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立ち止まって見えた景色

立ち止まってみて気がついたこと。
時間に追われ、人間関係に拘束され、周りに合わせて言いたくない意見をいい、関わりたくないことと関わり、世の中の情報に振り回されて心が乱される。それが生きていくってことなのだろう。少し立ち止まってみよう。どんな景色が見えるのだろうか。仕事も減らし、必要最小限の生活となり、収入は減ったがそれはそれで心は解放された。人とは必要以上に連絡も取らず、最低限の関わりだけにした。

心の変化は、開放感とどこかに罪悪感もある。こんな生活でいいのだろうかと焦る自分もいた。これまでの人生で刷り込まれた思考が「それじゃだめだ」がかき乱す。いつからか自分の為ではなく、人の目、周囲の目を気にしながら生きていたことに気がつく。だからやり方が変わっても、居場所が変わってもいつも何かに追われている気がしていた。そんな自分を解放したかった。

これまでの生き方は楽しめたかい? 誰かかが効いた。
苦しかった方が多いかな。 何が苦しかった?
自分じゃない自分で生きてきたように思う。
造られた、自分が外向きに造った自分なんだろうね。
だからここで立ち止まって自分を見直す時間を作ってくれたんだろうね。
立ち止まることへの罪悪感を感じる私がいて、でも私の人生じゃないと正当化する私がいて、自分の使命って何?役割って何?この世に生まれた意味って何?
ぐるぐる巡らせた。

そんな過去に造られた私がここにいた。
時には消えたいと思ったこともある。全てが終わればいいのにって思ったことがある。(安易に言うものではないのでしょうがすみません)でも今生きている。私がいる。未来がある。消えていない。終わってもいない。

そんな過去と向き合うことはここで終わり。未来は私が一番楽にいられる場所、楽に過ごせる生き方、楽でいられる自分と関われる人たちを見つけていく。
足踏みしながらでもいい。心、魂、そして今この時代に生まれてきた役割。
時には不安に、恐怖に、罪悪感や利他など巡ることもある。それはきっと一度立ち止まってみて、の神さまのサインだと思う。
少し立ち止まって本当の私の声を聞いてみるといい。
時間がかかってもいいじゃない。ゆっくりでいいと思う。

久しぶりに書き綴ってみた。 
おわり。


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