"と表現してくるような奴が現れたら、その時は暴力を我慢できる自信がない。

 ボクのこんな特性がただの自然選択による偶々残ってきた特性だったとしても、この気持ちが変わることはきっとない。

THURSDAY'S YOUTH
篠山浩生

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