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内なる多声の燦めき──寿明義和のラフマニノフ(「Tiaa Style」連載「耳を澄ます言葉」より第6回)

 この晩秋、長らく望んでいた、恩師である寿明じゅめい義和先生の弾くラフマニノフを聴くことが叶った(11月25日、すみだトリフォニー小ホール)。演奏曲は、「ひそやかな夜のしじまのなかで」作品4-3(アール・ワイルド編曲)、ピアノ・ソナタ第2番、前奏曲作品23-4、5の4作品。
 全作品を通じて、ラフマニノフの錯綜したテクスチュアの中から、いくつもの歌が鮮やかに浮かび上がってくる様に驚いた。その歌たちが、暗い色彩に満ちた和声の移ろいと共に、絡み合い、せめぎ合い、溶け合うのだが、聴いていて、それは複数の歌い手が存在しているというより、ラフマニノフという一人の人間の内なる多声であるように感じられた。無数の音に覆われたあの複雑な譜面は、矛盾した様々な想念に引き裂かれ搔き乱されるラフマニノフの心の模様そのものだったということに、先生の演奏が思い至らせてくれた。
 一曲ずつ語りたいところだが、紙幅に限りもあるので、今回はとりわけ感銘の深かったソナタ第2番の演奏について、少し詳しく書くことにしようと思う。
 第1楽章冒頭、暗い宿命を告げるような鐘の音がはげしく響き渡る。その中から、全曲を貫く、半音階で懊悩する主要モチーフが現れるが、先生の演奏は感傷に堕さない。リズムやアーティキュレーション、小さな休符が、分厚い響きに埋没せず厳しく刻まれ、そこからラフマニノフの切迫した息づかいが聞こえてくる。
 しかし、シリアスではあっても、演奏は、あくまでもピアニスティックな光彩を放ちながら展開される。内なる多声が交錯すればするほど、音楽も演奏もきらめきを増してゆくのである。研ぎ澄まされたピアニズムと聴覚があらゆる要素を有機的に結び合わせ、オーケストラ的と言うのとは違う、ピアノだけに可能な立体的音響が立ち昇り、空間を満たす。
 その音響全体を、内なる多声が寄り合わさって生まれる「肉声」と呼んでもいいかもしれない。第2楽章でのそれは、募りゆく寂しさと痛切な憧れを、先生らしい情熱を秘めながら歌い、やがて慟哭に変わる。鐘の響きへ絶望と共になだれ込む中間部のクライマックスでは、カデンツァが最低音から高音へ押し寄せてその余韻が消えてゆく中に、「肉声」の像が揺らめいて見えるようだった。
 目眩めくるめくほどの鮮烈さで駆け抜けてゆき、郷愁と希望と切なさとが渾然となった想いを歌い上げながらも、熱狂的な頂点へ上り詰めるフィナーレ。その中を生きる先生の姿は、潔さに満ちて輝いていた。

(東京国際芸術協会会報1月号)

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