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伊藤比呂美|ショローのおんな

伊藤比呂美さんを身近に感じるのはなぜだろう、と思った。僕が福岡に住んでいた頃、熊本で開催されたイベントへ会いに行ったことがある。簡単に言葉を交わし、ご著書にサインをいただいた。

身近に感じさせる何かがあるとすると、それは何か。西日本新聞で何年も続いている人生相談の回答はどこかほっこりさせられるし、早稲田の学生さんたちも「いとう先生」「伊藤せんせい」と親しみを込めて呼んだ(書いた)。メールなどで、全部漢字の「伊藤先生」とはならなかったということ。中には「お母さん」と授業中間違えて口にした生徒もいた。そういうほのぼのとしたエピソードが出てくる。


僕の祖母は晩年、学生寮の寮母をしていた。元々面倒見のいい彼女の性格もあって若い子どもたちとの交流で寂しさを紛らわせ、活力を貰っていたようだ。そういえば、僕の父も教師なのだった。「いとう先生」と生徒の交流噺に妙に惹かれるのはその辺りが関連しているのかもしれない。どうだろう。


軽快で、ほんとに面白い。もっと読みたい、もっと読みたい、とあっと言う間に読み終えた。時折、詩人伊藤比呂美が姿を現す瞬間があり、例えば月経のしみ、夫の肥厚爪を切る描写などはギラりとした切れ味、凄味が滲み出ていて、読んでいて背筋がすっと伸びる思いだった。


伊藤比呂美さんはもう教鞭をとっておられないようだが、卒業した学生さんたちとの交流はいまも続いているようで嬉しい。最後の章で “早稲田の三年間、人生でいちばん楽しかった” と書いてあって、ほっとした自分がいて、それはまるで身内に対して感じるような感覚で、少し不思議だった。

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