普通とは違う起承転結

短い文芸がきています!

今、短い文芸がブームです。大ブームと言ってもいいでしょう。

2020年の第17回坊っちゃん文学賞は、応募作品数9,318点、応募者数6,061名という、文学賞としては前例のない応募数となりました。これほどの人気となった理由の一つは、坊っちゃん文学賞が4000字以内の物語、ショートショートの賞だからでしょう。短い物語は一般的に、長い物語より完結させることが容易です。数日で一作書き上げる人も少なくないです。

ほんの少し前まで、物語と言えば、紙の印刷物で発表するのが主流で、印刷や製本のコストに見合う、長い物語が書かれてきました。ところがインターネットの普及により、多くの人が気軽に短い物語を書き、発表し、読める環境が整いました。この流れは加速しているようにも感じます。

ブンゲイファイトクラブというネット上のイベントでは、プロアマを問わず数百名の書き手が参加し、原稿用紙六枚以内の作品で、熱いバトルを繰り広げています。
画像一枚に収まる「54字の物語」は老若男女を問わず大人気で、この数年の間に十冊近いシリーズが刊行されています。
Twitterでは「マイクロノベル」などの1ツイート140字以内の物語が、毎日、数え切れないほど投稿されています。
一口に短い文芸と言っても、わずか数年のうちに、いろんな形式が生まれているのです。

短い物語には起承転結を

新しい形式が次々と生まれる短い文芸で、面白い作品にはどのような特徴があるのか。小竹田はいくつかの短編小説やショートショートを書いていく中で、
短い物語はしっかり起承転結に則れば、面白い作品になる
と思うようになり、「四文転結」という文芸形式を発案するに至りました。四文転結とは、四つの文章からなる起承転結に則った物語です。作品の一例を紹介します。

『最新の体』 小竹田夏
生身と遜色ない機械の義肢が普及し、杖や車椅子は過去のものとなっていた。
なのに、目の前の男は、右足を引きずるようにして歩いていた。
すれ違いざまに、男の体から聞きなれない機械の駆動音がした。
右足以外が機械だった。

2018年6月、小竹田が最初に書いた四文転結作品です。この作品を皮切りに、四文転結は小竹田だけではなく、広がりを見せています。しかし、時にはこんな意見も寄せられます。

四文転結はオチがないといけないから難しい。

ちょっと待ってください。四文転結は確かに、オチがついた作品が多いかもしれませんが、四文転結(起承転結)には必ずしもオチは必要ないと小竹田は考えています。実際、オチがついていても、つまらない作品もあります。

では、どういう作品を小竹田が面白いと考えているかというと、
全体的に変化に富んでいる作品です。
転や結だけでなく、起から結まで、いわば最初から最後まで変化している作品です。

こう主張すると、逆に、
「オチがなければ起承転結ではない」
「最初から最後まで変化させたら、起承転結ではなくなる」
という意見が聞こえてきそうです。果たしてそうでしょうか。

従来の起承転結の定義

まず、起承転結の定義がないと議論が進みません。そこで起承転結について調べてみると、思ってもみない事態になりました。

起承転結は一つではなかった!

なんと、説明する人によって起承転結の定義が大きく違っていたのです。以下に三人の起承転結を抜粋します。

楊載の起承転結 『詩法家数』より
原文だけでなく、鈴木敏雄氏による解説も参考にしています)
起:高尚で遠大に始める
承:穏健に
転:承と表裏一体の驚く変化
結:広がりを持たせる
手塚治虫の起承転結 『手塚治虫のマンガの描き方』より
起:事件の始まり
承:話を進める
転:事件は意外な方向へ
結:思わぬ結末
佐竹秀雄の起承転結 『文章を書く技術』より
起:事実や出来事
承:起の解説
転:起承とは関係のないこと
結:まとめ

それぞれの立ち位置の違いが鮮明に現れています。
楊載は芸術寄り、手塚はエンターテインメント寄り、佐竹は文章一般寄りです。ちなみに、楊載は最初に起承転結を提唱したとされる人物で、14世紀頃の中国(当時、元)の詩人です。

ネットにあふれる解説を読むと、現在の一般的な起承転結のイメージは佐竹が一番近いのかもしれませんが、ここでは三つの起承転結すべてについて検証していきます。

起承転結における変化

以下に見ていきたいのは、
(1) 起承転結は、起から結まで変化してもいいのか
(2) 起承転結は、結末にオチが必要なのか
という二点です。

早速、楊載の起承転結から、変化をどう考えているのか見ていきます。

楊載は「起」を「高尚で遠大に」としています。その理由として「承句以下を平板さから救う」ためとしています。これは取りも直さず、「承句以下に変化をつけろ」ということであり、楊載の起承転結では、最初から最後まで変化に富んでいても問題ないと思われます。

「結」については、いわゆる落語のオチとは逆で、作品世界を広げることを良しとしています。

次に、手塚の起承転結です。

手塚の起承転結は「転」と「結」で、読者を驚かせる変化を要請しています。加えて、「承」も話を「進める」ことを求めています。手塚は立ち止まりません。手塚の場合は、楊載以上に、明確な変化を要請しているように感じます。

「結」については、意外性を要求しているので、いわゆるオチが必要でしょう。さすが「アイデアはバーゲンセールするほどある」と言い切った発想の天才です。

佐竹の起承転結は、転に変化を求めています。しかし、承や結は、起や転の補強であって、変化を求めてはいません

「結」については「まとめ」なので、いわゆるオチとは違います

以上から、楊載や手塚の起承転結に照らせば、

転だけでなく、最初から最後まで変化していても、起承転結と言える

ことになるでしょう。

また、楊載や佐竹の起承転結に照らせば、

オチがなくても、起承転結と言える

でしょう。

こうしてみると、従来の起承転結は、定義が複数あることで、問題が複雑化しているようにも思えます。

ならばいっそ、変化を強調した起承転結、そして結のオチが必須ではない起承転結を新たに提案する方が、話は早いのではないかと考えるようになりました。

小竹田の起承転結

以上を踏まえ、小竹田が提案する起承転結が下記です。

小竹田夏の起承転結
起:日常からの変化
承:起からの小さい変化
転:承からの大きい変化
結:別方向への変化

これだと、従来の起承転結と大きく違うように見えるかもしれませんので、先に補足しておきます。

小竹田の起承転結の注意点
・最初から最後まで変化させる
・結は四コマ漫画や落語のオチと同じではない
・転も含め、全体として突飛にならないこと

それでは、小竹田の起承転結を、前述の三つの起承転結と比較しながら、詳しく説明していきます。

「起」は「日常からの変化」としました。
楊載は「高尚で遠大に」としていますし、手塚は「事件」から始めることを述べていて、どちらも「凡庸なもの、ありきたりなものから始めるな」というメッセージに思えたからです。

「承」と「転」は、あえて「起からの」「承からの」と付け加えました。変化をしながらも突飛な展開にならないためです。
楊載は詩全体に「首尾一貫」であることを求め、また「(転が)奇特になってしまうことは、承句同様に忌まれる」と述べており、小竹田もこれを採用しています。
佐竹の起承転結では「転」に「起承とは関係のない」展開を求めていますが、文芸の結は「まとめ」ではなく「作品世界の広がり」が望まれますので、突飛な転は避けた方がいいと思います。転だけでなく、起承転結いずれかの要素があまりに突飛になると、短い文芸では広げた風呂敷を畳みきれなくなって物語が破綻してしまいます。

「結」は、楊載のいう「広がりを持たせる」ことが重要だと考えています。広げるには次元を増やすに限ります。平面だと思っていたら厚みがある立体だった、これに勝る広がりがあるでしょうか。平面を立体に拡張させるには、(数学の独立ベクトルに倣い)平面とは「別の方向」に進むことです。
また「別の方向」は、「思わぬ」の意味も含みます。思ってもいないのですから、「別の方向」にあったのでしょう。
つまり、楊載と手塚の両方を包含する結が「別の方向」なのです。

念のため、小竹田の起承転結を記号化しておきます。

小竹田夏の起承転結
起:A A A A B B B B
承:B’B’B’B’C C C C
転:C’C’C’C’E E E E
結:E’E’E’E’α α α α

また、幾何学に強い人は、下の図の方が分かりやすいかもしれません。

画像1

起を原点とし、承でX軸方向に話を展開させ、転でさらに承とは違うY軸方向に話を膨らませ、最後に結でまったく別のZ軸方向に話を持って行くイメージです。

なお、小竹田の起承転結の具体例として、四文転結作品の書き方も公開しています。合わせてご覧ください。

文芸に変化は必要なのか

文芸の中でも、純文学作品は事件らしい事件が起きない作品が多いのですが、高く評価されています。むしろ、変化ばかりの小説は、騒々しいだけで低俗だという意見も聞こえてきそうです。

しかし、それでも変化が必要だと小竹田は考えています。

試しに、変化に乏しい作品を例として書いてみます。

(例1)
私はずっと部屋にいた。
めったに外に出かけることもなかった。
部屋の中でも、じっとしていた。
私は孤独なのだ。

どうでしょうか。つまらない作品になっていませんか?
結には「まとめ」というか、オチらしいものがついていますが、全体として変化に乏しく、起起起承のような感じになっています。

では、なぜ変化に乏しいと、つまらないのでしょうか。

その理由は、ヒトの生理学的特性として、
単調な刺激にはすぐに慣れてしまう
からです。いわゆる「飽きっぽい」のが人間なのです。

文芸における変化とは何か

ここで注意したいのは、これまでに述べてきた「変化」とは、意外性だけを指すわけでも、事件だけを想定しているわけでもないということです。

時間や場面を変えたり、別の人物にフォーカスしたりするのも、変化になるでしょう。同じ人物の話であっても、全身の描写の次に、顔の作りを丁寧に描写したら、視点の粒度の変化になります。

一つ二つだった物が十、二十に増えるのも変化です。例えば、拾ってきた一匹の猫から、十匹に増えたら、一騒動起きそうです。

また文のリズムの変化もあるでしょう。一文三十字ぐらいだったものを五文字ぐらいに短くすれば、変化がつきます。

このように、変化はいろいろあります。とにかく、同じ内容を同じ調子で語り続けないことが肝要に思います。

それでもイメージがつかみにくい場合は、
「変化」=「新たな情報を付け加える
と考えてみてもいいかもしれません。こうすれば、少なくとも内容には変化が生まれるはずです。

最後に、(例1)のつまらない作品に変化をつけてみます。

(例1改)
私はずっと部屋にいた。
私は孤独なのだ。
孤独は大きく育ち、やがて二つに割れた。
二つの孤独はそっくりでも、仲良しにはなれない。

おわりに

以上、従来の起承転結を踏まえて、新しい起承転結を提案しました。小竹田の起承転結は、四文転結をどう書くかを主にイメージしていますが、ショートショートや掌編など、原稿用紙十枚以下の短い文芸にも、そのまま適用できるように思えます。

起承転結を意識しても、テーマや作風によっては合わなかったりします。また起承転結に則るつもりでも必ずしもいつもビシッと決まるわけでもないと思いますが、それでも漫然と作品を書くよりは、おもしろい作品が書きやすくなると小竹田は信じています。

皆様も、起承転結で短い文芸を始めてみませんか?

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