夏は嫌いだ
夏は嫌いだ。
しかし、夏を構成する要素の何もかもが嫌いなわけではない。
ここ数年の私は、「夏のいいところは夏野菜がおいしいことしかない」と主張してきた。
なす、きゅうり、とうもろこしにズッキーニ。
特に、真っ赤に熟れたトマトのおいしさといったら、他のなにものにも代えがたい魅力がある。野菜の中で、トマトが一番好きだ。洗えばそのまま食べられるし、そのまま食べるのが一番おいしいというところがいい。7月に入ってから、トマトばかり食べて暮らしている。
夏が嫌いなのは、暑さのために思考が奪われ、頭がぼんやりするからだった。
しかし、最近の私は年がら年じゅうぼーっとしている。服用している薬の影響なのか、ただ頭が悪くなっているのか。難しいことを考えようとすると、脳内が飽和して何も考えられなくなる。健常だった頃と比べると、いつも微熱があるような感覚で生活している。
脳の働きを鈍くする薬を飲んでいるので、副作用というよりは主作用であるから仕方ない。これがいまの私の当たり前なので、なんとも思わない。
頭がぼーっとすることが普通になったいま、夏に対する不快感は減ったように思う。だって好きだった冬ですら、頭がしゃっきりしてクリアな感覚になることなんてもうないのだ。まあそれでも、あたたかい飲み物が美味しくてセーターを着られる冬の方が好きだけれど。
服好きとしては、夏は暑すぎて服装の幅が狭いことを不満に思う。重ね着なんて暑くてやってられないので、Tシャツなり開襟シャツなりを一枚着たら終わりになってしまう。もしくはワンピース。組み合わせる楽しみというものがない。
しかも夏は長い。同じ服を何度も何度も着て飽きるので、Tシャツばかりタンスに増えていく。かさばる。捨てられない。困る。
これは私の個人的な事情だが、夏はブーツを履けないのも困る。
私は足の形が悪く、パンプスやハイヒールがどうしても履けない。スカートを履くとき、できればスニーカーではなく少し可愛らしい靴を履きたい。冬ならかかとの低いブーツを履くのだが、夏は困る。ぺたんこのサンダルは持っているが、ぺたんこゆえにクッション性がまるでないので、たくさん歩くのには向かない。よって、夏はおしゃれをするときの靴に困ってしまうのだ。
話を戻すと、日々こんな脈絡のない文章ばかり書いてしまうのも、始終頭がぼんやりしているせいかもしれない。もしくは、単に私の文章を書く能力が低いせいかもしれない。
まとめよう、文脈をわかりやすくしよう、きれいに整えようとするとわけがわからなくなってきて、もういいやこのままで、とほぼ書きっぱなしの文章を放り投げてしまう。
エッセイとタグをつけてはいるが、こんなものエッセイでもなんでもないことは自分でよくわかっている。もっと吟味して、丁寧に推敲して、大好きな江國香織のような美しい文章を書き上げられたらいいのに。なんらかの物書きになるという夢は、まだまだ遠い。
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