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腐ってもメランコリーは蜜の味

安いチェーンの居酒屋で、狭いテーブル席にすし詰めになって、脚を崩すにも崩せずにどうにかマシな態勢を探していた。いかにも腐女子な女子大生と、同じく地味属性の大学生男子とに挟まれて、正面にはニート上がりのフリーター。どうせこいつは来月には辞めてる。メモもロクに取れないから店長から早くも見限られている。それでも、こんな飲み会になんか参加しようってんだから、肝が座っているもんだ……と僕は早くも最悪な席順に嫌気が差している。安っぽい突き出しに渋々手をつけるも、隣の腐女子大生がいつまで立っても箸も割らないもんだから「食べないの?」って聞いたら、「ワタシ、鶏肉ダメなんです」だって。ふざけてんの?じゃあなんで焼き鳥屋なんかに来たの?最初の筑前煮のたったひとかけらでさえダメならさ、もう君に食べられるものなんてないんじゃない?僕は「へぇー」と大いに関心してるフリして、一緒に大きくため息も吐き出した。気づいてるかな、どうせ気づいてないよね。そんな繊細なタイプじゃなさそうだもん。

一人三千円の出費、その他総勢十名程で語られるのは、まずは最近あったレジ誤差の話。それから定番の迷惑な客の話と、仕事がダルい忙しいっておなじみの愚痴。電話対応で噛んだって軽い笑い話から、年上女性社員のご機嫌の取り方と続いて、あとはやっぱりみんなオタクだから、好きな漫画とかアニメの話で盛り上がる。書店員だから。オタクでもさ。いいんだよ。だってみんなそうだし。仕事だから。恥ずかしくなんてないって前提で、好きな漫画を語りつつ、気づけば推しがどうとか可愛いとかグッズとかって、慣れない飲酒と場の雰囲気にみんなへらへらと酔っている。隣の腐女子は案外社交的で、さっきの鶏肉の一件で話しかけたせいなのか、「いくつですか」「好きな小説とかってありますか」「地元どこですか」って暇さえあれば僕に問いかけてくる。「いくつだっけ」「ふざけないで下さいよ〜」「26だよ」「わぁ年上ですね大人」馬鹿にしてんのか。「小説は広く浅く」もうのめり込めなくて。「詳しいですよね」「そうでもないよ」「えー詳しいですよぉ……」

と、いやに語尾をだらしなく伸ばして腐女子がグラスを傾けて目を細めて、なぜか僕へと微笑んだ。微笑みかけたくせに、なぜかこの時ばかりは何も言葉を発さないで、腐女子は僕を見つめた。僕は席を立った。

飲み屋のトイレの壁に張り付いたピースボートのポスターを飽き飽きと眺めたまま、個室に立て籠もってやる事もなくスマホを開く。企業以外誰も何も送ってはくれないアンドロイドの画面をスワイプし続けても何の救いにもならない。LINEに個人的な通知はないし、Twitterなんて有名人を遠巻きに眺めて取り巻きみたいに脳死でいいねするだけ。時間を潰すはずのスマホにさえ気休めのコンテンツが何にもなくて、こんな時、都合よく連絡を取り合える友達がいたらなぁなんて仕様もないことを空想してみたりする。つまらない、つまらない……無意識でブツブツと呟きながら、空いた左手は親指の爪のささくれを執拗にいじっていた。今更あんな無様に出来上がった空間に戻りたくない。と――ノックが響く。僕の名前を呼んで、それから、「大丈夫っすか〜」とどこか聞き覚えのある呑気な声がした。あぁ……ニート君か。

鏡にちらと映る自分の姿は想像よりもずっとこの居酒屋に似つかわしく、たった2杯の薄い薄い烏龍ハイでそんなに仕上がりますかという程、赤い顔をしていた。ニート君はニート君で、突如「お前、誰?」と突っ込まずにはいられない程に猛烈にお喋りをしている。元ニートのくせにマシンガントークを自重しないせいで、話す度、話し始めにいちいち言葉につっかえる癖が悪目立ちしていた。店長に愛想がないからレジではもっと人並みに笑えと注意されている時のあの強張った能面が嘘のように、彼は口元に溢れ出るニヤニヤを抑えようともせずに楽しそうに言う。


「で、先輩。腐女子ちゃん、ガチ恋じゃないすか。もしかして今日、お持ち帰っちゃったり?」


あ、ごめん。なんか本当に気持ち悪いかも、と捨て台詞を吐いて、僕はニート君を置いて脇目も振らずにトイレを脱出した。それから、オタク界隈では稀に見る陽キャ系な女子大生がバカみたいに酔っ払って元カレを愚痴ってる側を抜け、地味系男子が腐女子大生となぜだか真面目ったらしい顔して語り合っている様を横目に、自分のリュックを引っ掴んで地獄から颯爽と抜け出した。8月中旬の22時1分。世間では丁度お盆休みかという頃合い。フリーターの僕らにはロクに関係がない。気の緩んだ夜の街はだらしなく浮かれてしぶとくキラキラと賑わっている。歓楽街のコンクリートに落ちた蝉の死骸を目に、もうこんな季節なのかと悲しくなった。騒がしく人混みが傾れ込む駅とは真逆方向に、僕は不意に歩き始めた。時間を掛けて夜を彷徨って、毎年のように襲われるこの虚しい気分をどうにかうやむやに出来まいかと足掻いた。淀んで澱になって、感情はいつも堆積していくだけで役に立つ筈もない。脳裏に取り留めなく浮かんでは消える都合のいいストーリー。帳尻合わせの薄い言葉でしか何も表現出来ない。こんなに人生が嫌なのに、底抜けに幸せな娯楽を描いてるのが我ながら間抜けだ。やるせない日常を、矮小な僕の世界を、変えてくれる美少女との出会いでも書こうか?いや、そんなもん書いて何になる?いつもの感情の揺り戻しがグラグラと僕を襲う。貴重な時間を割いて小説なんて書いて何になる?意味はあるのか?誰にも評価されない下らない自己表現。こんなにこんなに世間は僕を苦しめるのに、何も与えてはくれない。そんな陳腐で腐った感情でいっぱいになって、それでもをそれを昇華して美しい何かに誤魔化してみないと生きていられない。

夜の街。手を繋いで歩く、多分年の頃は変わらないカップルと擦れ違う。

鈴を転がしたように穏やかで幸福な笑い声が背後に遠く響く。

死にかけの蝉がジリジリと地面の上で喚いている。

ゴミみたいなこの人生。

ずっと堪らなく憂鬱で甘ったるい夢を見続けている。





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