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【音楽を教える、演奏を教えるとはどういうことか】比嘉洸太×篠村友輝哉「音楽人のことば」第12回 前編

 ピアノ弾き同士での対談は少し久しぶりになりました。第12回のゲストは比嘉洸太さんです。比嘉さんは、私が桐朋学園の修士課程で室内楽を師事した川村文雄先生の門下生なのですが、在籍中に出演した川村先生のプロデュースする演奏会に比嘉さんも出演されていて、その際に初めてお会いしました。そのときは、楽屋でのちょっとした会話のみで、その後も結局、修士課程在籍中はすれ違う際にあいさつをする程度で終わってしまいましたが、今回、改めてしっかりお話することが叶いました。
 比嘉さんが演奏活動と並んで後進の指導にも熱心にあたられていること、また以前拝読したブログに書かれていた教育に対する彼の考え方や姿勢に興味を抱いたことから、今回は音楽の指導や教育をテーマに据えました。比嘉さんのお考えを伺い、また私の考えに対して反応をいただく中に、彼の謙虚で温厚な人柄も滲み出てくるような内容になっていると思います。
 今回は、レッスンの具体的な方法などの話ではなく、教育者としての姿勢など精神的な面の話題が中心ですが、それだけに、音楽に限らず、教育一般にも繋がる話になりました。

比嘉洸太(ひが こうた)
9歳よりピアノを始める。桐朋学園大学音楽学部を経て、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。
第12回ルーマニア国際音楽コンクールピアノ部門第2位。第23回おきでんシュガーホール新人演奏会オーディションにて沖縄賞受賞。
関東を拠点にピアノソロ・室内楽の演奏活動に加え、マスタークラスを行うなど後進の育成も積極的に行なっている。

ーーレッスンというコミュニケーション

篠村 比嘉さんは人に教えるということを始められて、どのくらいになりますか?

比嘉 最初に生徒を受け持ったのが大学を卒業してすぐのことだったから、5、6年くらいになるかな。

篠村 その歳月で、教師としての経験を重ねることで、また演奏家として成長することで、教育の仕方とか考え方なども変わってきたのではと思いますが、まずその変遷を聴かせていただけますか。

比嘉 恥ずかしいんだけれど、正直、大学を卒業したてで教えていた頃は、とにかくレッスンを成立させることで精一杯で、そういう「教師のあるべき姿」みたいなことはまったく考えていなかった。最初は、今言ったその生徒1人だけだったんだけど、その人が今その瞬間に弾いていることにしか集中していなかった。その瞬間僕が言えることは何かな、としか意識できなかった。とにかく言葉を出すこと、自分の浅い経験の中からアウトプットしていくことに必死だった。それから、少しずつ生徒が増えてきて、正確にはいつ頃からか思い出せないんだけれど、その生徒がこれまでどういう風に歩んできたか、そういう部分も想像しながら聴く余裕が出てきた。過去があって今があるわけだから、本人は新しい何かを習いたくてレッスンに来ているわけだけど、その問題点の原因が過去にあることもある。そういうところを知るために、レッスンの中でいろいろと話し合ったり、何気なく訊いてみたりすることができるようになってきて。そうして少しづつ視野が広がってきた中で、その反対に、もっと先を見て、この人がこれからどういう風になっていくのかとか、どういう風に進んでいくのかはわからないけれど、ある程度の方向性をもって、未来のために今こういうことを積んでおいた方がいいんじゃないかとかも考えたり。一方的に教えるのではなくて、コミュニケーションを取ることができるようになってきたのかなと思う。教師は、その人の演奏だけじゃなくて人間も含めて、すごく大きなところも見ていかないといけない。性格とかあいさつとか、そういう些細なところも。そうすると、どういう言葉かけがいいのかとかがわかってくる。

篠村 やっぱりテーラーメイドであるべきというか、レッスンって、まさに今おっしゃった通り、コミュニケーションなんですよね。「俺は俺」では成り立たない。普段の人間関係でも、相手との関係性によってこちらの口調とかも自然と変わるのと同じですよね。生徒一人一人のパーソナリティーを捉えた上で、その生徒にとってどういう言葉遣いがいいのか、進め方がいいのか、教材がいいのかといったことを柔軟に変えていかなければいけない。自分の流儀みたいなものを押し付けるのではなくて、あくまでもその生徒の抱えている問題をどうしたら解決できるのかということに重点におかなければいけませんね。
 僕は、自分が今まで師事してきた先生のことを振り返ってみると、もちろんあくまでもレッスンの内容自体は実践的で、演奏に直結するものでしたが、そのなかで、師というものはどうあるべきかとか、芸術家の仕事とは何なのかとか、そういうことも先生方から教わってきた気がするんです。先生が芸術家論とか教師論を改まって説いていたわけではないのだけれど、レッスンの中で感じられるその先生の音楽と人間への向き合い方を通じて、そういうことも学んだんだと思うんですね。やっぱり、先生自身が常に真剣に何かを探求している姿勢を見せてくれていたということが大きいんだと思います。教師というのは、何か上からものを教えるというようなイメージを抱かれがちですが、教師自身の一人の人間としての仕事に対する向き合い方、生き方といったところから学んでいる部分も大きいのではと感じます。

比嘉 本当にそうだと思う。やっぱり、同じ空間で少なくとも1時間は過ごすわけで、そのなかで得られることってやっぱり一言では言い表せないものがあるというか。確かに実践的なことを教えてくれるんだけど、ちょっとした一言だったり、少し弾いてくれた時の空気感だったり、いろんなところから情報を得られる。同じ空間にいるからこそ受けることが出来る影響があるよね。もちろん、これまで自分が師事してきた先生が、演奏家や芸術家として努力を重ねて高みを目指している姿にも影響を受けました。
 僕なんかも、だんだん余裕ができてきて、少し俯瞰して自分自身や自分のレッスンを見れるようになってきて、やっぱり自分自身が緊張感を持っているというのは大事だなと思います。

篠村 教師の息遣いを肌で感じるというところですね。

比嘉 そう。そこにすごく情報が詰まっているよね。

ーー自分自身で感じ、考えさせる

篠村 結局、教師の最終的な目標って、生徒が自分自身で感じ考えられるようにするということじゃないですか。でも、そのためには引き出しがないといけません。その引き出しを増やす手伝いをしているという言い方もできると思うんです。で、そのときに、一般的には、手取り足取り教えてくれる先生というのが「いい先生」と思われることが多いように思うんですが、ちょっと強い言い方をすると、僕は「ほっとく」ことも大事だと思うんですよ。

比嘉 うん…!

篠村 多少ほっとかないと、自分で考え始めない。先生が全部教えてくれると思ってしまう。教師としては、その辺の塩梅が難しいところですよね。

比嘉 心から同意します、本当に(笑)。これから専門的に学んでいく人とか、すでに専門的に勉強している人とか、そういう人たちはそういうことが通じる場合がほとんどだと思うし、本人も自覚があるから、こちらの意図を汲み取ってくれるんだと思う。でも、例えばアマチュアの方ですごく知識がある方なんかだと、いろいろと教師の持っているものを聞き出したいという場合があるから、そのバランスがさらに難しい。そういうときに自分が伝えすぎてしまわないようにどう抑制するのかは、今の自分の課題でもあるかなあ。

篠村 あと、成長を感じられる瞬間っていろいろありますが、僕は特に、今まで教わってきてそうだと思っていたことと、違う風に思ったときに成長を感じられるんです。確かにそうかもしれないけどこうも言えるんじゃないかとか、こういう見方もあるんじゃないかとか、そういう視点を得られた瞬間に、成長したなと感じます。そういう視点を生徒が獲得するためにも、やっぱり教育者が、自分の教えたことが全部だと思わせないようにしないといけない。

比嘉 すごくわかる。またそれが自信になるというかね。新しい視点が生まれた、引き出しが増えたということだからね。

篠村 でも、楽器を習うって、やっぱりある程度の素直さが求められると思うんですよね。あまり反発心が強すぎると難しい。なんだけれど、言うことを聞きすぎるというのも問題です(笑)。

比嘉 ああ(笑)。

篠村 だから教師はどこかに余白を残すようなレッスンをしなきゃいけないし、生徒っていうのは、多くの場合先生のことをものすごく尊敬していて、しかも師弟というものには強い権力関係が生じていますから、教師側がそういうところを意識して、包容力のある導きをしていかなければいけないんじゃないかと思います。

比嘉 教師になると、生徒から本当に「上の人」として扱われる感じになるから(笑)、教師側が、自分が主観的な意見だけを押し付けていないかと考えていないといけない。「教師を教える人」っていないわけだから、怖いよね。そういう状態に陥っていることに自分で気づかないことがある。生徒も、「ここはこうです」って言われた方が安心する部分もあるだろうし、ある意味で絶対的なことも求められているっちゃ求められているじゃない? だからこそすごく危険な面もあるなって思う。自分をどれだけ客観的に見れるのか。難しいことではあるんだけど、教えている自分に対して疑問を持つこと、これでいいのかと思い続けることが大事だと思うよね。

ーー専門的な知識と実際の演奏

篠村 音楽大学の大きな問題の一つだと思うんですが、音楽史とかの授業と、実際の演奏が乖離してしまっていると思うんです。みんな、それぞれの作曲家についてや作品についての知識を得ているけれど、それが実際に演奏とどう結びつくのかとなると、難しいものを感じているような気がします。だからレッスンでも、音楽史的なことや分析的なことと演奏の繋がりを示していくことも大事なのかなと思いますが、どう思われますか?

比嘉 和声なんかも、いろいろな規則をパズルのように教わるけれど、それを解くだけじゃなくて、本当の目的は、演奏の中の和声感だったり、その和音の持つ感覚みたいなものを得ること。4声のコラールを処理していくバランス感覚だったりとか、そういうことを演奏に生かしていくこと。だけど、授業ではどうしても座学的な感じになってしまって、なぜ学んでいるのかもわからないまま終わってしまう(笑)。学校っていうシステムの中でそれをやるって難しいのかな。例えばピアノのレッスンでも、とにかく試験までに仕上げなきゃいけないとか、そういう事情で結び付かなくなっている面があると思う。

篠村 そういう場が作れたらいいなと思っています。

比嘉 それは、音楽史的なことを篠村くんが解説しながらとか?

篠村 具体的なプランはありませんが、僕は、例えばレクチャーコンサートってすごく意味のあることだと思うんですよ。もちろん、みんな演奏こそが聴きたくて演奏会に行くわけですし、演奏家も演奏ですべてを語ろうとするわけですが、一方で、その演奏家がどんなことを考えているのか、演奏家自身の話を聴きたいという思いもあると思うんです。レクチャーコンサートでは、演奏家が作品の背景や構造などを解説したうえで、自分のビジョンをそれと結び付けながら語るわけですから、学生なんかもすごく学べることが多いんじゃないかと思います。あと、この前の第10回のときに、ヴァイオリニストの山縣さんが仰っていましたが、演奏学科と作曲科が交流できる場を大学の中に作るとか、そういう境を越えた場が必要だと思います。

比嘉 なんで分かれてしまっているのかなと思うけどね(笑)。そういう機会って、作ろうと思えば可能なはずだよね。

篠村 まあ、いろいろ「現実的な」事情とかで難しい部分もあるのかもしれませんね…。あと、教師って雑談をもっとしていいんじゃないかと思うんですよ(笑)。

比嘉 僕が師事してきた先生方も、いろいろな雑談をしてくれたんだけど、やっぱりそういうところで受ける影響というのはかけがえがないというか、ちょっと自分より高いところにいる人と話をするって、大事な経験だよね。

篠村 それこそ比嘉さんの仰った、空気感を肌で感じるというところと繋がりますね。

後編に続く(こちら
(構成・文:篠村友輝哉)

比嘉洸太(ひが こうた)
桐朋学園大学音楽学部を経て、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。
第12回ルーマニア国際音楽コンクールピアノ部門第2位。第23回おきでんシュガーホール新人演奏会オーディションにて沖縄賞受賞。
ディーナ・ヨッフェ、マキシム・モギレフスキーのマスタークラスを受講。
ピアノを川村文雄・大野眞嗣の各氏に、室内楽を沼沢淑音・藤井一興の各氏に師事。
関東を拠点にピアノソロ・室内楽の演奏活動に加え、マスタークラスを行うなど、後進の育成も積極的に行なっている。
大野ピアノメソッド講師。関西国際学園さくらインターナショナルスクールピアノ講師。
篠村友輝哉(しのむら ゆきや)
桐朋学園大学音楽学部卒業、同大学大学院音楽研究科修士課程修了。
在学中、桐朋学園表参道サロンコンサートシリーズ、大学ピアノ専攻卒業演奏会、大学院Fresh Concertなどの演奏会に出演。また、桐朋ピアノコンペティション第3位、ショパン国際ピアノコンクールinASIA(大学生部門)銅賞、熊谷ひばりピアノコンクール金賞及び埼玉県知事賞、東京ピアノコンクール優秀伴奏者賞など受賞。かさま国際音楽アカデミー2014、2015に参加、連続してかさま音楽賞受賞。
専門のピアノ音楽から室内楽、弦楽器、オーケストラ、歌曲、コンテンポラリーに至るまで幅広いジャンルで音楽・演奏批評を執筆。東京国際芸術協会会報「Tiaa Style」では2019年の1年間エッセイと演奏批評の連載を担当した(1月号~6月号「ピアニストの音の向こう」、7月号~12月号「音楽と人生が出会うとき」。うち6篇はnoteでも公開。2021年下半期には再び連載予定)。曲目解説の執筆、演奏会のプロデュースも手掛ける。エッセイや講座、メディアでは文学、映画、美術、社会問題など音楽以外の分野にも積極的に言及している。修士論文はシューベルト。
演奏、執筆と並んで、後進の指導にも意欲的に取り組んでいる。
ピアノを寿明義和、岡本美智子、田部京子の各氏に、室内楽を川村文雄氏に師事。
https://yukiya-shinomura.amebaownd.com

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