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夢と煙草と逃避願望

日曜日。いくらでも寝坊してかまわないのに、6時に目が覚めた。
私は夜眠くなるのが早く、昨日は21時に布団に入ったので、当然といえば当然の起床時間である。
夫を起こさないようにそうっと寝室を出て、リビングの電気をつけた。
部屋の温度は27度。まだ、エアコンをつけなくてもよさそうだ。

寝ているときに、よく夢を見る。
はっきりと内容を覚えていることもあれば、今日のように、うすぼんやりとした印象だけが残っていることも多い。
夢の記憶は色濃く、まるで現実に起こったことのように錯覚してしまうほどだ。こんなことがあった気がするけど、あの子とはもう何年も会っていないんだから、あれは夢か、というような。
そういうわけで、寝起きの私はものすごくぼんやりしている。夢と現実の区別がつかず、曖昧な意識の海を漂っている。

あまりにもぼんやりとしすぎて、ゲームも読書もままならないので、煙草を一本吸った。
煙草は、去年の秋に吸い始めた。初めて買ったウィンストンを3ヶ月ほどかけて吸い終わり、次にピアニッシモのアリアを試してみたら、メンソールが口に合わず、そのまま吸わなくなった。
しばらくしてつい最近、また不意に吸いたくなり、ウィンストンをもう一度買ったらやっぱり美味しくて、ときどき吸っている。一日一本まで、という個人的なルールは、今のところ守っている。

煙草を吸う時間は、他の息抜きとは少し違う気がする。
私の感覚としては、コーヒーを飲むことに一番近い気がするのだが、コーヒーよりももっと没頭できる感じがする。
コーヒーをずっと飲み続けることはできないので、コーヒーブレイクといってもスマホをいじったり、本をめくったりすることが伴う。しかし煙草は飲食ではないので、火をつけて、吸って吐いて、ちらちらする火とゆらめく煙を眺めるだけの時間が生まれる。(煙草を吸いながら他のことをする人も多いと思うが、私は何もしないのが好きだ)

なので、煙草そのものが好きというよりも、煙草を吸う時間が好きで吸っているところがある。5分10分、何もしないでぼんやりしたいときに、煙草があると手持ち無沙汰にならないし、一本までと決めているので時間の区切りもはっきりするし、なにかとちょうどいいのだった。

そういえば、最近面白い本屋に行った。
梟書茶房(ふくろうしょさぼう)という、池袋の駅ビルにある本屋兼カフェなのだが、本は不透明の袋に包まれ、タイトルも作者もわからない状態で買うのだ。
袋には簡単なあらすじというか紹介文が書かれており、それを頼りに本を選ぶわけだが、私が心惹かれたのは、「疲れているなら思いきって逃げろ!」という力強い一言のみが書かれた本だった。

現状に不満はないけれど、遠くに行きたい、いまの自分を取り巻くすべてから逃げたい、という逃避願望を、いつからだろう、私はずっと抱えている。
だから一人旅が好きだ。好きというか、行かざるを得ない、という感じ。
旅に出たところで、何かが変わるわけじゃない。問題は解決しないし、金欠から解放されるわけでも、友達に愚痴を聞かされる時間がなくなるわけでもない。それでもときどき、えいやっと知らない土地に「行くしかない」ときがくるのだ。

そういうわけで、私の手元にやってきた本は、能町みね子『逃北 つかれたときは北へ逃げます』(文春文庫)というエッセイ集だった。
疲れたとき、南の島に癒されに行く人もいるだろうけれど、自分は「北」を感じられるところに行きたくなる、という話だ。東北、北海道、果てはグリーンランドまで、「北」に逃げた経験を語る本であるらしい。
まだ冒頭しか読んでいないが、内容は面白そうである。文体がブログチックというか、やや砕けすぎなのと、本文のフォントがゴシック体なのが少々気になるが、それこそブログでも読む感覚で気楽に読める本だと思う。


久しぶりにまとまった文章を書いたら気持ちが落ち着いた。私にとっては、こうして頭の中にあるもやもやを言語化して吐き出す時間も、ある意味では逃避であり、生きていくのに必要な時間なのだと思う。

8時になった。もう夫を起こしても文句を言われない時間だろうか。
間違えて牛乳を買いすぎてしまったので、今朝はホットケーキの予定だ。
夫の誕生日が近いので、プレゼントを一緒に買いに行く約束もしている。
楽しい日曜日になりそうだ。


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