毒手
毒草や毒虫を配合した砂を壺いっぱいに溜める。男はその毒砂を100日間毎日100回素手で突く。
毒砂を突くたびに手は痛み、痺れ、紫色に変色していく。それでも男は毒砂をつくのをやめない。100回突いたところで薬草を配合した回復水に両手を休める。
シューという音とともに白い煙が両手から立ち上がり、毒に侵された手が引き締まる。痛みが和らぐ。
これを100日間繰り返すことで、男の手は毒手となり、生き物に触れただけで殺せる武器になる。
毒手こそが現代における最高の武術なのだ。
99日目の修行を迎えた男は、自分の手が毒手となりつつあるのを感じていた。痛みを伴いながら毒砂をついていた日々を乗り越え、今は痛みも感じない。ただ普通の砂をついている感覚。
修行を重ねるにつれ、毒砂に含まれる毒も危険度が増していき、今は化学兵器に含まれるような毒も多量に混入されている。
常人なら砂に触れるだけで即死だ。けれど、男は顔色一つ変えず毒砂を突く。
どうしても倒したい敵がいるのだ。敵を倒すためならどんなことでもやってやる。そして辛かった男の修行もあと1日で終わる。
「よし、今日はここまで」
修行を見ていた師匠が声をかけた。いつのまにか100回の突きを終えていたのだ。
「うす。ありがとうございました」
「いよいよ明日で最後だな」
「はい、明日もよろしくお願いします」
師匠を見送ってから男は道場を後にした。
帰り際、彼女からLINEが届く。
「いよいよ明日で最終日だね。早く会いたいよお💕」
すっかり変色し、太くなった指でスマホを操作する。
「俺もだよお」
彼女からの返信は早い。
「じゃあ今日、前祝いしちゃう?」
「いいね👍」
かくして恋人との前祝いが決まった。手料理のうまい恋人なのだ。
家に着く頃にはもうカレーのいい匂いがしていた。男はカレーに目がなかった。
「ただいまあ」
「おかえり。ダーリン」
満面の笑みの彼女。幸せだと思った。両手を広げてこちらにやってくる彼女を抱きしめる。おっと、彼女には触れないように気をつけないと。
「手洗って待ってて」
カレーはもう完成しているようだ。しかし、男は手を洗えない。洗うと毒が手から流れてしまうのだ。清潔を目的にした手洗いも、毒手には意味がない。
「オッケー」
潔癖な彼女のために大人しく洗面所へ向かう。手を洗うフリを済ませ、食卓につくとナンが置いてある。
「今日近くのパン屋でナンが特売でさあ」
思わず苦笑する。男はナンを掴めないのだ。触れたら最後、ナンは毒で腐ってしまう。
「美味しそうだね、でも今は・・・」
「あ、そうだったね、ごめんごめん、ナイフ持ってくるね」
毒手の修行について彼女にも説明しているけれど、うっかり忘れてしまうことがある。まあ修行の経験がないといまいち理解しにくい武術なのだ。
「大丈夫。カレー楽しみ」
手を合わせ、二人でいただきますと言った。幸せだと思った。修行を始めてから彼女と会うのを控えていたので、久々のお家デートだった。話したいこともたくさんあって、おしゃべりは深夜まで延々と続いた。
翌朝。
カーテンの隙間から入り込む太陽光で目を覚ました。昨日は彼女と夜遅くまでおしゃべりをしてしまって、すっかり寝不足だ。
大きく口を開けてあくびをする。今日で修行も100日目。これで毒手も完成する。長い修行だったけれど、終わってみれば達成感がある。
目をこすりながらケータイを開いて時刻を確認する。
視界が真っ暗で時刻がわからなかった。
毒にやられた目に弾けるような痛みが走る。ぎゃああああああ、と小さなアパートに叫び声が響いた。
昨日腕枕して横で眠った彼女も、おそらくは。
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