エヴァに生かされた、私の人生 ①

誰も読んでくれないかもしれないが、ふと残したくなったので自分の人生の手記を書き留めてみることにした。

シン・エヴァを観た時に、 私はエヴァに縋ったままでは幸せになれないと察したからだ。私は自分の呪いとして、生まれてきた罪から逃れたいと思っていて、その願いをシンジくんに託していた。

でもシンジくんは私の願いとは違う道を、違う世界を作り上げた。

汚い言葉で表現するが、これは私が私として幸せに生きるための自慰行為のための文章で、非常に読みづらいところもでてくるかと思う。

でも万が一、私の残した手記が誰かの心を変えてくれることがあるならば、それは私の救いになるだろう。

______________________________

シンジくんとの出会いは、10歳の時だった。

1990年代前半生まれの私は、大都会でもなく田舎でもない、ただ人々がそこで平和に暮らしているだけの小さな市で育った。

残念ながら、私の家は平和ではなかったが。

正直、ハッキリとは覚えていないが弱冠10歳にして私は毎日《死ぬ》ということを意識し、《生きる》ということが非常に苦痛で、インターネットがまだまだアングラで黎明期だった時代に自殺サイトに入り浸るような子供であった。

父親の暴力、母親の不倫、兄からの暴言。

父親は、気に入らないことがあるととにかく怒鳴り散らし、時には感情任せに家族に手を出すこともあった。そんな自分をコントロール出来なかったのか、家にいることを拒みワザと遠く離れた地へ常に出稼ぎに行っている人だ。

母親は私が物心のついたときから鬱病で、病院に通っていた。気弱なくせに自己顕示欲が強く、承認欲求を満たしてくれる男の元に行くために家に帰らない日々が続いた。たまに子供の行事に参加したと思えば、場に不相応なフリフリの服を着てきたりと、とにかくTPOという常識をもちあわせていなかった。自分を守る発言しかせず、エゴばかりでうんざりしていた。

兄は八方美人で、家庭事情を他人に知られることを極端に嫌がった。いわゆる《普通の家庭》に羨望の眼差しを向けるが、それを悟られないために友人の前では常に張り付いた笑顔をしている。そのストレスを私にぶつけるために、私に暴言や暴力を働いた。

すくなくとも私が生まれてきたこの世界に、私の居場所はどこにもなかった。

私が受け入れればいい。私が我慢をすれば、ギリギリ錆び付いている歯車を何とか回しながら私たちは《家族ごっこ》が出来る。私は、大人になった兄に「子供の頃に辛かったことは全部お前が引き受けてくれた」、と言われるほどには我慢を重ねていたらしい。

ただ、人間の心の許容量というのは無限大ではない。

私の願いはただ1つ。死にたいわけではない。辛さを誰かに分かって欲しいわけでも、甘やかして欲しい訳でもない。

ただ生まれたことを無かったことにしたい。

私が生まれたことによって起きてしまった不幸を無くしたい。私が生きていくために父の給料を消費し、私の面倒のせいで自由であったはずの母の時間を奪い、私がいい子を演じたことにより母と父から理不尽な態度を取られる兄。

私は、私がいなければ3人はもっと幸せだったのではないかと悩み、10歳になった頃に自殺サイトで名前も知らない人に自分の悩みを吐露し、その名前も知らない人にエヴァという作品を観るようにオススメされた。

「君と似たような子が主人公だから見てみるといいよ」

その頃はWikipediaなんて便利なツールは無いので、ネットで有志のファンが作成したエヴァに関する考察のようなホームページを見つけて読み漁った。

そこに書かれていたエヴァの考察を読んで、作品にますます興味が湧いた。

私は親の財布から1000円札と数枚の100円玉、レンタルビデオ店の会員カードをそっと抜いてVHSをレンタルした。

誰もいないことが多い家で、初めて聞いた残酷な天使のテーゼと、とにかく気弱でウジウジしてて、僕なんて……と嘆くシンジくんは私の胸を貫いた。

私がいる。思わずそう感じてしまった。

その頃ははっきりと話を理解していたかと言われると、していなかったと思う。10歳にアダムだのリリスだの、ごちゃごちゃ言われても、訳が分からないよっ!(緒方恵美ボイス)

ただ、シンジが理不尽に父親によって呼び出され、死と隣り合わせの戦いに挑まされ、精神を蝕んでいることは理解出来ていた。そしてその姿を、自分に重ねてしまった。

悔しいことに、ここから私にとっての《エヴァの呪縛》がスタートするのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?