目指せ出版! 日本史のセンセイと行く全国制覇の旅7 神社について

 教会はキリスト教、お寺は仏教、日本では数は多くないけれどモスクはイスラム教。じゃあ神社はなんて宗教? と聞くと、初詣に行ったり七五三でお参りしたりするのに、意外なことに答えられない人が多い。神社って日本全国に8万以上あるのに考えたことがないんだね(全国のコンビニの数は6万店弱)。日本固有の宗教である「神道(読み方は「しんとう」とにごらずに発音します)」について知らないのは、日本のことを知らないのと同じことだと思うので、非常にもったいない。ここでしっかりと勉強しておこう。
 日本人は神道という宗教で、自然や人間など、とにかくものすごい能力を持ったものを「カミ」と呼んだ。江戸時代の国学者・本居宣長は、みんなも知っているあの有名な「古事記伝」のなかでこう言っている。ちょっと長いけど引用するね。
 
 「凡(すべ)て迦微(かみ)とは古(いにしえの)御典(みふみ)等に見えたる天地(あめつち)の諸(もろもろ)の神たちを始めて、其(それ)を祀(まつ)れる社に坐(いま)す御霊(みたま)をも申し、又人はさらにも云(い)はず、鳥獣木草のたぐひ海山など、其(その)与(ほか)何にまれ、尋常(よのつね)ならずすぐれた徳(こと)のありて、可畏(かしこ)きものを迦微とはいふなり。すぐれたるとは、尊きこと、善きこと、功(いさお)しきことなどの、優れたるのみを云に非ず、悪きもの、奇(あや)しきものなども、よにすぐれて可畏きものを神とは云(いふ)なり。」
 
 古文だから全部はわからないだろうけれど、なんとなく意味は分かるんじゃないかな。要約すれば「カミとは人はもちろん、鳥獣木草や海山など、とてつもない力を持っているものをいう。素晴らしいこと、善いことばかりでなく悪いもの、奇妙なものでもとてつもないものをカミという」。
 だからいい意味でも悪い意味でも、とにかくとてつもないものはみんなカミ。つまりバカデカイ岩とか、樹齢何百年もの木とかに、カミのしるしである綱やシデ(白いヒラヒラ)がしてあるでしょう? またあまりにも強い人間は横綱として綱を巻いている。つまり横綱はカミってわけ。ある科学者は、英語で言うならば「サムシング・グレート」って存在を主張されているけれど、そういう意味で僕は神様(=サムシング・グレート)を信じているんだよね。

 で、この神道と深いかかわりがあるのが日本の神話。「なんだよ神話なんて、ウソッパチにきまっている」なんて言わないでほしい。神話の重要性は、その内容が歴史的事実であるかどうかではなくて、次の二つにあるとぼくは思っているんだ。

 その一、「神話とは何かしら似たようなことがおこって、それらをまとめたものではないか。とすると、古代の日本人が何を、どのようなことを大事に思っていたかということが分かるのではないか」ということ。

 二番目は「事実として、我々の先祖が長い間これらを信じ、守ってきた」こと。だからこそ、ある程度で構わないので、日本の神話、その登場人物については知っておくべきだと思う。

 神話の世界のこと… 日本をつくった神であるイザナギが産んだ太陽を支配する神、アマテラスは、弟のスサノオの乱暴のあまりのひどさに天の岩戸に隠れてしまう。太陽の神がいなくなったことで困ってしまった他の神々は、天安河原(あまのやすがわら)というところで会議を行い、岩戸の前で楽しい宴会のようなことをすれば、アマテラスが出てきてくれるのではないかと考えた。そこでアメノウズメという女神が胸をあらわにして踊りだすと、神様たちは大笑い。自分がいなくて困っているはずの岩戸の外から笑い声が聞こえるのはおかしいと思ったアマテラスは、岩戸を少しだけ開けて外の様子を見ようとした。それを待っていたのがタヂカラオという神。その強力な腕力で岩戸を投げ捨て、再び世界に光が戻りましたとさ。

 こんな話、一回くらい聞いたことある人も多いんじゃないかな。
 宮崎県の高千穂には現在も天岩戸神社があって、三十分に一回ほどの説明ツアーに申し込めば、川向こうの崖にある天の岩戸を遥拝(ようはい)(遠くから拝むこと)する場所に連れて行ってもらえる。ここでは写真などは取れないけれど、神職さんがしっかりと説明もしてくれるので時間を待ってでも参加することをオススメする。

 なお中には岩戸が本当にあるのかよ? などといって、崖を降りて見に行った人もいるという。少なくとも江戸時代からの記録によれば、二人が見に行って、二人とも滑落(かつらく)して死んでいるんだそうだ。

「なにごとの おはしますかは知らねども かたじけなさに 涙あふるる」
「秘すれば花」なんて言うけれど、神域ではやっていいことと悪いことがある、ということなんだろうね。

 この天岩戸神社から五百メートルくらいはなれたところには、先ほどの天安河原も現存している。ここには神聖な空気が流れていて、河原に近付くために橋を渡った瞬間に空気が変わるんだ。これは行ったことにない人にはわからないだろうけれど、本当に空気が変わる。それは「神さまは本当にいるよなあ」と思わせてくれるのに十分な場所なんだ。

 その神道の神さまをまつっているのが神社。だから当然、日本史にも重要な神社は登場するし、観光するべきスポットにもなっているんだ。教科書に出てくる神社は寺院と比べると数は少ないけれど、どれも素晴らしいものばかりだから、事前学習をしたうえで見に行こう。

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