連載小説「出涸らしのティーバッグ」第3話
3-1
真っ先に返信してくれたのは理央さんだ。限られた情報しかない状況下で、早い返信は相手が確かに存在すると実感させてくれる。
3-2
夜になって、トーニオさんから返信が来た。
理央さんのメッセージに陽光が注ぐような明るさがある一方で、トーニオさんのメッセージには陰影とユーモアが潜んでいる。この個性は人物そのものを映しだしているのか、電話で声を聞いたり、顔を合わせて話したらイメージが覆るのか想像が広がっていく。
トーニオさんの教えてくれたサイトにアクセスすると、彼と民放の女性アナウンサーが対談する動画が出てくる。ゴールデンタイムに放送される有名な番組なので驚いた。
オープニング終了後、小学校低学年くらいの男の子が、タブレットを手に、目を輝かせて算数の問題に取り組む映像が流れる。
レポーター:
小学2年生の凛久くんです。ADHD傾向が強い神経発達症で、集中力を維持するのが難しく、特別支援学級で学んでいます。
「ステージ5、クリア~。楽勝! あと2ステージでNintendo Switchのソフトもらえる~!」
アニメキャラクターがプリントされたトレーナーを着た男の子が、得意そうにタブレットを母親に見せる。男の子は、ふかふかのソファの上でぴょんぴょん飛び跳ねる。
凛久くんのお母さん:
以前は勉強机に座らせるだけで一苦労でした。やっと座らせても、すぐに中断して他のことをしてしまうんです。この子の機嫌を取りながら宿題を終わらせるだけでへとへとになっていました。
レポーター:
コロナ禍でオンライン授業になったとき、いま凛久くんが使っているアプリに出会ったのですね?
凛久くんのお母さん:
はい。息子はオンライン授業にすぐに飽きてしまい、ゲームばかりしていました。どうやって勉強させればいいかと絶望的な気分のとき、このアプリを使ってみると、ゲームと同じくらい勉強に夢中になってくれたんですよ。学校のテストでも良い点が取れるようになりました。
柘植アナウンサー:
こんばんは。いま注目の起業家にお話を聞く『チャレンジ21』、今夜はフレキシブル代表取締役社長の葉山圭介さんをお迎えしました。葉山さん、宜しくお願いします。
葉山社長:
宜しくお願いします。
柘植:
先程の映像に出てきたアプリケーション《スタークエスト》は、フレキシブルの商品です。2018年に発表されてから着々とダウンロード数を伸ばし、先月末時点で500万人以上が利用しています。葉山さん、この商品をご紹介いただけますか。
葉山:
弊社が開発した神経発達症のお子さんの学習を支援するアプリです。神経発達症には、ASD(自閉スペクトラム症)、ADHD(注意欠如・多動症)、LD(限局性学習症)などの症状がありますが、症状に合わせて設定を変えられます。ご希望のコースを選び、課金していただくと、お使いいただけます。
先ほどの凛久くんは、多動衝動優位型ADHDコースで学習しているお子さんです。凛久くんの進度に合わせ、タイミングよく解法や解説、次の問題が提示されます。学習ステージをクリアすると星をもらえて、星を集めると景品に交換でき、ゲーム感覚で学習が進みます。
学校の授業に集中できなくても、このアプリなら予習、復習が楽しいと言ってくださるお子さんや保護者の方がたくさんいらっしゃいます。
柘植:
ここで、神経発達症についてまとめておきましょう。こちらのパネルをご覧ください。最新版の精神疾患の診断・統計マニュアルによると、神経発達症には、知的障害(知的能力障害)、コミュニケーション障害、自閉スペクトラム症(ASD)、注意欠如・多動症(ADHD)、学習障害(限局性学習症、LD)、発達性協調運動障害、チック症の7つが含まれます。
代表的なものに、自閉スペクトラム症、注意欠如・多動症、学習障害が挙げられます。自閉スペクトラム症は、対人コミュニケーションが苦手、反復的な身体の運動や会話、固執やこだわり、感覚刺激に対する過敏さや鈍感さなどが現れます。注意欠如・多動症は、不注意(集中できない、気が散りやすい、よく物をなくす、忘れ物が多いなど)と多動-衝動性(じっとしていられないなど)が主な症状です。学習障害を持つ方は、全般的な知的発達に遅れはなくても、読字の障害、書字表出の障害、算数の障害が見られます。
実際はこれらの症状が重なり合っていることもあります。
葉山さん、こうした症状のあるお子さんが、このアプリで学べる年齢層はどこまででしょうか?
葉山:
小学生から高校生までの五教科に対応しています。五教科以外にはプログラミング、外国語、天文学、数学など特殊能力を伸ばすコースもあります。
お子さんの能力や興味に合わせてコースを選べるので、得意な分野は実際の学年よりも上級、苦手な分野は無理のない進度で学習できます。
柘植:
昨年2月には、新型コロナウイルス蔓延防止のために小中高等学校の全国一斉休校が要請されました。これを契機に、ダウンロード数が伸びたようですね。
葉山:
たくさんの方にインストールしていただきました。家庭でのオンライン授業に集中できないお子さん、逆に学校では他の生徒さんの声が気になって集中できなくても家庭では集中できるお子さんなど、様々な方からご好評いただいています。最近では、神経発達症以外のお子さんのダウンロード数も伸びています。
柘植:
さて、視聴者の方から葉山さんへの質問をたくさんいただいております。最初の質問は、北海道の発達ママさん(30代)からです。「葉山社長は、どうしてスタークエストを開発しようと思ったのですか」。葉山さん、いかがでしょうか。
葉山:
実は私も神経発達症です。私が子供の頃は、治療を受ける機会どころか情報さえありませんでした。学生時代も就職してからも苦労し、ようやく診断を受けたのは5つ目の会社をクビにされた後でした。
柘植:
ご苦労をなさったのですね。
葉山:
ええ。40歳を過ぎ、5つ目の会社を追い出されて途方に暮れているとき、大学の研究室の先輩が起業した会社に誘われました。そこで、何か開発したいアプリはないかと聞かれ、スタークエストの原案を提案しました。私は子供の頃、得意な科目は集中力が続いてどんどん伸びるのに、苦手科目はすぐに飽きてしまいました。その経験を生かし、神経発達症のお子さんが楽しく学べるアプリを作りたいと思いました。
柘植:
ご自身の経験があるので、利用者の視点で考えられるのですね。
では、もう一つお伺いしましょう。東京都のルカさん(20代)からです。「勢いのある会社なので、都内に本社があると思いましたが、茨城県T市にあるのですね。T市は開発やテストに便利なのでしょうか」
葉山:
ご指摘の通りです。母校の研究室と共同研究していること、開発に協力してくださるお子さんや保護者の方が多いことが大きいですね。
柘植:
葉山さん、ありがとうございました。そろそろお別れの時間が近づいてきました。最後に、葉山さんの次のチャレンジをお伺いしたいと思います。
葉山:
いま、少年院、女子少年院にスタークエストを無償で提供させていただき、私が訪問して使い方を説明する活動を行っています。コロナ禍でなかなか進みませんが、全国の少年院、女子少年院を訪問するのが目標です。こうした施設には、神経発達症を持っているのに治療を受けられなかったり、周囲の理解を得られずに苦しんできた方がたくさんいらっしゃいます。
柘植:
こちらの写真をご覧ください。葉山さんが少年に囲まれています。皆さん、いい表情をしていますね。
葉山:
数学の問題を解く競争をしているところです。辛うじて私が勝ちましたが、素晴らしい能力を持つ方と良い勝負ができました。
柘植:
こんな無邪気な一面もある葉山さんでした。
葉山さん、本日はありがとうございました。
葉山:
ありがとうございました。
柘植:
今夜のゲストはフレキシブル代表取締役社長の葉山圭介さんでした。来週は、オンライン診療システムの開発に取り組むDr. Web代表取締役社長の片倉賢太郎さんをお迎えします。
彼とアナウンサーのリズムのある会話に引き込まれ、あっという間に30分が経過していた。写真では冷たそうに見えた顔立ちは、意外と表情豊かで、長身痩躯はメディア映えする。メディア向けに創られた顔ではあるものの情報量が増したことで、より人物像がはっきりしていく。この人が私のためにメッセージを送ってくれたという現実に肌がじんわりと熱を帯びてくる。
3-3
医師の2389さんからは返信がない。県内でマッチングできたのは彼だけなので残念だ。スマホを開く暇もないくらい多忙で疲労困憊しているのか、私のメッセージが気に障ったのか。私が他の人とも連絡を続けているように、彼も複数の方とコンタクトしていて、そちらが忙しいのか。相手からの返信がない以上、あれこれ類推する以外にできることはない。
「ご縁がなかっただけだよ」
前橋市で実施した試験監督員の登録会から帰る社用車のハンドルを握りながら、彩子が断言する。
「その人、いろんな人とマッチングしてるんじゃない? 医者だったら、モテモテでしょう。いまは社会全体で、医療従事者に対する敬意が高まってるし。去年の5月頃、医療従事者への感謝と敬意を込めてブルーインパルスが飛んだよね」
「そうだね……」
「すーちゃんが否定されたわけじゃないんだから、気にしないほうがいいって。いちいち落ち込んでたら持たないよ」
親友の彩子が私のために言ってくれるのは十分わかっている。けれど、結婚という段階に進んだ彩子の言葉は、優越感を見せつけるように響き、神経がささくれだつ。そんな感情が湧いてくる自分が一番腹立たしく、無性に悲しくなる。
ようやく目に馴染んだ山の稜線を見ながら心を鎮める。高崎からは故郷の小山とは違う山並みが見えるが、山に囲まれている安堵を覚えるのは同じだ。
「うん。連絡が続いている人が2人いるから、そのご縁を大事にする」
「気になる、どんな人?」
「27歳の商社マンと44歳のベンチャー社長」
「お、随分年齢が違うね。どんなところに惹かれたの?」
「ベンチャー社長は、神経発達症の子供を支援したくて彼らの特性に特化した学習アプリを開発してる。彼自身、神経発達症で、治療を受けずに成人した世代だから、苦労続きの人生だったけど、やっと能力を生かせる仕事につけたみたい」
「神経発達症の人って、マルチタスクが苦手で、人を管理するのは難しいんじゃない? 会社の経営、うまくいってるの?」
神経発達症を持つ透さんを良く知る彩子は、懸念のにじむ口調で尋ねる。
「彼はメディアに出て広告塔の役割を果たしていて、経営は信頼できる先輩に任せているみたい。雑誌で読んだけど、大学院の研究発表とかプレゼンで鍛えられて、論理的に話せるようになったみたい。背が高くてまあまあの外見だから適役。あとでテレビに出たときの動画リンク送るね」
「うん、見たい! そう言えば、本社にいるとき、すーちゃんと私で、神経発達症の受験者がいる試験室の試験官マニュアル作ったね。懐かしいね」
彩子と本社で過ごした日々が懐かしい。あと数日で彼女は退職する。今までのままでいられない寂しさと、人生を前に進めなくてはという焦りが複雑な感情を引き起こす。
「その経験があったから、彼の仕事に興味持ったんだ。自分が苦労したから、次の世代にはそうさせたくないっていう思いに惹かれた」
「すーちゃんにふさわしい魅力的な人だね。もう一人は?」
私はマスクを下げ、ペットボトルの爽健美茶を口にし、どう切りだすか考える時間を稼ぐ。
「商社マンになりたくて、留学して英語を身に付けて、夢をかなえた一途な人。海外駐在になる予定だから、一緒に行ってくれる海外生活に抵抗のない年上女性を希望」
「へえ。どんなところに惹かれたの?」
「うーん、目標に向かって邁進できる一途なところ。育ちの良さと、努力で欲しいものを勝ち取った自信からくる余裕を感じるところ」
「外見は?」
彩子は何か思うところがある口調で尋ねる。
「写真一枚しか見たことないけど、意志の強さと純粋さが同居している綺麗系の顔立ち。高そうなスーツとネクタイが似合っててお洒落そう」
いつもはっきりものを言う彩子が、言いにくそうに切り出す。
「すーちゃん、聞く限りだから間違ってるかもしれないけど、何となく海宝課長と同じ匂いがしない……?」
彩子の言葉は、ずしりと響く一方で、指摘されるのを待っていたような安堵をもたらす。理央さんとかつて愛した人に似たところがあると気づいていた。だから、惹かれたのかと問われれば、全否定はできない。けれど、決してそれだけではない。
「別にいいんだよ。そういう人がすーちゃんの好みだろうし。でも、その人と海宝課長を重ねて見たら、辛くなるんじゃない……?」
「うん、それには私も気づいてた。でもね、言い訳に聞こえるかもしれないけれど……、いまの私は彼の未来を感じさせる明るさというか、海外に連れだしてくれるような勢いのほうに惹かれてる。それは海宝課長になかったもの。彼のメッセージが本当に楽しみ。ちゃんと彼を見たいと思う」
「それなら大丈夫だね。どちらも良さそうな人だし、うまくいくといいね」
彩子はウィンカーを出し、車を右折車線に入れた。
彩子に肯きながら、私はかつて愛した人に思いを馳せる。彼と私の人生が交わることはもう二度とない。だが、彼を全身全霊で求め、魂が震えるほど愛した経験は胸に刻印され、同じように誰かを愛したい衝動を引き起こす。オンラインだけで、そこまで気持ちを高められるかはわからない。けれど、私は立ち止まっていたくない。
「あのさ、私、オンライン結婚式にしようと思ってるんだ」
赤信号で停止しているとき、彩子がぽつりと言った。
「え、フェルセンで挙げるんじゃなかったの?」
「うん、それは変わらないんだけど、この時期に人を集めるリスクを考えたら、フェルセンからオンラインで配信したほうがいいと思った」
「最近は、事前に参列者に検査キットを郵送してPCR検査を受けてもらって、陰性を確認して集まってもらう方法もあるらしいね」
「うん。それも考えたけど100%の安全は保障できない。招待する方のなかには黒沢さんとか矢島さんのように、持病があって、感染したら重症化リスクが高い人がいるじゃない。お料理を作ってくれる羽生さんも高齢だし。もし、私たちの式で感染して、取り返しのつかないことになったらと思うと……。私も透もそこまでして集まってもらうことを望んでない」
「そうか。コロナが収まるのを待ったら、いつになるかわからないよね。お店を貸し切りにする日も決められないし」
「そう。それに……」
彩子は少し口ごもった後で続ける。
「私の両親は相変わらず結婚に反対していて、参列してもらえないと思う。透には身寄りがない。オンラインなら、そういうことを追求されないで済む。少なくとも、直接私たちの耳に入らないから、嫌な思いをしなくて済む」
彩子は澱んだ空気を一掃するような透明感のある声で続ける。
「オンラインの結婚式なんて、この時期じゃないと経験できないし、準備するのも結構楽しいんだ!」
私も彩子に同調して声のトーンを上げる。
「確かにそうだね。私も参列させてもらうのが楽しみ! 何か手伝えることがあったら遠慮なく言ってね」
「ありがとう、嬉しい!」
コロナ禍で、今までは当たり前だった楽しみが失われていく。それでも、新たな可能性を見つけて、いまの状況を楽しもうとする彩子の柔軟性は素敵だ。私も制限のあるなかでの婚活を楽しもうと決意を新たにした。
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