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プレゼントが苦手になった理由と生活記録(2022.12.17)

昨日はやけに調子が良くて、というかハイになっていて、美容院で初めて髪をブリーチしたあと、その足で服屋に行った。ずっと欲しかったロングブーツと、そのブーツにぴったりなスエードのショートパンツ。履いて行ったスニーカーをお店で脱ぎ、買ったばかりの靴を履いて帰った。
諭吉二枚を一日で使ったのはいつぶりだろう。無職になって半年、大きな買い物はずっと我慢していたから、帰る道すがら嬉しくて高揚していた。

以前の私は、プレゼントを贈ることが大好きだった。家族に、友人に、恋人に。誕生日やクリスマスはもちろん、なんでもない日でも、その人が好きそうなものを見つけると買わずにはいられなかった。
でも、いまはそう思えない。いいものを見つけても、ぺらりと値札を見ると、「あのお店で甘いものが食べられる」「服が買える」「ゲームが買える」と、欲しいのに我慢しているものばかり頭に浮かんで仕方ない。
自分が満たされていないと、人にものをあげたりできないのだ、と知った。

一転して今日は、気分も体も沈んでいる。昨日の疲れと、お決まりの低気圧だろう。頭が重い。
気圧が低いときは軽く体を動かすといい、と聞く。その気力がないから困っている、と言ったら駄々を捏ねるなと怒られるだろうか。
運動不足が諸悪の根源なのだろうとわかってはいるが、二十余年培われた運動への抵抗感はそう簡単に消えるものではない。責めるなら日本の体育教育を責めてほしい。

ひと月前は、暇さえあれば映画を観たり、ラジオを聞きながらゲームをしたりと、エンタメの過剰摂取によって活力を得ていた。映画もラジオも流していないときは、無音の時間を埋めるように音楽をかけっぱなしにしていた。
いまは音楽すらろくに聴かない。ラジオのアーカイブには視聴期限があるから聞かなきゃ、と思うけれど聞く気になれない。YouTubeも、一時間半の動画を5,6日かけてやっと見終わった。
情報処理能力が落ちている感じがして、なにを見聞きしても頭に入らないのだった。以前から本が読めないのと同じかもしれない。

その代わり活動する元気はあって、スーパーに行ったり、前述のようにひとりで遊んだりと毎日のように外出している。自分の調子に波があるのは知っていたけれど、そのときどきで得意と苦手があることは新発見だ。出かける元気があるから家の中でも楽しく過ごせる、というわけではないらしい。
いまの私は買い物が一番楽しいのだけれど、なにぶん素寒貧なのでそうそう街に繰り出すわけにもいかない。通販サイトを眺めてお気に入りボタンを押すのが関の山である(カートには入れない)。

毎日とにかく寒いので、あたたかい飲み物をせっせと用意してはすすっている。カフェオレ、コーンスープ、紅茶、キャラメルラテ。午後5時ごろにはひと通り飲み終わってしまい、途方に暮れる。一日に一杯ずつしか飲んじゃいけない決まりはないのだけれど。

頭に浮かぶよしなしごとを徒然書き連ねていたら、どこまで転がり落ちればいいかわからなくなったのでここで終わります。唐突ですが。
読んでくれたあなたが今晩よく眠れますように。

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