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誰もが流れる水の中を身勝手に泳いでいる

iPhoneのタイマーをかけて瞑想15分。

頭の中に渦巻いた余計なイメージを一つずつ削除していく。
いつものやり方だ。
それ以外にも大事なのは深い呼吸。
可能な限り大きくゆっくり鼻から息を吸い、口からゆったりと吐く。
メンタルと呼吸の深度は相関があるはずなので、
呼吸をできるだけ深くする。
持論だ。呼吸が浅くていいことは何もない。

途中からかなり良い感じに記憶の残像がクリアされ、
最終的には夢を見ているような不思議なイメージが入り込んでくる。
今日は、海の見える卓球場の床を、
屈強な男性二人がほうきで掃除しているというものだ。
わけがわからない。
だがそれがいい。
でも窓から陽光と海風が入り込む卓球場は美しかった。

シンプルに考えたい。

物事も、自分自身も何もかも、言ってみれば物理である。
何かが足りなくなったら足せる範囲で足せばいい。
無理があるならやらなければいい。
嫌ならできるだけ避ければいい。
完璧にはできないとしても、そういう姿勢で生きればいい。

関係などという複雑怪奇なものが絡んでくるから、しんどい。
人の気持ちはわからない。しかも移り変わるし、かなりいい加減だ。
何か一つのことに捉われるのは意味がない。
また、自分のことも自分自身で見ることはできない。
見ることができないのに捉えようとするから、しんどい。
しんどいのはそのやり方に無理があるのだ。
苦しさというのは、やろうとしていることと
現実とのギャップに生まれるからだ。

人は自分のことについて思い悩む時、
だいたい「他人の中に映る自分の像」について考える。
だがそんなものは移り変わる。
そして他人は人のことなど雑にしか捉えない。
気にするだけ無駄というものだ。
誰もが自分が大事なのだ。
それは、まさに自分について悩むという行為が、
それをしている自分自身が、その証明だ。
なんとかしようとするには社会は複雑すぎて、
また、誰もが自分の利益や自尊心を優先しすぎて、
ナイーブに向き合うには向かないのが社会というものだ。

もっとシンプルに考えたい。
ただ在る、というそれだけに向かいたい。
自分が楽しく在るためのエゴならちょうどいい。
苦しむ必要はない。
苦しいというなら誰もがそれなりに苦しい。

誰もが流れる水の中を身勝手に泳いでいるのだ。

やぶさかではありません!