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『宝石の国』考察(中編)

中編です。
前回の最後に「後編へ続く」と書いておきながら、とても2本には収まらないと思ったので訂正して3部構成(とりあえず)です。
前編の最後の1行も直しておきました。

イメージの圧倒的豊かさ

この作品は一枚絵の完成度が高いと前編で書きました。
シンメトリックな構図、繊細な描写、キャラクターたちの美しいフォルム、モノクロなのに「色彩豊か」と言いたくなるような光と影の鮮やかな捉え方。どれも非常に見事であり、作者もそんなイラストレーション的な表現を意識して描いているのでしょう、各話の最終ページは「決め絵」とでもいうべき1ページを使ったタブロー的なコマで終えられています。
物語の抽象的な世界観に、描き込みすぎないシンプルな白っぽい紙面がよく似合います。

美しいイメージの連なり
海面直下の色彩鮮やかな世界をモノクロで見事に表現

インクルージョンという世界観

この物語においては、宝石の身体の中にインクルージョンと呼ばれる微小生物が住んでおり、それによって身体の新しい部位がうまく結合できるかどうかが左右されます。また、個々の持つインクルージョンの性格がまるでホルモンのように宝石の行動原理を決めるようなセリフもあります。姿こそ見えませんが、『宝石の国』においてインクルージョンという存在は重要な位置にあるものとして描かれます。
度重なる欠損と結合を繰り返してなお逞しく復活するフォスのインクルージョンは非常に順応性が高いと言わなければなりません。このフォス自身の身体が持つ「才能」により、徐々にフォスは自信をつけていきます。特に知的能力の高いラピス・ラズリと首から上をすげ替えてからは、フォスは圧倒的な知力と思考力を発揮します。
この辺りの変貌はさながら「アルジャーノンに花束を」の主人公、チャーリイ・ゴードンがごとくです。私はラピス・ラズリの頭を得てからのフォスが一番好きでした。

まずは、フォスの身体欠損の過程を見ていきます。

脚と腕を失うフォス

フォスフォフィライトことフォスは、作中で次々に身体的変貌を遂げます。平たくいうとよく壊れます。
まず、アドミラビリス王・ウェントリコススに騙されて海の底まで付き合ったところで月人に攻撃されて両脚を欠損します。
また、冬の担当を申し出たフォスはアンタークチサイトと「流氷砕き」の仕事をしている際、氷の下から聞こえてくる声に惑わされて海に落ち、今度は両腕を失います(ここでフォスは自分の身代わりのような形で仲間のアンタークチサイトをも失います)。

しかしフォスは身体的部位を失うたびに代替物との差し替えを行い、それまでになかった力を手に入れるのです。
このあたりからフォスは、他の宝石たちから「雰囲気が変わった」と言われるようになります。表情には憂いの色が浮かび、かつての無邪気さや天真爛漫さは影を潜める、いわば「青年化」が行われるのですが、フォスはこの後さらなる変貌を遂げていきます。

頼もしくもあり恐ろしくもあり

金剛先生への疑念の発生

ここで事件が起こります。巨大な月人(月犬?)の襲来時に金剛が相手を懐かせ、その相手を「しろ」と旧知の愛犬のように呼ぶのをフォスは偶然耳にします。これにより、宝石たちの中で絶対的存在だった金剛に対する疑念、すなわち「(金剛)先生は月人側と親しい関係にあるのではないか」という思いがフォスの中で生まれるのです。
この状況において金剛を疑うということは絶対者の否定であり、神殺し(=父殺し)です。
なお、他の宝石たちはすでに勘づいていました。大多数はそんなことを薄々思いながらも現状維持を選んでいました。あるいは、そこから先の行動に移すという選択はしていません。無邪気だったフォスはそのような皆の共通認識の輪の外側にいたことを知ります。そして月人と会って話してみたい、という思いに至ります。これは行き着くところまで行くということになる、彼の孤独の分岐点だったと思います。

思いついてはいけないことを思いついてしまうという心象表現

ラピスの頭部を得て覚醒するフォス

宝石の一人であるゴースト・クォーツはフォスと共に戦う中で月人に敗れ、崩壊したと思われた中から新しい宝石が姿を現します。カンゴームです。アンタークチサイトもゴーストも、フォスと組んだパートナーは短期間に2人も月人に破壊されてしまっており、フォスは責任を感じて落ち込みます。
カンゴームは自ら冬の担当となり、フォスと共に流氷砕きの仕事に従事しますが、そこで新型の月人の襲来を受け、フォスが今度は頭部を失います。

カンゴームの目の前で頭部を失うフォス


責任を感じたカンゴームの発案で、復活の兆しの見えないラピス・ラズリの頭部をフォスに接合することになります。これでフォスは、フォス自身の身体構成の比率が半分を下回ることになりました。「これはフォスといえるのだろうか?」と言われますが、彼の自我は彼自身を制御します。
接合から目覚めまでは長い年月を費やしますが、実に102年目、ついにフォスは目を覚まします。当然、顔をすげ替えられた彼は自分の顔が別人(ラピス)になっていることに驚き困惑しますが、割とすぐに受け容れます。「我々はこの子のインクルージョンの図太さを舐めてましたね」と言われるほどです。

笑うとこでーす

脚と腕をリニューアルしたことで戦闘力を身につけていったフォスですが、天才であるラピスの頭部を得て思考力・分析力をも身につけることになりました(「ラピスの頭は勝手に分析が進んでいくなあ、情報収集量が多い!つかれる!」とフォスは独りごちます)。そしてその知的能力は、もともと持っていた金剛と月人への疑念の解析へと向かっていくのです。

作中随一の萌えキャラ・ウァリエガツス

宝石は身体を欠損することでその記憶をも失います。実に100年以上前、海の底でアドミラリビス王・ウェントリコススとの会話を覚えていないフォスは、今のアドミラビリス王・ウァリエガツスと出会います(舌を噛みそうです)。なお、地上においてウミウシ風の軟体動物のような姿をしたアドミラビリス族と会話ができるのはフォスだけです。ウァリエガツスはいわゆるドジっ子の典型のようなキャラクターで、ウミウシの姿においても言葉が可愛く、大変和みます(私は和みました)。鬱漫画と言われる『宝石の国』ですが、この作品にはこうした「抜け」が随所にあります。なお、フォスはウァリエガツスに「我が一族に伝わる伝説」として「にんげん」の話を聞きます。それはかつてウェントリコススとの会話で聞いた話そのものであり、ここに記憶は完全に呼び戻されました。フォスは月に行く決心をします。

この愛くるしさ


そして月人の襲来のタイミングで、カンゴームの協力を得たフォスは自ら月人に捕えられ、月へと渡ることに成功します。

こういう「存在しないもののイメージ」も見どころの作品

エクメアとの会話、月人の目的

月に行ったフォスが目にしたものは、月面に建設された見事な建造物と、てっきり喋れないとばかり思っていた月人たちが普通に会話している場面でした。「壊れたふり」をしていたフォスは、不意打ちの形で月人たちを攻撃します(「ふつうに喋るとか、馬鹿にしてんの?」)。そしてここで月人たちの統治者・エクメアと出会い、彼の告白によって知られざる月人たちの内実が明らかになるのでした。

「敵」のはずの月人の頽廃と苦悩

エクメアは「皆(月人たち)を早く自由にしてやりたい」と話します。それは「無」になることであり、仏教的成仏を指しています。ここでエクメアが語る「人間の野生」は我々の生そのものです。「朝起きて食事を摂り、糞をして、誰かと対話し、和解し、愛し合い、啀(いが)み合う、絶えず進展していない不安に侵され、むりに問題を探し出し、小さな安心を得る、永久のその繰り返し」まさに人間の生業です。「ひどい呪いだ」とエクメアは言います。

フォスは正しかったのか

四十九日間にわたって月にいたフォスは、地球に戻り仲間の宝石たちを説得して月に連れてくる、という計画を練ります。宝石たちが裏切れば金剛はショックを受ける、ショックを受ければ機械(肉体だけでなく魂までも瞬時に分解する破壊装置)である金剛は月人を「無」に至らしめることができるかもしれない、そうすれば宝石たちが月人に襲われることもなくなる。つまりフォスは自分の仲間たちのためにそのような一計を案じたわけです。
地球に戻ったフォスは金剛をはじめ、仲間の宝石たちと話せる範囲で会話をします。そして月に誘導できそうな者たちを見極め、誘導しようとします(ただし最も連れていきたかったシンシャの説得には失敗します)。

ここで一つの疑問が浮かびます。フォスの目的と行動は、その先を見据えたときに果たして「正しかった」のか?ということです。

フォスの意図が仲間に理解を得ていないことがわかる一言

このへんでまだ第八十話にもなっていません。
『宝石の国』はいわゆる煩悩の数と同じ百八話で終わる話なので、進捗としてはまだ20%ちょっと残っていることになります。2時間の映画であればここからやっとクライマックスの30分というところです。
濃いです。


後編に続きます。

やぶさかではありません!