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西ベルリンで会った女性は、いま

義父にラマダンが終わったタイミングで電話した。
私には二人義父がいるが(人生色々ある)、初めの夫の父である。

初めの夫はもう私と口を聞いてはくれないが(努力はしたものの)、義父とはすこぶる仲が良い。何度も引っ越しを繰り返す私にそのたびに何かを贈ってくれる。私がやることを100%応援して励ましてくれる。

たとえ私が彼の息子との結婚を終わりにしたいと泣きながら電話したときも、彼はこう言った。

「きみが息子と離れるのは僕も悲しい。けれどこのまま年を重ねて人生を振り返ったとき、後悔しない選択をしてほしい。
きみに幸せになってもらいたい」

そんな人が人生に一人いるだけで、どれだけ救われるだろう。

久しぶりに聞く義父の声は相変わらず若々しい。
「1989年のことなんだけど」と義父は始めた。
当時東西に分断されていたベルリンで、彼は西ベルリンにいた。
初めて訪れる場所で、一体どこへ行き何をしたらいいか途方に暮れていると、
ある細身の女性から話しかけられた。
「よかったら、私がご案内しますよ」

願ってもない申し出に義父は喜び、そのあと一日中彼女と時間を過ごすことになった。行く場所行く場所で彼女は丁寧に説明を加え、さまざまな場所へ案内してくれた。

せめてお食事でもご馳走させてほしいと義父は誘ったが、彼女は食欲がないと断り、飲み物だけを注文していた。1日を終え、二人がそれぞれの帰路に着くとき、義父はなぜこんなに親切にしてくれたのですかと尋ねると、彼女はこう言った。

「私は末期の癌患者です。もう時間がありません。だから自分が死ぬ前に、何か人の役に立ちたいと思っているんです」

義父は彼女の名前を書いたメモをポケットにいれて、西ベルリンの街を後にした。

その数週間後、ベルリンの壁が崩壊した。

あれから30年以上の月日が流れた。
「あのメモもどこかへ行ってしまった。名前も覚えていないが、彼女の顔も服装も、僕達が行った場所も、会話も、鮮明に覚えている」

もうこの世にいないであろう彼女は、義父の心の中で鮮やかに生きている。


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