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連載小説「出涸らしのティーバッグ」第2話

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 夕食後に黒豆茶を味わうのは至福の時間だ。壁に背を預けてベッドに体育座りをし、湯気を立てるカップを片手に、スマホでアプリを検索する。オンラインの出会いが初めての私は、まず出会い系アプリの多さに圧倒されてしまう。婚活に特化したアプリをいくつかピックアップできた頃には、ベッドサイドに置いた黒豆茶はすっかり冷めていた。選んだ中から、登録者が多く、セキュリティがしっかりした会員制のアプリ1つを選んで登録を決めた。事前審査のあるアプリも魅力的だったが、容姿や年収まで精査されるのが面倒で断念した。

 まずは個人情報、希望するお相手の条件を選択型の質問に答えながら入力し、プロフィールを完成させる。

ニックネーム:Misuzu
年齢:33歳
血液型:O型
居住地:群馬県
出身地:栃木県
職業:会社員(人材派遣)
最終学歴:S女子大卒
趣味:読書、アロマテラピー、森林浴

お相手に希望する条件
年齢:20~40代
職業:会社員、公務員、専門職、自営業、自由業
居住地:関東圏 
年収:400万円以上
最終学歴:大卒


 ニックネームは、Mio Suzukiを短縮したMisuzuに決めた。お相手の居住地にこだわりはないが、電車や飛行機での感染リスクが高いので、車で移動できる距離を考えて関東圏に絞る。写真は、自撮りに自信がないので、友人に撮ってもらった写りの良いものを背景加工してアップする。自己紹介文は何度も書き直した末、プロフィールにない情報を中心に構成した。 

「はじめまして。小柄でやせ型、たれ目でショートヘアの会社員です。今年、10年間勤めた東京本社から北関東に移り、試行錯誤の日々です。

 コロナ禍で新しい出会いが難しい状況ですが、幸せな家庭を築きたい思いは誰にも負けません! 結婚したら、対等で、互いの実家を大切にできる関係を築きたいです。

 身近に重症化リスクのある方がいるので、感染防止に気を遣っています。こうした状況なので、お会いする前に、メッセージや通話、ZOOMでたくさんコミュニケーションを取りたいです。たっぷりお話しして、互いに会いたいと思えた方と、感染防止対策のしっかりした場所でお会いできれば嬉しいです。

 共感してくださる方の連絡をお待ちしています!」


 感染防止対策については、書いたり削除したりを繰り返したが、幸一さんのときのようなことは避けたい。これに抵抗を感じる人とは、ご縁がなかったと割り切るしかない。

 大きく伸びをして黒豆茶を淹れ直し、アロマディフューザーにユーカリの精油エッセンシャルオイルを垂らす。爽やかな香りに包まれてベッドに寝転がり、男性のプロフィールを検索する。緩い条件で検索すると、数百名のプロフィールが出てくる。条件を絞り込むと40名になったので、それを一つ一つチェックしていく。自己紹介文を書いていなかったり、いい加減な文章で熱意が伝わってこない人は結構いて、そんな人たちを省いていくと15名が残った。限られた情報が頼りなので、写真や自己紹介文が充実している人に興味が行ってしまうのは否めない。その中で特に魅力を感じた5名に「いいね」をつける。

 一通りの作業を終えると、スマホの小さな画面を見続けたせいで、眼精疲労がひどかった。目薬をさし、開けっ放しだったカーテンを閉めようと窓際に立つと、吸い込まれそうな闇がどこまでも広がっている。北関東の夜は東京よりも深い。「どうか、素敵な方とマッチングできますように」と祈り、ハーブの香りのアイマスクをつけてベッドに入る。明日が日曜なのが無性に嬉しい。

2-2

 目が覚めると同時にユーカリの残り香に包まれる。すぐにアプリのことを思い出し、枕元のスマホを手に取る。まだ外は薄暗いが、鳥たちはすでに活動を始めている。いつもは憂鬱しか運んでこない雀のさえずりも、今朝は清々しく聴こえる。

「うわ、すごい……!」
 アプリを開くと、25名が「いいね」をつけてくれている。そのうち3名は私が「いいね」をつけた人で、マッチング成立だ! 竹内くんから、新規登録者は「いいね」をもらいやすく、このときがチャンスだと聞いた。ぐずぐずしてはいられない。

 体温が正常なのを確認し、カーテンを開けて、大きく伸びをする。窓を少し開けると、明け方にしては温かい空気が流れ込み、もうすっかり春だと実感させられる。生き物は温度が上がると活発になるのは本当で、心なしか体が軽い。

 深呼吸すると途端に空腹を感じる。昨夜の残りの玄米と味噌汁、目玉焼きとミニトマトの朝食をかきこみ、メッセージ送信を開始する。竹内くんから、マッチングしたら、すぐにメッセージを送らないと、せっかくのご縁が切れてしまうと念を押されている。

 まずは、マッチングした3人のプロフィールと自己紹介文を読み直し、メッセージを送ることにする。

理央りおさん(27) 商社勤務 東京都在住 趣味は海外旅行、フットサル、舞台鑑賞 

「子供の頃から海外に興味があり、商社マンに憧れていました。イギリスの大学に留学して英語を磨き、念願の商社マンになりました。目標は海外に駐在して、大きなプロジェクトを手掛けることです。
 数年以内に海外勤務になるので、異文化や海外生活に抵抗がなく、海外で子育てができる年上の女性と出会いたいです。喜びも悲しみも分かち合い、一緒に成長できる夫婦を目指しましょう!!」


 自己紹介文を読んだとき、屈託のない明るさと、目標に向かって一途に進む力強さに好感を持った。外国で撮ったと思われるスーツ姿の写真を見ると、意志の強さと少年のような純粋さが同居する眉目秀麗な顔立ちだとわかる。上質のジャケットとネクタイが似合い、服へのこだわりが垣間見える。かつて愛した人と共通する匂いを感じたが、それ以上に未来を感じさせる明るさに引き付けられた。6歳も年下なので気後れしたが、年上女性を希望と知り、勇気を出していいねを送った相手だ。


 理央さんは、既にメッセージを送ってくれていた。

 こんにちは。初めまして。いいね、ありがとうございます。Misuzuさんの自己紹介文を拝読して、周囲に配慮できる優しい方だなと思いました。優しそうな顔立ちは、僕の好みそのものです。
 Misuzuさんのことをもっと知りたいです。僕について知りたいことがあったら、何でも聞いてください。お返事お待ちしています。 

理央さん

 早速のメッセージ、ありがとうございます。マッチングできたことも、メッセージをいただけたことも、跳びあがるほど嬉しいです。6歳も年上なのにありがとう。

 私のこと……、何をお話ししたらよろしいでしょうか。とりあえず、海外についてですね。卒業旅行で行ったロンドンに魅了されてから、会社の同期とよく海外旅行に行きました。旅行英会話くらいはでき、海外生活にも関心があります。
 
  理央さんは、休みの日は何をしていますか? ご趣味の舞台鑑賞とフットサルを楽しんでいるのでしょうか? 早くコロナが収束して、海外に出られるといいですね。私は家でアロマを焚いたり、人の少ない公園で森林浴を楽しんで英気を養っています。

 これから、たくさんメッセージを交換して、お互いを知れたら嬉しいです。今後とも宜しくお願いします。                    Misuzu

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2389さん(34) 医師 群馬県在住 趣味はボディビル
 
「病院勤務の内科医です。例の疫病のせいで病院とホテルに缶詰です。日課だったジム通いもできず、疲労とストレスが蓄積する日々です。
 仕事の都合上、すぐに会うのは難しいですが、メッセージ交換から始めましょう。不規則な勤務形態なので、それでも許容してくれる方ならうまくいくと思います。疲れてベッドに倒れ込み、アプリを開いたとき、温かいメッセージが入っていると翌日も頑張れます」

 
 写真はなかったが、自己紹介文を読んで、自由に人と会えない共通点を感じた。彼となら、メッセージを交換しながら、互いを知ることができる予感がした。
 コロナが発生した初期の頃、ジムが感染源になったことを不意に思い出す。医師の彼が通うのは当分難しいだろう。医療従事者に深い感謝と敬意を抱いていた私は、彼に温かいメッセージを送りたいと思った。

2389さん
 はじめまして、Misuzuと申します。お忙しいなか、いいねをつけていただき、ありがとうございました。とても嬉しかったです。

 心身共に厳しい日々だとお察しいたします。私とのメッセージ交換が息抜きになれば、こんなに嬉しいことはありません。2389さんにご無理のない範囲でメッセージを交換し、お互いを深く知れたらと思います。お仕事、趣味、ご家族のことなど、何でも教えてください。

 私のことを少し書き添えておくと、出身は栃木県小山市、教師の両親のあいだに生まれた一人っ子です。大学から東京に出て、そのまま都内の人材派遣会社に就職しました。10年間の本社勤務を経て、今年から高崎市にある北関東事業所での勤務をスタートしました。

 お時間のあるとき、返信をいただけると嬉しいです!
                               Misuzu

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トーニオさん(44) 会社経営 茨城県在住 趣味は食べ歩き、神社仏閣巡り

「私のプロフィールを見ていただき、ありがとうございます。北関東の片隅で、神経発達症(以前は発達障害と呼ばれていたものが含まれます)の子供の学習支援アプリを開発するベンチャー企業を経営しています。
 私自身が神経発達症ですが、情報が普及していない時代に、治療を受けることなく成人した世代で、苦労の絶えない人生でした。特性に苦しむお子さんやご家族を少しでも楽にできればと始めたビジネスですが、コロナ禍で自宅学習が増えたせいか、さばききれないほどの仕事に追われています。
 山あり谷ありの人生を送ってきた男ですが、こんな私に興味を持ってくれる方のイイネをお待ちしています」

 写真だけ見ると、つり目に細い銀縁眼鏡、尖った鼻と鋭いあごが目立つ気難しそうな顔立ちで、あまり近づきたくないタイプだ。だが、自己紹介文に誠実さとユーモアを感じ、この人をもっと知りたい衝動が突き上げてきた。私自身、仕事で神経発達症の方に関わったことがあり、彼の仕事に共感した。

トーニオさん

 初めまして、Misuzuです。「いいね」をつけていただき、ありがとうございました。とても嬉しいです!

 私は、試験運営を代行する人材派遣会社に勤めていて、神経発達症の方が受験する特別室の試験監督員用のマニュアル作成に携わったことがあります。それをきっかけに、特性を持つ方々が生きやすい社会の構築に関心を持ったので、トーニオさんのお仕事への思いに感銘を受けました。
 これから、トーニオさんのことをたくさん知りたいです。多忙な日々をお過ごしと思いますが、お時間のあるときにメッセージをいただければ幸いです。

 お忙しいと思いますが、休養は取れているでしょうか? 時節柄、くれぐれもご自愛くださいませ。

P.S. トーニオさんというお名前は、トーマス・マン『トーニオ・クレエゲル』からきているのでしょうか? 違っていたら、申し訳ございません。
                              Misuzu

 三人にメッセージを書いて送信すると、かなり時間とエネルギーを費やしたことに気づく。そのことを思うと、コピーアンドペイストでたくさんの相手にメッセージを送っている人がいるのが容易に想像できる。より多くの方と知り合うには、そうしたほうが効率的だろう。けれど、私は狭く深く友人と付き合うタイプなので、婚活もそれでいいと思った。


 窓際で大きく伸びをすると、ベッドの上に放り出したスマホが振動した。

「もしもし」
「ああ、澪。仕事は慣れた?」
 教師を定年退職したばかりの母は声がよく通る。
「うん、大分ね」
「よかった。そういえば、東京にいるとき、紹介したい人がいるって言ってたじゃない。コロナ禍だから保留にすると言ってたけど、どうなったの?」

 回りくどい物言いを嫌い、すぐに要点を切り出す母は健在だ。そのことを頼もしく思いつつも、いまは鬱陶しさが上回る。

「コロナでなかなか会えなくて、結局だめになっちゃった。ごめんね。お父さんにも伝えといて」
 母の詮索が始まる前に釘を打つ。妻子を捨てて一緒になってくれる覚悟の人だと言えずじまいだったが、コロナで破局したのは嘘ではない。

「それは不運だったわね……」

「もう、終わったことだから。それより、おばあちゃんはどう? 施設のオンライン面会、まだできないの?」

「それがね、聞いてよ。オンライン面会が始まったっていうから、すぐに申し込んだのよ。そしたら、施設でクラスターが出て、それどころじゃなくなって、保留になってるのよ」

「え!? おばあちゃんは大丈夫なの?」
 高齢者が感染したら重症化リスクが高いと聞いていたので、心臓がびくんと跳ね上がる。母方の祖母は82歳だ。

「今のところ大丈夫だけど、気は抜けないわね。栃木は田舎なのに、今年1月に出た2回目の緊急事態宣言のとき、対象地域に入ったんだから」

「うん。でも、おばあちゃん無事でよかった……」

「本当に生きた心地がしないわよ。ニュースで見たけど、感染して亡くなったら、遺体にも対面できずに……」
 それ以上は口に出すのも恐ろしいらしく、母は言葉を切る。

「宇都宮のおじいちゃん、おばあちゃんは? おじいちゃん、入院してるんでしょ?」

「おばあちゃんは相変わらず元気だから心配ないわ。おじいちゃんは入院中だけど面会禁止。それでね、お父さんがおじいちゃんの着替えを病院に届けにいったのよ。そのとき、看護師さんと話したらしいけど、コロナ禍で面会禁止のせいか病棟では風邪もインフルも出なくて、高齢の患者さんも、ぴんぴんしてるそうよ。やっぱり、外から持ち込まれるのね」

「そうなんだ。何がいいのかわからないね……。オンライン面会するとき、私にも声かけてね。行けたらそっち行くから」

「わかったわ。でも、忙しいなら無理しないでね」

「うん。お父さんとお母さんも気を付けてね。まだ、ワクチン接種始まらないの?」

「まだよ。あ、お父さんが話したいって」

「澪、久しぶりだな」
 母とは対照的なゆったりとした低い声が飛び込んでくる。しばらく話さないうち、声のはりが失われたのが気になる。

「お父さん、元気?」

「元気だよ。毎日散歩して、ご飯もたくさん食べてるよ。運動不足にならないように、犬を飼いたいと思ってるんだ。海外では、ロックダウン中でも、犬の散歩なら外出できるとニュースで見たよ。日本はそこまで厳しくないけど、年齢的に飼えるのは最後かもしれないと、ふと思ったんだ」

「それだけ元気なら良かった。犬飼うのもいいんじゃない」
 そっけなさを装いつつも、年齢的に犬を飼えるのも最後と言う言葉が胸を締め付ける。犬の寿命は13年くらいと考えると、父が健康でいられる年齢をほのめかされた気がする。
 
「うん。それより、紹介するって言ってた人、別れちゃったのか?」

「聞いてたの? まあ、そういうことだから、ごめんね」

「いや。その後は、いい人いないのか? お父さんもお母さんも、元気なうちに孫の顔が見たいよ」

「いま、オンラインで婚活してる」

「そうか。ソーシャルディスタンスだの、人との接触を減らせだの言われてる時期だから、何かと大変だろう。飲食店まで時短営業を求められてるご時勢だからな」

「そうだね……」

「なんなら、こっちの縁で紹介できるぞ。もう少ししたら、親戚の集まりもできるだろうし、そのときに相談してみよう」

「ああ、うん。とりあえず、頑張ってみるよ。二人とも元気そうで安心した。じゃ、お母さんに宜しくね」

 話が長い父から逃れるように電話を切る。曾祖父母の代から続く教師の家同士で結婚した両親は、私を教師と結婚させたがっている。教員採用試験に落ちた親不孝な一人娘なので、その思いに答えなくてはという気持ちは常にある。孫を望む両親の気持ちに答えたい思いも強い。
 
 他方で、子供の頃からまとわりついてきたしがらみから脱出したい思いも同じくらい強い。あの家に縛られている限り、教師だらけの親戚の集まりに顔を出すごとに、落ちこぼれだと暗に言われ、劣等感を植え付けられる。私が欠席を続けても、両親は私の話題になるたびに、肩身の狭い思いをさせられるだろう。


#創作大賞2023