見出し画像

遅すぎて早すぎるから、これが丁度いいということにしよう

出産・赤子の世話の時期の記憶がない。って、もちろん会社ダルい!とか、赤ちゃん可愛い!の記憶はある。

けれども、文化的な記憶がない。その数年間、映画は見てない。音楽も聴いてない。漫画も読んでない。その間にインプットされたのは、アンパンマンが最強なこととか、どこのトイレが便利かとか。教育テレビに詳しくもなった。

余っている暇と書いて余暇。暇がないと、文化的なことは本当に入ってこない。本も難しいことが頭に入ってこなかったから、食エッセイとか心が休まるようなエッセイばかりを読んでいた。(平松洋子さん、よしもとばななさん、高山なおみさん、平野レミさん…)

私がお母さんになってから疎遠になった友達のことを思う。離れて行った彼女は、「あの人、子ども出来てからつまんなくなったよね」と思っていただろう。だって、私は面白くなくなったから。

まぁその代わり、子持ちの友達と出かける気安さも知った。同年齢の子どもをなんとなく遊ばせながら話ができる友人の存在はありがたかった。ママ友面倒臭いとかは、ラッキーなことにあまりなかった。

それでも月日は経ち。PCを買い直し、ネットにもつながりだして…だんだん文化的なことが生活に戻ってきた。音楽も聞くし。今も前もだいたい良しだ。

でも、その空白の数年間が悔しくなる時もある。

例えば、キリンジを聞いた時。

うわー、撃ち抜かれた!とググった時には二人は別々の道を歩いていた。もちろんソロも好きだし、kirinjiも好きだけど、2人の時はもう聞けない。

あと、フジファブリック。まだ活動しているけど、志村さんはもう見られない。

こういう見えなかった、会えなかった人やこと・音楽を思うと空白の数年が猛烈にくやしくなる。どうしてあの時もっと注意していなかったんだろう。と。

でも、これってどんな時代だも起こることだ。その時の自分のタイミングでしか生まれない反応がある。ビートルズにも会えないし、プリキュアには遅すぎる。空白の何年かが私に彼らの音楽に向き合わせてくれたのかもしれない。

だから、目を開いて心を澄ましていつでも準備しておくしかないのだ。

今回の堀込泰行のライブツアーに行けなくたって、いつかタイミングが合う日がくるさ。オザケンのコンサートに運良く行けたようにさ。と、長文でコンサートに行けなかった自分を慰めてみました。

行きたかった…

特にオチもなく、おわり

Twitterもフォローしてください!https://twitter.com/shinoburun