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優しさが静かに満ちる──ペヌティエのシューベルト(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第1回)

 ピアニストのジャン=クロード・ペヌティエが2010年にリリースしたシューベルトのアルバム(ソナタ第18番「幻想」、同第20番)を、最近、ようやく聴いた。
 私は彼の大ファンだが、実はその割に、彼の録音はそれほど熱心には聴いていない。2019年の連載時にも書いたが、凡そペヌティエほど、ライヴこそを聴くべきだと感じる演奏家もいないからである。録音も素晴らしいことには違いないが、特にあの音の人の手のようなぬくもりは、録音に収まる類のものではないようで、それを知っていると、どうしてもどこかで物足りなさを感じてしまう。
 そういうわけで、このシューベルトのアルバムも、聴くまでに随分と時間がかかってしまったが、これがもっと早く聴くべきだったと思うほどの名演だった。
 静けさの響き渡る第18番「幻想」第1楽章の冒頭から、時の移ろいをゆったりと慈しむような語り口に慰撫されたが、聴いていて改めてつくづく感じたのは、彼の演奏を、余計な感傷を徹底的に排する厳格さが貫いていることである。
 例えば、彼の演奏に於いて、音の余韻が音楽の情感に引きずられるように残ることは一切ない。楽章ごとのテンポ感も、楽想によって大きく揺れ動くことはなく、厳密に統一されている。無論響きの潤いに不足はないが、ペダルの使用も巧みに抑制されている。つまりペヌティエは、音楽が必要としていること以上の何ものをも演奏に付与しない。そこにある音楽を、ただその音楽のままに尊んでいる。だから、半音の違いによって密やかな世界への扉を開いてゆくシューベルトらしい転調や和声の移ろいの表現は、静けさを以て耳を傾けている人だけがその変化に気づき得るかのように限りなく慎ましいし、第20番第2楽章の中間部のような場面では、その破滅的な響きを、慄然とするほど容赦なく炸裂させるのである。
 しかし、畏れさえ感じるほどのこうした厳しさに貫かれていながら──いや、だからこそと言うべきだろうか──、彼の手から届けられるシューベルトは、決して聴き手を問い詰めない。人間への理解に満ちた、深く、朴とした歌が、音楽の隅々にまで染み渡っている。シューベルトの演奏も様々だが、シューベルトの作品が本来持っていた声とは、こういうものだったのではないかと感じる。
 その声を聴いていると、初めて知るようでもあり、根源的なものとしてどこかで知っていたようでもある優しい気持ちが、心の深いところから静かに満ちてくる。

(東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」2021年8月号)
画像: Franz Schubert by Wilhelm August Rieder. From Wikipedia



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