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2020年の記憶と、1987年の郷愁と

 2020年がどういう一年として、人々の記憶に刻まれていくのだろうか。いつかこの異様な空気感を思い出す時、去来する感情はどんなものなのだろうか。
 不安定で、落ち着かなくて、何とも言い難い状況の中で、正気を保つために必要なもの、心豊かにしてくれることを今は見つめなおす時なのかもしれない。

 1987年、まだバブルがはじける前、世の中がテンプレートな豊さを共有していた頃の話。
 ある日、父がステレオコンポを購入した。レコード、カセットテープ、そしてCDを再生できるというもの。特にCDはレコードのシェア率を追い抜き、これから主流になろうとしている新しい音楽メディアだった。そのCDを再生できることが購入の動機だったと思う。
 家電屋の店員が好きなCDを1枚おまけでつけてくれるという。親は幼い私に何がいいかと尋ね、選ばせてくれた。ユーミンがいい、と私は言った。店員は当時リリースされたばかりのアルバムをチョイスしてくれた。それが『ダイアモンドダストが消えぬまに』だった。
 当時、フジテレビで放送していた『俺たちひょうきん族』のエンディングに流れていたのが、ユーミンの『土曜日は大キライ』。子供ながら「土曜日の番組の最後に、なんで“土曜日は大嫌い”って歌詞の歌を流すのだろう?」という疑問を感じていた。一方で、ユーミンの独特な歌声、ポップとかロック、フォークでもない曲調に興味を覚え、次第にユーミンの曲、特に歌詞に惹かれていった。

 音楽について素人の自分が、技術面において松任谷由実というアーティストの素晴らしさを語ることはできない。それでも、十代の多感な時期に、彼女の音楽に触れられたことは、とても幸運だったと確信している。『ねんねんころりよ』を聴くと、母の背中の温もりを感じるように、ユーミンの曲が「思春期の子守歌」になって、あの頃の自分へ還してくれる。

 1987年『ダイアモンドダストが消えぬまに』から1995年『KATHMANDU』まで、毎年同じ時期にアルバムがリリースされた。その7年は自分が子供から青年に成長する過程と重なる。
 ユーミンの曲を聴くと、自然と詩の世界が頭の中で、風景のように広がる。独特の歌声がそうさせるのかもしれないが、やはり彼女の持つ言葉の力なのかなと感じる。幼さゆえに馴染みのない言葉があったとしても、歌詞の世界の中でそれを理解していた。ユーミンの音楽が感受性を豊かなものにしてくれたのだと思う。数々の名曲、その歌詞に綴られている言葉は私の心象風景と紐づいている。ふいに流れてくれば、心が躍ったり、安らいだり、温まったり。
 出会うべく時に、出会った音楽が人生を豊かにしてくれていることに感謝している。


 「ユーミンの曲で何が好きか?」と問われると困ってしまう。いやぁ、本当に迷う。すっと自分の中で沁みてきた歌詞がある。それは、1991年のアルバム『DAWN PURPLE』に収録されている『9月の蝉しぐれ』にある。
 「おしえて 大人になるっていうのは 平気になる心 死にたい程傷ついても なつかしいこと」
 1991年、中学、高校生の年頃の自分に響く一節、印象深く残っている。悩みも迷いもあった時期を支えてくれた、そんな言葉だったように思う。曲調は明るくはないけれど、そこにあるメッセージは前向きなものだと自分は受け止めている。メジャーなナンバーではないけれど、今の中学生や高校生に聴いてほしい一曲だ。

 昨日、SNSでの誹謗中傷について多くの著名人が言明、話題になった。「死ね」「消えろ」の類の凶器めいた言葉は昔からある。しかし以前よりも環境は変わり、ネットによってその類の言葉が表ざたに用いられている。匿名ながらこの世の誰かとして振る舞い、凶器の言葉をぶつける。それに傷つく人を生んでいく世の中。
 考え方、表現の仕方、振る舞い方、すべてが貧しすぎる。今、必要なのは相手に何かを伝えるには言葉の力、語彙の豊かさではないか。学校で受ける学びだけでは足りない。だからこそ、音楽や芸術などのエンターテイメントから感じるものはとても重要なのではないだろうか。

 最後に話をユーミンに戻す。初めてユーミンのライブを観たのが1997年のこと。なかなか入手できないライブチケット、小学生から触れてきたユーミンの歌を生で聴く時が訪れたことに興奮していて、当日の記憶がほぼない。2階席の立ち見ゾーンで、遠く豆粒ほどの“生ユーミン”をだぶん口をポカーンと開けて観ていたのだろう。曖昧な断片的な記憶だけれど、ふわふわとした感動が心の中に残っている。
 家にいる時間が増え、改めてユーミンの音楽に触れる機会を持つことができた。それぞれの曲は淡い思い出のように心を穏やかにしてくれる。ユーミンの音楽に一時離れていた。ヘビーリスナーではないけれど、あの日出会えた松任谷由実の楽曲に感謝の意を込めて、2020年は「ふたたびユーミンの音楽に向き合う」一年として記憶したい。
 

 




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