【教皇庁†禁書ジャンヌ・ダルク伝】序文・英語版の発行に寄せて
アナトール・フランス著「ジャンヌ・ダルクの生涯(Vie de Jeanne d'Arc)」全文翻訳を目指しています。原著は1908年発行。
1920年、ジャンヌ・ダルク列聖。
1921年、A・フランスはノーベル文学賞を受賞しますが、1922年にローマ教皇庁の禁書目録に登録。現在、禁書制度は廃止されていますが、教皇庁は「カトリック教義を脅かす恐れがある禁書だった本を推奨することはできない」という立場を表明しています。
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【※noteのほか、誤字脱字・誤訳を修正していない一次翻訳でよければこちらへ→教皇庁†禁書指定「ジャンヌ・ダルク伝」】
PREFACE
-TO THE ENGLISH EDITION-
(序文・英語版の発行に寄せて)
(※1908年にフランスで「Vie de Jeanne d'Arc」初版発行。翌年、イギリスで英語版を発行するときにアナトール・フランス自身が寄せた序文です。英語版のみ収録。)
この本を読んでくれた多くの学生たちは、とても親切にこの本を扱ってくれた。
彼らの優しさに感動した。特にMMには感謝している。ガブリエル・モノド、ソロモン・ライナッハ、ジェルマン・ルフェーヴル=ポンタリスには格別に感謝している。
イギリスの批評家たちは、私への感謝の意を特別に主張している。
ジャンヌ・ダルクの記憶に、彼らはほとんど懺悔と崇拝に近い敬虔な熱意を捧げている。アンドリュー・ラング氏の賞賛すべき配慮のおかげで、私はいくつかの箇所を修正し、いくつかの箇所を追加した。
聖人伝(Hagiography)の著者・研究者だけが公然と敵対している。
彼らは、私の説明の仕方ではなく、事実をまったく説明していないと言って非難している。私の説明が明確で、自然で、合理的で、もっとも信用できる情報源から導き出されたものであればあるほど、彼らは不愉快になるようだ。
彼らにとって、ジャンヌ・ダルクは神秘的な歴史でなければならず、完璧な超自然現象のままであることを望むのだろう。
私は「乙女」を生き返らせて人間性を取り戻した——それが私の罪なのだ。
熱心な異端審問官たちはこの本を非難しようとしたが、重大な誤りや露骨な不正確さを見つけられなかった。厳格な異端審問官たちは、いくつかの誤字脱字と、いくつかの印刷ミスを指摘するだけで満足するしかなかったのだ。
「私の高慢な弱い心を、満足させてくれるお世辞があるかな?」
1909年1月、パリにて。
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